そして、世界は別たれる

黒箱

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1-②

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放課後、明日は休みだからと張り切った生徒たちに付き合って思いのほか遅くなってしまった帰り道を一真は歩く。
日は少しずつ短くなり夜が来るのが早くなる時期、今もちょうど夕日が沈み切り夜が訪れる時間帯。
ベッドタウンでもあるここら一帯は窓から漏れ出る生活の明かりや等間隔に設置された街灯に照らされる表通りと、所せましと建てられたマンションやアパートの陰に隠れるようにして張り巡らされた夜の闇よりなお暗い路地裏という二面性を持っている。
人々の生活の明かりがまぶしいほどに、その明かりの届かない世界の渇きは尋常ではないと思うのだ。
それが、なんとも言えない不気味な感じを一真に抱かせる。

『ねー、一真。どっか寄り道していかない?私、カラオケとか行ってみたいなー。ほら、あのたばこのキスの歌とか歌いたい!』

暗く淀みかけた一真の心、それに呼応したようにねばつきはじめた気がする空気を切り裂くように、明るい声が一真の耳朶を震わせた。
一真は周りを見回し人気がないことを確認して今日はじめて、回に視線を向ける。

「だめ、ちょっと遅くなったから、今日はもう帰って復習したいし、家事もしないといけないからね。」
『えー、ケチー。』

至って真面目にそう呟く一真に頬を膨らませるも、すぐに話しかけられたことが嬉しかったのかだらしなく緩ませる。

その顔が本当に嬉しそうに見えるから。

思わず絆されてカラオケぐらい連れて行ってやってもいいかと思ってしまい首を振って歩みを再開した。
悪魔さんとは違うがこいつもやはり、自分の決断を揺らがせるタイプのイマジナリーフレンドなのだ。
自分が生み出すのはやはり誘惑の試練を与えるタイプなのかとため息ひとつ。
というか、これは高度な独り言に近いもののはず、特に歌にも歌うことに興味はないのだが心の奥底ではそういう思いがあるのだろうか。

『あー、ならあれ!ラーメン食べていこうよ!』

今度はなんだと視線を向ければ、反対側の道に時たま見かけるラーメンの屋台がお決まりのラッパ音を響かせながら客寄せしているところだった。

「回、君ラーメンなんて食べられないだろ」
『いいの!一真が食べてるのを見てその雰囲気を楽しめればいいの!』

そういってブンブン手を振って行こうと行こうと主張する回に、一真はもう一度ため息をついた。
まあ、それぐらいならいいかもしれない、遅くなったし今から晩御飯を作るのは少し面倒なのも確かだ。
ラーメンを食べるのを見るぐらいで回の機嫌が良くなって少しでも絡みつく頻度が減ってくれるなら、それは悪くない選択のような気がした。

「わかったよ、なら今日の晩御飯はラーメンだ」
『やったー!なら行こうすぐ行こう!』

くるくると妖精のように宙を回りながらラーメン屋台にふわふわ進んでいく回を目で追いながら、一真は向こう側へ渡るために横断歩道で信号を待つ。
待ちきれないとばかりに重力を無視してあっちこっちを嬉しそうに飛び回る回を苦笑しながら眺めていた一真は、ふと視界の外に何かを捉えたような気がした。

『…一真、どうしたの?変なこと気にしてないで早くラーメン食べようよ』

いつの間にか傍に戻ってきていた回が視界を遮るように一真の前に自らの顔を覗かせる。
その顔はいつものように、その雰囲気とは裏腹に底抜けに明るいもので。
だけど今は、儚げでいつの間にか消えてしまいそうな、まるで幻想のようなその在り方が際立って見えるのはなぜだろう。
そしてこの幻想に絡めとられて目の前の現実から目を背けるのは、一真には許されないような気がしていた。

一真はラーメンのことなどすでに頭にはない様子で回をすり抜けて走り出す。
目指すはマンションの隙間にできた裏路地、その入り口に近づいた瞬間に、路地裏の奥から響き渡る悲鳴を聞いた。
そして、幽鬼のように青白く、餓鬼のように餓えに餓えたような、人であって人を外れた怪物のような仄暗い視線が一瞬だけ、こちらに向けられたような気がした。
一真は一瞬躊躇して、それでも立ち止まることなく路地裏に身を滑らせた。



