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【出張】じゃない、社員旅行です~ヨレヨレ課長と理性ギリギリ主任の2日間
お湯の中の、その喉元
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「……ええ湯やなあ」
榊の声が、湯気の向こうから、のんびりと響いた。
温泉旅館の大浴場。
午後のチェックインを終えたばかりのタイミングで、まだ人もまばら。
陽翔は、湯船の縁に座ってタオルを絞りながら、その声の方向を見た。
榊は、湯船の中で目を細めていた。
髪は濡れたまま、額にかかる前髪が少しだけ垂れている。
肩まで湯に浸かり、首筋には水滴がゆっくりと伝っていた。
喉元。
鎖骨のあたり。
陽翔が普段、絶対に見ることのない角度と質感が、そこにあった。
湯気が曖昧に形をにじませているのに、榊の輪郭だけが、やけに鮮明に見える。
ぼうっとしていたのか。
それとも、単にこの人の“無防備さ”が、あまりにも自然だったせいか。
どちらにしても、陽翔は、目が離せなかった。
榊はふと、こちらを見た。
「あっちの湯、温度ちょっとぬるめやったで。お前、熱いの苦手やったか」
そのときの声。
湯気に湿った低い声が、喉の奥から掠れるように出た。
ゆっくりまばたきをしながら話すその仕草が、すこしだけ色気を含んでいて。
陽翔は、完全に言葉を失っていた。
無理、好きが漏れる。
どうして、ここまで何でもない空気で、
こんなに、ひとを揺らすのか。
ただ、いつも通りに座って、話しているだけ。
それだけなのに。
「……橘?」
「……な、んでもないです」
小さく首を振って、目をそらす。
湯船のタイルの模様に焦点を合わせようとするが、無理だった。
一度焼きついた榊の濡れた喉元と、緩んだ口元の映像が、脳内にこびりついて離れない。
今、自分の顔が赤いのは、湯気のせいではない。
たぶん、榊が気づいていないことに、陽翔は少しだけ救われた。
けれど、その“気づかれなさ”が、逆に焦りを増幅させる。
こんなに好きで、
こんなに視線を逸らせなくて、
それでも、“仕事の顔”で一緒にいようとしている自分が、滑稽だった。
湯の温度が少し高く感じられた。
榊がまた、肩をすくめる。
「お湯で、のぼせそうやったら、無理せんでええんやで」
「……課長が先にのぼせそうです」
「なんやそれ。お前の方が顔赤いぞ」
会話は普通に続いているはずなのに、
言葉のひとつひとつが、心臓の深いところをノックしていた。
陽翔はそっと立ち上がった。
「少し、外の風に当たってきます」
「おう、行ってこい。風呂上がりにポカリ買うといてや」
言葉を返しながら、榊がまた目を細める。
それが、“頼られている”のではなく、“自然に甘えられている”ことを示していて、
陽翔は、ますます逃げるように湯船を後にした。
---
その頃、洗い場の奥側では、佐倉と瀬戸が並んで座っていた。
佐倉は髪を洗い終えて、タオルで後頭部を拭きながら、ちらりと隣を見る。
「……瀬戸、頭、濡れたまんまやん。タオル、持ってきてる?」
瀬戸は無言でうなずいた。
が、手は動かず、ぼんやりと目を瞬いている。
「お前、固まってるやん。……ほら」
佐倉は自分のタオルを折り畳むと、躊躇なく瀬戸の頭に乗せた。
それは、何でもない動作。
なのに、瀬戸は目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
佐倉の手のひらが、軽く髪に触れた。
一瞬、空気が止まった。
「……すみません」
「なんで謝るんや。別に、たいしたことやないし」
「……いえ、うれしかったので。反応が変になりました」
佐倉は鼻先にかかった髪を指でよけて、顔をそらす。
「そんなん、普通に言うなや……」
照れが混ざったその声に、瀬戸はうっすら笑った。
その笑顔を、佐倉は見ないようにしていた。
たぶん、見たら、何かが変わる気がしていた。
---
湯気の立ちこめる男湯で、
ふたりの“まだ触れない距離”と、
もう一組の“触れてしまったら戻れない距離”が、交差していた。
温泉は、誰の心もあたためる。
ただしそれは、
“あたためる”以上のことを引き起こす、前触れでもあった。
