経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始

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まだ終わってないよね?(部長の視線)

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週の終わり、金曜の午後。  
経理部のフロアは、比較的落ち着いた空気に包まれていた。月初のピークは過ぎ、各部署とのやり取りも減っている。  
その静けさの中、阿波座凛はファイルを手に、経理部長・天神橋のデスクへと報告に向かっていた。

「お疲れさま、阿波座くん」

天神橋は、資料から目を上げると穏やかな口調で迎えた。  
年配に見えるが、姿勢はよく、白髪交じりの髪を後ろに撫でつけたその立ち姿には落ち着きと威厳があった。

凛は変わらぬ無表情で軽く会釈し、提出物を差し出す。

「こちら、今週分の報告書です。ご確認お願いします」

「ありがとう。……ああ、それと、少し時間あるかな?」

資料を受け取ったあと、天神橋が視線を凛に戻した。  
その目は穏やかだが、どこかでこちらの内面を探るような光があった。

「問題なければ」

凛が端的に返すと、天神橋は軽く笑みを浮かべて、立ち上がった。

「少し歩こうか。固い話じゃないから」

ふたりはフロアを抜けて、社内の小さな応接スペースへと向かった。  
ガラス張りのその空間には、外から柔らかな午後の光が差し込んでいる。  
視界の先には営業部の区画がうっすらと見え、数名の社員たちが立ち話をしていた。

その中に、谷町光の姿があった。

やや離れた場所からでもわかる。  
あいかわらず、くしゃっとした笑顔で誰かに話しかけている。  
動作が大きく、時折手振りを加えながら話すその様子は、周囲の空気を明るく染めていた。

天神橋はその様子をちらりと見やり、凛に視線を戻す。

「営業の谷町くん。最近、君とよく話しているようだね」

凛の表情がわずかにこわばった。  
けれど、即答は避け、目線をまっすぐに保ったまま口を開く。

「……業務上のやり取りです」

「もちろんそうだろうね」

天神橋の笑みは変わらなかったが、次に発せられた言葉には明らかに別の温度があった。

「……でも、私はふと思い出してしまったよ。平野くんのことを」

その名を聞いた瞬間、凛の体から小さな反応が漏れた。  
ほんの一秒、目の奥に迷いが宿る。  
それを悟られまいと背筋を伸ばし、返す言葉を慎重に選ぶ。

「……過去のことです。すでに会社にもご迷惑はかけていません」

「迷惑だなんて、誰も言っていない」

天神橋は静かに言った。  
その声音は責めるようでもなく、ただ、真実だけを見据えるような響きだった。

「ただ、あのとき君が少しだけ壊れそうだったことは、忘れていないよ。  
平野くんが辞めるときも、ずいぶんと静かに見送ったじゃないか。  
それを会社がどう受け止めたか……君なら、想像がつくはずだ」

凛は、拳を静かに握った。  
ポケットに入れた手の中で、指がわずかに震える。

「……今は、違います」

その一言は、小さく、だが確かに発せられた。

天神橋が視線を外し、再び営業部の方を見た。

光はちょうど誰かと笑い合ったあと、ふとした拍子にこちらの方向を見やった。  
視線が合うか合わないかの一瞬、光は確かに表情をやわらげた。  
遠くからでもわかるその優しい目に、凛は一瞬だけ目を見開いた。

何も言わない。  
けれど、その視線だけで、光がこちらを見守っているのが伝わる。  
それは、ただの好意ではない。  
相手を見つめ、受け止めようとする意志のあるまなざしだった。

天神橋がその様子を眺めながら、静かに言う。

「まだ終わってないよね、阿波座くん。君の恋は」

凛は、言葉を飲み込むようにして、一度息を整えた。

そして、はっきりと答えた。

「……終わっていません」

天神橋は短く頷いた。  
それは、許可でも警告でもない。  
ただの“理解”のサインだった。

「そうか。  
それなら――どう向き合うかは、自分で決めなさい。  
誰かに何かを言われて動くような恋なら、それはもう本物ではない」

「……はい」

ふたりの間に流れた静寂は、どこか穏やかだった。  
そしてその沈黙の中で、凛は確かに一歩、自分の中の恐れを超えていた。

それでも怖いことに変わりはない。  
けれど、その恐れよりも先に、彼の中にはすでに“想い続けたい”という意思が芽生えていた。

応接スペースを出てフロアに戻るとき、凛はもう一度だけ営業部の区画を見た。

光は今、何かの資料を誰かと確認している。  
けれど凛の視線を感じたのか、またすぐにこちらを振り返った。

そして、誰にも気づかれないように、わずかに唇の端を上げた。

凛は何も返さなかった。  
ただ、胸の内側で、あの笑みに返事をするように、静かに目を伏せた。
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