迷宮のような裏路地に反響する男の悲鳴を追いながら一真は走る。
路地裏の入り口からちらりと見えた謎の影、人間離れした動きで飛び跳ねるように消えていったアレは直観的に安易に踏み込んではいけない何かだと理解させた。
だが、たまたまとは言え目に入ったのなら追うしかない、アレは間違いなくこの悲鳴の主を殺すだろうという確信がある。
目の前で死ぬかもしれない人を放っておけない。

『ねえねえ、本当に行くのー?』

そんなことを能天気に呟く回に反応してやる余裕は一真にはない、というかこいつが動き回ったせいで目に入ったんじゃないか。
いや、目に入らなければと思ったわけじゃないのだが、当の本人に言われると腹が立つ。

『まあ、そうだよね。一真なら行くよね。なら一つ忠告、もしこの先に行けば一真はもう今まで通りには生きられない』

その言い方はそうなるという確信ではなく、そうなってほしいという願いのように聞こえたのは穿ち過ぎだろうか。
今思えばたまたま目に入ったわけではなく、回が自分の視線を路地裏に誘導したようにも取れる。
回は自分が知らない路地裏の事情を知っていて、それを見せるためにわざわざふらふら飛び回ったとでも言うのか。
馬鹿らしいと思いつつそれを否定できない、自分が生み出した想像上の何かがなぜ自分の思惑を超えるのだと叫びたい気分だ。

反響する悲鳴はやがて弱々しい命乞いの懇願に変わった。
路地裏の奥まった行き止まりの一つ、サラリーマン風の男が腰を抜かして後ずさり。パーカのフードで顔を隠した瘦せこけた一人の、おそらく男がそれを無感情に見下ろしていて。

次の瞬間――サラリーマンの頭がまるで丸かじりされ果汁が飛び散るリンゴのように赤い液体をまき散らした。

どこにそんな力があるのだろう、恐怖に染まるその顔を、頭を両手で鷲掴みにしたひょろ長の男はそのまま無造作に口を開き嚙みちぎったのだ。
皮膚を裂き、頭蓋を砕き、脳髄を喰らって咀嚼するその様は現実離れしていてまるで映画でも見ているかのようだった。

だからだろうか、はじめて見る殺人、食人、アスファルトを伝ってこちらにまで流れてくる闇の中でなお鮮烈な粘り気のある赤、それは感情を激しく揺さぶるものであるはずでなければならないのに。
まるで全てが麻痺したかのように嫌悪感も忌避感も何も感じることなく、しかして体は動かせず。

ただ鼻につくはじめて嗅いだ濃厚な血の匂いを肺に吸い込みながら、サラリーマンの男が頭から綺麗に喰われていくのを眺め続けることしかできない。
学校で聞いた噂話が頭の中に流れ出す、曰く、路地裏にはどんなものでも食べてしまう怪物がいるという。

『食べることは満たすこと、食欲とは満たされない器が何かに手を伸ばすための憐れで弱々しい衝動であると認めなければならない。ゆえに暴食とは弱さの証、人の中に紛れることすらできない弱い者の嘆き。』

回の歌うような声が一真の耳に届く、暴食、暴食者。
サラリーマンを喰らった暴食者がゆっくりと一真に顔を向ける。
口元についた血を舌で舐めとるその様に、それがようやく現実であると一真は理解して。

その顔に――隠しようもない怒気をにじませた。



路地裏で相対した二人。

暴食者、木戸 感太きど かんたは静かに舌なめずり、そこに熱気はない。
ただ、乾いた唇を湿らせるだけの生理現象だった。

「なんでそんなに怒ってるんだ?」

木戸は心底不思議そうに首を傾げる。

「いいじゃないか。だって他の奴らは何の憂いもなく、悩みも葛藤もなく、ただ面白いことが当たり前みたいに能天気に生きてる。憎悪するのが権利みたいな顔して、当たり前のように何かを呪ってる。不公平じゃないか」