榊の声が、湯気の向こうから、のんびりと響いた。
温泉旅館の大浴場。
午後のチェックインを終えたばかりのタイミングで、まだ人もまばら。
陽翔は、湯船の縁に座ってタオルを絞りながら、その声の方向を見た。
榊は、湯船の中で目を細めていた。
髪は濡れたまま、額にかかる前髪が少しだけ垂れている。
肩まで湯に浸かり、首筋には水滴がゆっくりと伝っていた。
喉元。
鎖骨のあたり。
陽翔が普段、絶対に見ることのない角度と質感が、そこにあった。
湯気が曖昧に形をにじませているのに、榊の輪郭だけが、やけに鮮明に見える。
ぼうっとしていたのか。
それとも、単にこの人の“無防備さ”が、あまりにも自然だったせいか。
どちらにしても、陽翔は、目が離せなかった。
榊はふと、こちらを見た。
「あっちの湯、温度ちょっとぬるめやったで。お前、熱いの苦手やったか」
そのときの声。
湯気に湿った低い声が、喉の奥から掠れるように出た。
ゆっくりまばたきをしながら話すその仕草が、すこしだけ色気を含んでいて。
陽翔は、完全に言葉を失っていた。
無理、好きが漏れる。
どうして、ここまで何でもない空気で、
こんなに、ひとを揺らすのか。
ただ、いつも通りに座って、話しているだけ。
それだけなのに。
「……橘?」
「……な、んでもないです」
小さく首を振って、目をそらす。
湯船のタイルの模様に焦点を合わせようとするが、無理だった。
一度焼きついた榊の濡れた喉元と、緩んだ口元の映像が、脳内にこびりついて離れない。
今、自分の顔が赤いのは、湯気のせいではない。
たぶん、榊が気づいていないことに、陽翔は少しだけ救われた。
けれど、その“気づかれなさ”が、逆に焦りを増幅させる。
こんなに好きで、
こんなに視線を逸らせなくて、
それでも、“仕事の顔”で一緒にいようとしている自分が、滑稽だった。
湯の温度が少し高く感じられた。
榊がまた、肩をすくめる。
「お湯で、のぼせそうやったら、無理せんでええんやで」
「……課長が先にのぼせそうです」
「なんやそれ。お前の方が顔赤いぞ」
会話は普通に続いているはずなのに、
言葉のひとつひとつが、心臓の深いところをノックしていた。
陽翔はそっと立ち上がった。
「少し、外の風に当たってきます」
「おう、行ってこい。風呂上がりにポカリ買うといてや」
言葉を返しながら、榊がまた目を細める。
それが、“頼られている”のではなく、“自然に甘えられている”ことを示していて、
陽翔は、ますます逃げるように湯船を後にした。
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その頃、洗い場の奥側では、佐倉と瀬戸が並んで座っていた。
佐倉は髪を洗い終えて、タオルで後頭部を拭きながら、ちらりと隣を見る。
「……瀬戸、頭、濡れたまんまやん。タオル、持ってきてる?」
瀬戸は無言でうなずいた。
が、手は動かず、ぼんやりと目を瞬いている。
「お前、固まってるやん。……ほら」
佐倉は自分のタオルを折り畳むと、躊躇なく瀬戸の頭に乗せた。
それは、何でもない動作。
なのに、瀬戸は目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
佐倉の手のひらが、軽く髪に触れた。
一瞬、空気が止まった。
「……すみません」
「なんで謝るんや。別に、たいしたことやないし」
「……いえ、うれしかったので。反応が変になりました」
佐倉は鼻先にかかった髪を指でよけて、顔をそらす。
「そんなん、普通に言うなや……」
照れが混ざったその声に、瀬戸はうっすら笑った。
その笑顔を、佐倉は見ないようにしていた。
たぶん、見たら、何かが変わる気がしていた。
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湯気の立ちこめる男湯で、
ふたりの“まだ触れない距離”と、
もう一組の“触れてしまったら戻れない距離”が、交差していた。
温泉は、誰の心もあたためる。
ただしそれは、
“あたためる”以上のことを引き起こす、前触れでもあった。
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