恋をあきらめた美人上司、年下部下に“推し”認定されて逃げ場がない~「主任が笑うと、世界が綺麗になるんです」…やめて、好きになっちゃうから!

中岡 始

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第10章『推しから、恋人へ』

恋人って、なんでこんなに嬉しいんだろう

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空が茜色に染まり始めていた。  
会社を出たばかりの時間帯。昼間の熱気がまだ地面に残る中で、風だけがどこか涼しい。

理玖と大樹は、いつもより少しゆっくりとした足取りで並んで歩いていた。  
目的地があるわけではない。  
駅までの道を、まっすぐでもなく、遠回りするでもなく、自然なペースで進んでいく。

肩が軽く触れ合う。  
歩幅は、意識しなくても合っていた。

信号で立ち止まったとき、理玖が何気なく歩道の縁を避けるように身を引いた。  
すると、隣にいた大樹の手がふと揺れ、その手の甲が、理玖の手にかすかに触れた。

以前なら、それだけで緊張していた。  
心拍数が跳ね上がって、何も言えなくなっていた。  
けれど今は、ただ指先をすべらせるようにして、その手を静かに握り返す。

握り合った手は、ぬくもりを帯びていて、少し汗ばむほどだった。  
けれど、それが嫌ではなかった。

理玖は、何も言わずに前を見つめていた。  
目を細めて、西日に浮かぶ街並みを眺める。  
その横顔を、大樹はそっと見つめた。

いまだに信じられない瞬間がある。  
こうして隣に立って、歩いているだけで、胸がいっぱいになる。

大樹は視線を前に戻して、そっと言葉を落とした。

「主任、もうちょっとだけ、近くてもいいですか」

理玖が一瞬こちらを見て、それからまた前を向いた。

その返事を待つ間もなく、大樹は握っていた手をゆっくり引き寄せるようにして、理玖の顔の近くまで歩み寄った。

背をかがめて、そっと頬に唇を落とす。

わずかに触れるだけの、ほんの一瞬のキスだった。  
けれど、そこにははっきりとした意味が込められていた。  
愛情も、尊重も、今ここに一緒にいられるという確信も。

唇を離すと、理玖は肩をすくめた。

「……バカ」

ぽつりと呟く声は、低く、けれど優しさを含んでいた。

そのまま歩き出す理玖の横顔に、かすかに笑みが浮かんでいる。  
言葉にはしないが、照れていることが、歩き方にさえ滲んでいた。

大樹は笑いを堪えながら、またそっと手を握る。  
今度は、理玖のほうから少し強く握り返してきた。

それだけで、胸の奥があたたかくなった。

駅へと続く小道には、夕暮れの光が差していた。  
ビルの陰が長く伸び、街の喧騒が少しずつ静まっていく時間。  
ふたりの影も、地面に寄り添うように並んでいた。

心臓の鼓動が落ち着いていて、呼吸もゆったりとしている。  
その静けさが、逆に特別なものに思えた。

大樹は、隣を歩く理玖をちらりと見る。  
声を出さなくても、表情だけで、今の彼が満ちているのが分かる。

こんなふうに歩いて帰れる日が来るなんて、思ってもいなかった。  
ただ遠くから見ていた人。  
一挙一動にときめいて、胸を掻き乱されて、それでも声に出せなかった日々。

あのときは“推し”だった。

眩しくて、美しくて、でも触れられない存在。  
触れてはいけないと、自分で思い込んでいた。

それが今は、隣にいて、手を繋いでいて、笑ってくれる。

推しはずっと遠くにいた。  
でも今は、隣で笑ってる。  
恋人って、こんなに嬉しいんだな。

心の中で静かにそう呟いて、大樹はまた歩き出す。  
その手を離さないように、もう少しだけ強く握りしめながら。

【完】
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感想 1

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みんなの感想(1件)

ななこ
2025.04.26 ななこ

初めまして
胸温まるような、ホッとするようなお話しで、楽しんでいます。2人の関係が静かに、普通の日常のように進んでいくのがとてもよかったです。

2025.04.26 中岡 始

初めまして(*^^*)

わわ、感想ありがとうございます♡
めっちゃ嬉しいです。

じれじれの展開って、けっこう好きなのです。
そして、普通の日常のような等身大の恋愛が。

最後は無事カップル成立でホッとしております(笑)

解除

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