そして、世界は別たれる

黒箱

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『この世界には裏側がある。普通の人が信じている当たり前、常識とか倫理道徳の埒外にあるもの。そこは狂人たちの妄執の巣、何を求めるでもなく、しかして何かを求めるしかない者達の情念の坩堝。彼らは自分たちが何者かもわからずにただ、追い詰められたかのようにそれを目指して身を焦がして堕ちていくの。
だけどそんな世界を解き明かそうと一生懸命な人たちもいるんだよ。不思議だね』



一真の父は優秀でわりと有名な外交官、母は留守がちな父の代わりにしっかり家を守り自分に愛を注ぎ育ててくれた、どちらも尊敬すべき人だった。
父も自分や母を愛してくれていたと実感できる、異国の環境での生活によるストレス、国同士の繊細な橋渡しを行う重圧。

日本に帰ってきた時、そういった疲労を微塵も見せず抱き上げてくれた父の力強い腕、頭を撫でながら優しく微笑んでいたその顔は幼いながらにかっこいいと思えた。
成長していくにつれて父のようにどんな時でもまっすぐ立って、誰かを愛せるような男になれたらと夢見ていた。
将来、大人になった自分を両親が誇りに思えるような生き方をすることが中学生の一真のささやかな夢だった。

だけど、それは一生叶わない、ただの夢想で終わる。

二年前、一真の最後の中学生活の年、父の発案でとある国へ海外旅行に行くことになった。
久方ぶりに家族三人で過ごせる、それは楽しい思い出となって後に残るものとなるはずだった。
国内情勢に少し乱れはあるが観光地は安全が確保されていると謳っていたし、不安がなかったわけではないがいざという時には父の顔も利くということで何の問題もないと皆が思っていた。
だが、現実とは思いもよらないもの、自分たちの思惑なんて簡単に吹き飛ばしてしまうものだ。

その日、その国で小規模なテロが起きた、観光客も何人か捕らえられ人質として監禁された。
テロとは言うが特に高尚な思想などがあったわけではないようだった。
薄っぺらい正義の言葉を軽く口から吐き出して求めるのは金、金、金。
ただのごろつきに近い輩共、そんな奴らに父が外交官であるということがバレて連れていかれた。
それをかばおうとした母も同じように連れていかれ、そしてあっけなく死んでしまった。

その事実に呆然としていた自分の頭を誰かが抱きしめてくれたような気がする、
その気遣いに感謝すべきだったのだろうが自分はしばらく動けなかった。
そしてその直後、現地の軍隊がテロリストを制圧して一真と他の人質たちは助かった。

犠牲者は一真の両親だけだった。
ああ、本当に人生は思うようにいかないものだと一真は思う。
そして、自分の中にあった何かを直視することになった。
自分のために誰かを消費するような存在は見過ごせないのだと。
それが一度目の、一真の世界がひっくり返った出来事だった。



閑静な住宅街に立つ特徴もない量産型に近しい一軒家が今の一真の住まい。
父と母を失った一真は莫大な保険金や両親が残してくれた遺産を自分で管理することに決めた。

幸いといっていいのか父は生前、きちんと遺書を残してくれていて選任された後見人の男は放任主義だった。
元起業家であった彼は父の残したお金や遺産には目もくれず、人生は自分で背負うものだとの持論から、君の好きにすればいいとあっさり全てを預けた。
「高校生にもなれば自分の面倒は自分で見るべきだよ、それがちょっと早まっただけさ」

そう笑い何かあれば頼っていい、ただし対価はいただくけどねと電話番号と住所だけを置いてあっさり去っていったのだ。
そうして一真は高校目前の15歳で一人、自分の人生を歩み始める。

それから17歳になる現在に至るまで、一真の毎朝は退屈なルーチンワークからはじまる。
毎朝六時に起きて二分間、冷水を浴びて目を覚ます。
それから四十分かけて千回、木刀で素振りを行う、木刀の重さは平均的な刀の重さの一・二キロ。
鍛錬に刀を模したものを選んだ理由は単純だ、刀というあり方が一真は好きだったから。
薄く、脆く、しかしてただ一つ、斬るということにのみ特化したその機能美に魅せられた。
本物の刀を振り回すわけにはいかないから木刀を素振りし、その雰囲気だけでも味わいたかったのである。
その後、十八分間を柔軟に費やして。
七時になったらいくつか味のバリエーションがあるシリアルにプロテイン二十グラムと豆乳を入れて十分で食べ終わり、栄養補給薬をラベルに書かれた数だけ正確に飲んで身支度を済ませる。
七時半、全ての準備が整う。

毎朝、一分の狂いもなくそれを淡々とこなし続けてきた。
どれほど体が痛んでも、心が沈んでも、決して揺るがない習慣。
この習慣が一真の心身を常に現実へとつなぎとめてくれた。
昨夜のことも、現実として受け入れられる。
だから、ちょうど日曜で学校も休みのその日はリビングで机を挟んで回と向かい合うには良い機会だった。

