オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始

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恋の相手はたったひとりでいい~ヨレヨレ課長とエリート部下、恋人になったあとがいちばんむずかしい

知らないままの、やさしさ

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昼下がりのオフィスは、穏やかな騒がしさに包まれていた。  
電話のベル、キーボードを叩く音、誰かが資料をめくる音。  
すべてが日常の風景の一部であり、そこに自分の居場所があることを、陽翔はごく自然に受け止めていた。

会議を終えたあと、コピー機の前で資料を整えていたときだった。  
ふとした視線の先に、佐倉の姿が映った。  
いつものように書類を手にしながら、営業部の一角を行き来している。  
けれど、なぜだろう。彼の足取りが、いつもより少しだけ重く見えた。

コピー機から紙が吐き出される音のなかで、陽翔は無意識に佐倉を目で追っていた。  
その視線が合いそうになった瞬間、佐倉がわずかに顔を逸らした。

陽翔の胸の奥で、小さなざらつきが生まれた。  
気のせいかと思った。けれど、それは一度や二度ではなかった。  
ここ数日、佐倉は以前のように気さくに話しかけてこない。  
ちょっとした雑談も、営業報告も、どこか必要最低限に抑えられているような気がする。

同じ空間にいるのに、なぜか距離がある。  
あからさまではないが、確実に“引かれている”と感じる瞬間が増えていた。

デスクに戻りながら、陽翔は胸の内で問いかけていた。

何か、気に障ることを言っただろうか。  
無意識に態度に出てしまったことがあっただろうか。  
それとも、榊と一緒にいるところを見られて、何か勘づかれたのだろうか。

そんなはずはない。  
社内では、これまで通り“主任と課長”として接している。  
プライベートの空気は持ち込まないようにしてきたつもりだった。

それでも、なぜか、佐倉の視線は以前よりも遠く感じられる。

陽翔はパソコンを開きながら、視界の隅で佐倉の席をちらりと見た。  
彼は黙々と書類に目を通していた。  
特に不機嫌そうな様子でもない。  
だが、話しかけようと思ったタイミングで、彼は立ち上がって給湯室の方へと歩き出した。

まただ。  
そう思った自分が少し情けなかった。

自分は、何も知らない。  
けれど、その“知らなさ”が、思いのほか胸に刺さる。

榊からも、特に何も言われていない。  
佐倉との会話の内容も、外出先でのやり取りも、まるでなかったことのように扱われている。

もちろん、恋人同士であっても、何もかもを報告し合う必要はない。  
けれど、佐倉が自分を避けるようになった理由を、榊が何か知っているのではないかと考えずにはいられなかった。

それを直接訊くこともできず、陽翔はただ、目の前のディスプレイに意識を戻した。

“知らないまま”のこの状況が、こんなにもやるせないなんて思っていなかった。

昼休み、いつものように一人でカフェに向かおうとしたとき、  
オフィスの入り口で佐倉とすれ違った。  
互いに軽く会釈を交わすだけで、言葉は交わさなかった。

その瞬間、陽翔は気づいてしまった。

佐倉は、やさしさで距離を置いている。

決して怒っているわけでも、冷たくなったわけでもない。  
むしろ、陽翔に何もさせないために、自分から離れていこうとしているのだと。

気づいた瞬間、陽翔の胸の奥で何かがひやりと冷たくなった。  
それは、罪悪感でも同情でもない。  
ただ、どうしようもない“理解”だった。

誰かが誰かを想い、その想いが報われずに終わるとき。  
そこには、言葉では説明できない寂しさと痛みがある。

自分も、過去にそういう想いをしたことがある。  
だからこそ、今の佐倉の表情に、痛いほど共感してしまった。

それでも、何も言えない。  
何もできない。  
陽翔はその優しさから目を逸らすしかなかった。

帰り際、オフィスのエレベーター前で、佐倉と再び鉢合わせた。  
先にエレベーターに乗った佐倉は、扉が閉まる直前、わずかに会釈をしてみせた。  
陽翔はそれにうなずき返すことしかできなかった。

知らないままの優しさは、時に残酷だ。  
けれど、それを優しさとして受け取るには、自分の心がまだ揺れすぎていた。

誰かの痛みを知らずに、穏やかに暮らしていくことはできる。  
でも、その穏やかさの裏に、誰かの静かな決意があることもまた、確かだった。
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