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朝、満員電車のレオ様
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午前八時一五分、山手線内回り。品川を出たあたりで、天満悠翔は自分の肩に押し付けられた見知らぬリクルートスーツの鞄に無言で耐えていた。
左手には吊り革。右手はコートの内ポケットからそっとスマートフォンを取り出している。慣れた動きだった。車内の揺れに合わせて体重を少しだけ左足に移動させ、足の爪先でバランスを取る。視線を落とし、電源を入れる。
ロック画面の背景は、クラシック調のファンタジーイラスト。蒼穹の下、白銀の甲冑をまとった少年騎士が剣を掲げていた。顔は伏せ気味で、その横顔のわずかな線の角度さえ、悠翔には意味を持っていた。起動音が鳴る前に、彼は無意識に小さく息を吸っていた。
電子書籍アプリが自動で立ち上がり、前回の続きが開かれる。『黒星騎士団』第十二巻、第十八ページ。
見開きいっぱいに描かれているのは、風の吹きすさぶ戦場で、白いマントをなびかせながら立つレオナール皇子の姿だった。彼の瞳は前を見据え、その眼差しは何者にも揺るがない。背後には部下たち、敵軍、そして夜明けの曙光。
イヤホンからは何の音も流れていない。悠翔は、ただこのページを見つめながら、心の中でレオ様の声を再生していた。耳ではなく、胸の奥で響く声。記憶と感情と、ひとつの祈りのような感覚。
…それでも前を向く
その一言が、まるで自分に向けられたもののように思えて、肩の力がふと抜けた。ガタン、と電車が揺れ、周囲のざわめきが一瞬だけ強くなったが、悠翔の中にある空間は静まり返っていた。狭くて、苦しくて、誰の声も届かないこの通勤列車の中で、唯一息がしやすくなるのがこの瞬間だった。
彼の目に、うっすらと涙が浮かぶ。誰も気づかないし、誰も見ていない。だから隠す必要もない。
今日も、生き延びようと思えたのは、この一コマのおかげだった。
レオ様の背中は、自分にとって盾だった。現実の社会や、言葉の届かない人間関係や、自分自身の不甲斐なさに打ちのめされそうになるたび、彼の言葉と姿が立ち上がる。
…君のようになりたいわけじゃない。ただ、君のように、誰かを守る存在でありたい
レオ様の台詞のひとつを、悠翔は心の中でそっと繰り返した。駅のアナウンスが聞こえても、彼の思考はページの中にあった。
悠翔は、器用に指を動かしてページをスクロールさせる。左から右へ、セリフが流れ、戦闘シーンが進む。剣を交える音も、叫び声も、本には描かれていない。しかし、悠翔の頭の中には映像が浮かぶ。心のスクリーンには、アニメーションではない、文字と心の間を埋める“感覚”のようなものが立ち上がる。
隣のサラリーマンが少しだけ身をずらし、スマホの画面が覗かれそうになる。悠翔はさりげなく体を傾け、スマホの角度を変えた。別に見られて困るわけではない。困るのは、ここに映っている人物が“ただの漫画のキャラ”だと思われることだった。
彼にとって、レオ様は“存在”だった。架空のキャラではなく、心を預けた相手、人生を導く光源だった。たとえそれが誰にも見えない幻だったとしても、悠翔にとっては十分だった。
電車が次の駅に着いた。乗客の波が動き、少し空間が生まれる。悠翔はふと、車窓の外を見た。朝日が差し始めたビル群が、白く光っていた。街は今日も回っている。変わらず、人々が押し合い、何かを求めて急ぎ、時にすれ違い、時に傷ついていく。
彼はそっとスマホを閉じた。イヤホンをつけていない耳に、誰かのくしゃみが聞こえた。スーツの肩に少しだけ落ちていた髪の毛を払いながら、彼は一歩、つま先を引いて重心を戻す。
これが、自分の日常だった。いつも通り、レオ様の言葉を胸に抱えながら始まる朝。それだけで、今日もなんとか歩き出せる。
誰にも気づかれない尊さの中で、彼は確かに生きていた。満員電車の中で、誰かの背中を思いながら、自分の足で立っていた。
