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おまけ:佐倉によるミニコラム《佐倉奏太のすみっこ観察録》 となりのヨレ課長と、橘主任と、コーヒーの香り
朝イチのネクタイが曲がっている人
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朝の出社時間帯。
本社ビルのロビーには、いつもどおりコーヒーの香りと革靴の音が満ちている。
この時間帯の空気が、けっこう好きだ。
まだ本格的に始動する前の、微妙な空白というか、余白のある感じ。
エレベーターの前で少し並ぶのも、誰かの「おはようございます」が後ろから聞こえるのも、悪くない。
そんな中で、ひときわ“変わらない”人がひとりいる。
うちの営業課長。あの人だ。
榊課長のネクタイは、だいたい朝イチで少しだけ曲がってる。
真横から見るとよく分かる。中心が、わずかに左寄り。
多分、寝癖を気にしているうちにズレたまま、鏡を通過してきているんだろう。
それにしても、あれだけ営業経験が長くて、人前に出ることも多い人が、
どうして毎朝そこを整えずに出社できるのか、不思議でならなかった。
……いや、昔は、僕もよく直してました。
関西支社時代。新人の僕は、緊張のあまり気づいたネクタイの曲がりをそのままにできなくて、
課長に「すみません、少し失礼します」って手を伸ばしてた。
あのときは、ただ“恥ずかしいから”直してた。
「この人、だらしないな」と思ってた節もあった。
でも今思えば、あれは多分、
“自分がこの人の隣にいていいんだ”って思いたかったんだと思う。
今では、その役目は別の人のものになった。
今朝も、ネクタイはやっぱり少し曲がっていた。
けれど、その五分後には、ちゃんとまっすぐになっていた。
僕は、廊下の奥からそれを見ていた。
主任が、無言で課長の前に立って、指先で結び目を整えるのを。
顔を近づけるわけでもなく、声をかけるわけでもなく、
ただ淡々と、当たり前のようにその仕草を繰り返す姿を。
不思議なもので、その光景には、恥じらいや照れよりも、圧倒的な信頼の匂いがあった。
“気になったから直す”じゃなくて、
“自分の役目だから直す”っていう、自然な流れ。
思わずコーヒー片手に立ち止まって、目を細めてしまった。
ああ、やっぱり、この人たちは今が一番いいんだなって。
何も言わなくても伝わる距離感。
“隣にいる”って、そういうことなんだろう。
そして、あのネクタイの曲がり方。
あれ、たぶんわざとじゃない。けれど、まったく無意識でもない気がする。
気づいてほしい、じゃないけど――どこかで、
「ちゃんと誰かが見てくれるはずだ」って、知ってる人の緩み方だ。
あの人の“ヨレ”は、誰かのやさしさを引き寄せるための、ひとつの愛嬌なのかもしれない。
きっちりしてないからこそ、誰かが“手を伸ばせる”。
無防備で、ちょっとだけ困ったところがあるから、支えたくなる。
課長の“愛され方”って、そういうところにあるんやと思う。
変わらない人だ。
きっとずっと、そういうふうに朝を迎えて、ネクタイを曲げてやってくるんだろう。
でも今は、その曲がりをまっすぐにしてくれる誰かが、ちゃんといる。
それが、うれしいなと思う。
人は、変わるんじゃなくて、
“変わらせてくれる誰か”がいるだけなんやと思う。
この朝のすみっこから、それを見られたことが、今日の僕のちょっとした幸せだ。
本社ビルのロビーには、いつもどおりコーヒーの香りと革靴の音が満ちている。
この時間帯の空気が、けっこう好きだ。
まだ本格的に始動する前の、微妙な空白というか、余白のある感じ。
エレベーターの前で少し並ぶのも、誰かの「おはようございます」が後ろから聞こえるのも、悪くない。
そんな中で、ひときわ“変わらない”人がひとりいる。
うちの営業課長。あの人だ。
榊課長のネクタイは、だいたい朝イチで少しだけ曲がってる。
真横から見るとよく分かる。中心が、わずかに左寄り。
多分、寝癖を気にしているうちにズレたまま、鏡を通過してきているんだろう。
それにしても、あれだけ営業経験が長くて、人前に出ることも多い人が、
どうして毎朝そこを整えずに出社できるのか、不思議でならなかった。
……いや、昔は、僕もよく直してました。
関西支社時代。新人の僕は、緊張のあまり気づいたネクタイの曲がりをそのままにできなくて、
課長に「すみません、少し失礼します」って手を伸ばしてた。
あのときは、ただ“恥ずかしいから”直してた。
「この人、だらしないな」と思ってた節もあった。
でも今思えば、あれは多分、
“自分がこの人の隣にいていいんだ”って思いたかったんだと思う。
今では、その役目は別の人のものになった。
今朝も、ネクタイはやっぱり少し曲がっていた。
けれど、その五分後には、ちゃんとまっすぐになっていた。
僕は、廊下の奥からそれを見ていた。
主任が、無言で課長の前に立って、指先で結び目を整えるのを。
顔を近づけるわけでもなく、声をかけるわけでもなく、
ただ淡々と、当たり前のようにその仕草を繰り返す姿を。
不思議なもので、その光景には、恥じらいや照れよりも、圧倒的な信頼の匂いがあった。
“気になったから直す”じゃなくて、
“自分の役目だから直す”っていう、自然な流れ。
思わずコーヒー片手に立ち止まって、目を細めてしまった。
ああ、やっぱり、この人たちは今が一番いいんだなって。
何も言わなくても伝わる距離感。
“隣にいる”って、そういうことなんだろう。
そして、あのネクタイの曲がり方。
あれ、たぶんわざとじゃない。けれど、まったく無意識でもない気がする。
気づいてほしい、じゃないけど――どこかで、
「ちゃんと誰かが見てくれるはずだ」って、知ってる人の緩み方だ。
あの人の“ヨレ”は、誰かのやさしさを引き寄せるための、ひとつの愛嬌なのかもしれない。
きっちりしてないからこそ、誰かが“手を伸ばせる”。
無防備で、ちょっとだけ困ったところがあるから、支えたくなる。
課長の“愛され方”って、そういうところにあるんやと思う。
変わらない人だ。
きっとずっと、そういうふうに朝を迎えて、ネクタイを曲げてやってくるんだろう。
でも今は、その曲がりをまっすぐにしてくれる誰かが、ちゃんといる。
それが、うれしいなと思う。
人は、変わるんじゃなくて、
“変わらせてくれる誰か”がいるだけなんやと思う。
この朝のすみっこから、それを見られたことが、今日の僕のちょっとした幸せだ。
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