言葉に抑揚はない。どこかで聞きかじった知識を語るかのように、彼は続ける。

「俺は何をしても乾いてばかりなのに。幸せもなく恨めしくもない、カラッカラの人生だ」

だけど唯一、食べることだけは裏切らなかった。  
楽しいわけじゃない、心躍るわけじゃない。
ただ、いくら食べてもいずれ腹は減る、そしてまた食べたくなる。  
そうだ、人生を彩るためじゃない。
ただ生きているとかろうじて信じるために、食べ続けなければならないだけ。  
それが暴食者、木戸 感太の至った、ただ一つの解。

「だからいいだろ?もう十分に楽しんだ奴らを、呪った奴らを、俺の一生分以上潤った奴らを。ほんの少しだけ俺が潤うために使って、何が悪い」

「悪いに決まってる」

即答だった。 呆然としていた頭も体も、怒りでどこまでも熱く、しかしてどこまでも沈むように静かに回る。
一真はみじんも揺らがない瞳で、虚ろな怪物を刺すように射抜く。

「どんな事情があろうと、自分に実感を持つために他人を消費していいわけがない。人は、自分の足で歩いていくものだ」

暴食者の顔から笑みが消えた。  
怒りではない。
ただ、この男は自分とは違う回路で動いていると理解しただけだ。  
決して交わらない。後はただ、目の前の障害物を排除し、糧にするしかないと確信した。

「……まあ、いいか」

木戸は軽く嘆息する。それが当然なのだ。  
これまでも、これから先もわかり合える相手なんていない。
暴食者はただ、喰らい尽くすことでしか己を規定できないのだから。

四肢に力を込める。  
アスファルトが削れる音と共に、木戸の体が弾丸のように駆ける。  
その有様はまさしく飢えた四足獣。一真は反応しようとしたが間に合わない。
ただ左手を目の前にかざし、大きく開かれた咢を受け止めるのが精一杯だ。

木戸は無心で口を閉じる。 
 
腕を喰いちぎる。肉の味、骨の砕ける感触。それだけが彼に与えられた唯一の実感――。

しかし、それは訪れない。

硬質な音が鳴るはずだった空間に、間の抜けた音が落ちる。  
人を喰らうその時、その一瞬だけのカタルシスが存在しない。  
これまで幾度となくあらゆる物を喰らってきた己の口が、鉄すらも噛み砕く咢が。  
ただちょっと鍛えただけの男子高校生の腕一本を、喰いちぎれない。

「…………?」

死にかけの弱々しい子犬が、最後の抵抗をするかのようにほんの少し歯が肉にめり込むだけ。  
その口は、数多のものを喰らってきたその穴は、ただの人間のものに戻ったかのようだった。

その現実は、彼なりに持っていた捕食者としての在り方を砕くには十分すぎるほどのインパクトだった。  
一真は少しだけ痛みで顔をしかめるも、残った右手を静かに振り上げる。    
動揺で思考が止まった木戸の顔面に、一真の拳が叩き込まれた。  
身体能力も強化されていたはずだ。なのに、その身はかつての引き篭もっていた虚弱な小枝のように脆く。  
一撃。 あっさりと意識を刈り取られた木戸は、糸が切れた人形のように、物言わぬままその場へ沈んだ。

一真は呆然と自らの拳を見下ろし、今しがたそれが突き刺さって地面に身を投げ出している男を見比べた。
はじめて人を殴ったわけではない、小学生の頃はいじめっ子相手に大立ち回りを繰り広げ、多勢に無勢でこちらがぼこぼこにされるなんてこともよくあった。
だけどこれはそういう、日常の延長線上にあるものとは違う。
一真は制服の袖をまくる、貫通しているわけではないがそこには見紛うことなき男の歯形がくっきり残っていた。
その痕跡が、それがこれまで経験したことのない本当の傷つけ合い、相手の完全否定であることを否が応でも悟らせた。

『ようこそ、世界の裏側へ。温かな陽だまりの陰にある魔境へ。幻想達の妄執が集う場所へ。もう逃げられないよ』

そういっていつものように明るく笑う回が、一真には得体のしれない何かに見えて仕方がなかった。
ただ一つ、言えることがあるとすれば、こいつはイマジナリーフレンドなどではないということだ。
そんなことに今更気がつくなんてなんて鈍くてばからしいのかと、現実逃避するようにそんなことを思うのだった。
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