そしてそれが、どれほど奇跡のような時間だったかを、このときの彼はまだ知らなかった。
左手には吊り革。右手はコートの内ポケットからそっとスマートフォンを取り出している。慣れた動きだった。車内の揺れに合わせて体重を少しだけ左足に移動させ、足の爪先でバランスを取る。視線を落とし、電源を入れる。
ロック画面の背景は、クラシック調のファンタジーイラスト。蒼穹の下、白銀の甲冑をまとった少年騎士が剣を掲げていた。顔は伏せ気味で、その横顔のわずかな線の角度さえ、悠翔には意味を持っていた。起動音が鳴る前に、彼は無意識に小さく息を吸っていた。
電子書籍アプリが自動で立ち上がり、前回の続きが開かれる。『黒星騎士団』第十二巻、第十八ページ。
見開きいっぱいに描かれているのは、風の吹きすさぶ戦場で、白いマントをなびかせながら立つレオナール皇子の姿だった。彼の瞳は前を見据え、その眼差しは何者にも揺るがない。背後には部下たち、敵軍、そして夜明けの曙光。
イヤホンからは何の音も流れていない。悠翔は、ただこのページを見つめながら、心の中でレオ様の声を再生していた。耳ではなく、胸の奥で響く声。記憶と感情と、ひとつの祈りのような感覚。
…それでも前を向く
その一言が、まるで自分に向けられたもののように思えて、肩の力がふと抜けた。ガタン、と電車が揺れ、周囲のざわめきが一瞬だけ強くなったが、悠翔の中にある空間は静まり返っていた。狭くて、苦しくて、誰の声も届かないこの通勤列車の中で、唯一息がしやすくなるのがこの瞬間だった。
彼の目に、うっすらと涙が浮かぶ。誰も気づかないし、誰も見ていない。だから隠す必要もない。
今日も、生き延びようと思えたのは、この一コマのおかげだった。
レオ様の背中は、自分にとって盾だった。現実の社会や、言葉の届かない人間関係や、自分自身の不甲斐なさに打ちのめされそうになるたび、彼の言葉と姿が立ち上がる。
…君のようになりたいわけじゃない。ただ、君のように、誰かを守る存在でありたい
レオ様の台詞のひとつを、悠翔は心の中でそっと繰り返した。駅のアナウンスが聞こえても、彼の思考はページの中にあった。
悠翔は、器用に指を動かしてページをスクロールさせる。左から右へ、セリフが流れ、戦闘シーンが進む。剣を交える音も、叫び声も、本には描かれていない。しかし、悠翔の頭の中には映像が浮かぶ。心のスクリーンには、アニメーションではない、文字と心の間を埋める“感覚”のようなものが立ち上がる。
隣のサラリーマンが少しだけ身をずらし、スマホの画面が覗かれそうになる。悠翔はさりげなく体を傾け、スマホの角度を変えた。別に見られて困るわけではない。困るのは、ここに映っている人物が“ただの漫画のキャラ”だと思われることだった。
彼にとって、レオ様は“存在”だった。架空のキャラではなく、心を預けた相手、人生を導く光源だった。たとえそれが誰にも見えない幻だったとしても、悠翔にとっては十分だった。
電車が次の駅に着いた。乗客の波が動き、少し空間が生まれる。悠翔はふと、車窓の外を見た。朝日が差し始めたビル群が、白く光っていた。街は今日も回っている。変わらず、人々が押し合い、何かを求めて急ぎ、時にすれ違い、時に傷ついていく。
彼はそっとスマホを閉じた。イヤホンをつけていない耳に、誰かのくしゃみが聞こえた。スーツの肩に少しだけ落ちていた髪の毛を払いながら、彼は一歩、つま先を引いて重心を戻す。
これが、自分の日常だった。いつも通り、レオ様の言葉を胸に抱えながら始まる朝。それだけで、今日もなんとか歩き出せる。
誰にも気づかれない尊さの中で、彼は確かに生きていた。満員電車の中で、誰かの背中を思いながら、自分の足で立っていた。
そしてそれが、どれほど奇跡のような時間だったかを、このときの彼はまだ知らなかった。
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