昨夜、暴食者、後に木戸という名前だと警察から聞かされた。
警察に連絡して木戸が連れていかれるのを見届けてから、数時間ほど事情聴取を受けて自分が経験したことを正直に話した。
木戸が人間離れした動きで犠牲者を追い込んで頭から丸齧りにしていたことを頑張って語っていた時に向けられたあの目。
まるで気でも狂ったかと言わんばかりの憐れみとも何ともつかない気持ちの込められた視線は正直、堪えたが他に言いようがない。
伸びていた木戸は目覚めた時には別人のように虚弱になっており、余計に一真の証言は狂言じみて響いたようだ。
とは言え、口元や口腔内に残っていたであろう人の肉片や血液などから食べたことは確かなのはわかるはずだ。
服にも返り血がいくらかついていたことだし警察の内部事情なんて知る由もないがどうにか罰せられると思いたい。
この件はもういい、終わったことだ。
だから、一真はもう一つの疑問を当事者に叩きつける。

「それで、君は何者なんだ?」

回と名乗る少女、こいつはイマジナリーフレンドなどではないと昨夜の件で確信した。
悪魔さんというイマジナリーフレンドが回に変化したのは両親を失った後。
だからその寂しさを埋めるために無意識的に寄り添ってくれる存在を生み出したのだと考え自嘲していたのだが。
こいつは間違いなくそういう類のものじゃないだろう。
幽霊なのか、あるいはもっと別の何かか。
木戸という一般常識では測れない謎の存在を知った今なら、こいつもまたそういう類のものであるのかもしれないと思える。
一真の見ている世界はたった一夜で完全に裏返ってしまった、だからこそ知らなければならないと思う。
じゃないと、これから先、どう生きていけばいいか判断できない。

『私?私は回だよ?それ以外に言いようがないもの』

そう笑う回はどこまでも明るくて裏表など微塵も感じさせない。こっちを混乱させようとか煙に巻こうとしているわけでもなさそうだ。
これが演技なら自分には回の正体を追究し見抜ける日は永遠に来ないだろうと嘆息する。

「…なら、昨日の木戸とかいう男については?何か知ってそうだったけど」

昨夜の回の意味深な言葉は間違いなく何か掴んでいるが故のものだろう。

『あれは異能者だよ』
「…異能…者?」

回は含みを持たせるわけでもなくあっさりその正体を口に出した、だがその言葉の意味するところが一真には全くわからない。
異能とはあれか?漫画やゲームなどでよく出てくるあれだろうか?そういうものには疎いのだが、あれが現実にはあり得ないということは馬鹿でもわかる。
だが回はこちらを馬鹿にするでも嘲っている風でもなくいつものように笑顔で言葉を続けた。

『そう、異能者。正確には否定型自我境界線逸脱者。
木戸 感太が持っていたような超常の力は、世界に愛されなかった、あるいは世界を拒絶した人の特権なの。  
その反対に肯定型自我境界線埋没者、通称権能者と呼ばれる者達もこの世界にはいる。権能者は異能者とは逆、世界にどこまでも愛され、世界というシステムの一部に埋没した者が振るう特権なんだよ』

ペラペラと語られる回の意味不明な解説を聞いて、一真は頭を抱えながら確認するように問いかける。

「えーと、つまり……。この世界には超能力みたいなのを使える人種が二種類いて、木戸という男はその能力を使って悪さをしていたということでいい?」
『ざっくり言えばそう』
「でもおかしくない?そんなのが世界にゴロゴロいるなら、さすがにもっと騒ぎになる」
『そうはならないんだよねこれが、この世界には認識の境界線があるから。  
一般的な大多数の人たちは世界の表層で生きている。  
だけど異能者は表層から線の外側に弾かれてる。逆に権能者は線の内側に取り込まれてるの。  
どちらも同じ世界に存在はしているけれど、立っている概念的な位相――チャンネルが微妙にずれてるんだよ』

回は空中に指で円を描き、さらにその外側と中心を指さす。

『地球に見立てればわかりやすいかな。
異能者は大気圏から弾かれて宇宙に放り出された感じ。
逆に権能者は、地球の核に取り込まれて一体化した感じ。  
だから、よほど派手なことをしない限りは世界に露呈しないの。
望遠鏡なしに宇宙の塵は見えないし、穴を掘らない限り地面の下のマントルは暴けない』

そこまで言って、回は一真の目を覗き込む。その顔はどこまでも明るくて、だからこそ底知れず不気味に見えてしまった。

『人はね、自分の常識の範疇を超えるものは見なかったことにして勝手に世界を修正しちゃう。
だって、繋がりのない存在なんて最初からいないものと同じでしょう?
裏側には能力者以外にも色んな住人がいるけれど、ちらっと見ただけとか、ちょっとすれ違っただけとかだと認識から弾かれるし干渉もしづらいの。
一真みたいに深く関わらない限りは無視されるし、無視するしかないんだよ。
表層からずれているもう一つの世界、それが裏側』

一真はしばらく目を閉じて内容を反芻する。そして絞り出すように声を出した。

「なら、あの犠牲者は、サラリーマンの人は。その前にもたぶん、もっと被害者はいたんだろう。そういう人たちはなんで死んだ?なんで選ばれた?」
『理由なんてないんじゃない?
木戸 感太は感情欠落者とでも言えばいいのかな、生きていることに何の実感もなかったの。何をしても楽しくない、何をされても憎めない、感情は一瞬だけ燃え上がるマッチの火みたいなもので、時間がたてばくすんで消える。
だから食べることに逃げた。
食欲は体がある限り、生きてる限り感じられる欲望だから。
食欲だけが世界とつながっている実感で、食べれば食べるほど食欲は増大して、ついには食べ物以外にまでその口を向けることになった。
本人が言っていたでしょう?もう人生を幸せに生きたのなら、呪ったのなら消費されてもいいじゃないって。
ただ、目の前に感情で肥え太った餌があったから、それを口にしただけなんじゃないかな。
そう思えた時にあの人は境界線から弾かれて、ただ喰らうための力を手に入れたんだよ』

どこまでも残酷な事実を回はいつものように告げていく。

『それに、木戸 感太は最初は表側の住人だったんだと思う、何かをきっかけに裏側を知って異能に目覚めた。
表側にいて、それから裏側に堕ちる存在が一番、タチが悪いの。
両方知っているから表裏の境界線を揺らがせやすいうえに、ほぼ確実に訳ありだから。
最初から表にいてそれでも馴染めなかったから光の届きづらい裏側に逃げ込んで、手にできなかった何かに妄執を募らせる。
その性質と、異能と、欲求で彼は裏側に人を引きずり込んで餌とした。
交通事故に遭った、自然災害に遭った、そういう運が悪いとしか言いようがないただの偶然』

それは、なんて理不尽なことなんだろう。
世界は思うようにいかないのはわかってる、裏側なんて関係なく自分もまた理不尽に何かを奪われたことがあった、命があるだけ儲けものなのかもしれない。
だけど、だからこそ許せない、自分という存在を成り立たせるために誰かを消費するというあり方が。

ああ、本当にわからない。自分が立って歩くために、なんで誰かを必要とするのか理解できない。

一真はその拳を握りしめ、怒りをこらえるように、あるいは泣くのを耐えるかのように体を震わせた。
そんな一真を回は愛おしむように見つめる。

『そうやって誰かのために怒って、悼めて、そんな一真が大好きだよ。
だからあんまり気に病まないで、あなたのせいじゃないんだから、世界のせいなんだから』

優しい言葉をかけられて、だけど一真は最後にもう一つだけ問わなければならなかった。

「…回、君はなんでそんなことを知ってるの?自分は何者かもわからないと言ったのに、木戸のこととか、それ以外のことは見透かしたように話す。
感情欠落者?そんなの心を読めでもしなければわからないじゃないか。能力者?そんなの普通に生きていたら気づかないじゃないか」

回は本当に困ったように笑った。

『わからないの、ただ関わった何かの情報が勝手に自然と頭の中に入ってくる時があるの。それが口から思わず零れることもある。私以外のことだけだけれど。ごめんね』

謝る必要なんてないと、そう言いたいけれど、今の自分にはできそうもなかった。



その日は一日、ソファに身を沈めてただテレビを視界に収めていた。
煌びやかな大富豪の生活をレポートする番組、お金持ち特集なんて俗なものを久方ぶりに見た気がする。

ああ、こういう人はきっと、物凄く世界に対して真摯なのだろうなと思った。
何かを目指して誰よりも努力して、迷ってあがいてそして辿り着くんだ。
じゃないとこんなに何かを成して何かを得ることなんてできるはずがないと思う。

大きいものが小さいものを引き寄せる力を持つように、
大きな意思が小さな意思を引き寄せて呑み込むようにしてさらに大きくなる。

呑み込まれて、大いなるものの一部となって何かの意味があると、
そう思わないと小さいものは報われないから信じるのが一番だ。

世界の裏側で喰らわれる存在がいると、そんなことを知ってしまった今の一真はそう思わずにはいられない。

そして、いつの間にか夕刻となって、体は習慣に従って動き出す。

明日の授業の予習をして、食事をとって、家事を終わらせ寝支度を整える。

そしてそのまま泥のように眠りについた、いつも通り夢を見なかったことは救いだろうか。
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