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君が他人にモテるなんて、聞いてない〜ヨレ課長、初めてのモヤモヤ嫉妬
ふたりで積み重ねたもの
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榊が自席に戻ったとき、フロアはすでに昼休憩の空気に包まれていた。
パソコンのスクリーンセーバーが静かに揺れていて、椅子に座るとその画面がぱっと切り替わった。
新着メールの通知がいくつか届いている。添付ファイル付きのものもある。
書類フォルダの中から、新規案件関連の資料を取り出し、手に取った。
今日中に目を通しておくべき内容だ。
スケジュール確認のため、机の端に置かれた社内回覧の文書にふと目を向ける。
その紙の上に、見慣れた名前があった。
「橘陽翔」
目にした瞬間、榊の指が止まった。
進行中案件の進捗確認報告。陽翔が担当するプロジェクトの進行状況が簡潔に記されている。
セラフィナ・リンク社との契約更新に関する進捗欄には、会議日程、提案構成案、ヒアリング結果の要約まで、実務的で要点を押さえた報告が並んでいた。
榊は何も言わずに、その文面を指でそっとなぞった。
印刷された文字をなぞるというより、その名前の感触だけを確かめるように。
橘陽翔。
あいつの字面が、ここにある。
誰かが書いた報告書の中に、担当者として名が記されている。
それが当たり前になりつつあることが、ほんの少しだけ不思議だった。
ほんの二年前まで、右も左もわからんような顔してたのに。
資料作成のフォーマットすらまともに扱えず、
「この図、どうやって作るんですか」なんて不器用な顔で聞いてきた。
電話の取次ぎで緊張しすぎて、声が震えていたあの頃。
クライアント先で初めてプレゼンをした日、ずっと手が震えていたのを、榊は気づかないふりをしていた。
最初に一緒に外回りに出た日、榊が運転しながら何気なく流したBGMに、「これ…なんですか?」と陽翔が尋ねた。
ただのジャズのアルバムだったが、榊は何となく「営業ってこういう音楽流すんか」と思ってるんやろな、と笑った記憶がある。
それが今では、誰よりも早く資料を作り、誰よりも丁寧に言葉を選び、
誰の前に出ても物怖じしない顔で話をするようになっている。
榊の目に映る陽翔は、確かに変わった。
変わったというより、成長した。
内側に持っていたものが、外に出るようになった。
それは嬉しいことだった。
教えた側として、背中を押した側として、何よりも誇りに思えることだった。
「最初に組んで営業に行った時は、声ちっちゃかったのになあ」
口に出してみると、その声が思いのほか静かだった。
誰にも聞かれないほどのつぶやき。
でも、自分にははっきり聞こえていた。
「いつの間にか、俺が何も言わんでも動けるようになってて……」
紙の端を指で折りながら、榊は視線を下げた。
もう、手を出すことも口を出すことも、少なくなった。
今の陽翔は、誰に見せても恥ずかしくない一人前の営業だ。
「……仕事してるお前、ほんまかっこええな」
そう思ったとき、自分の中にふと、言葉にしきれない感情が浮かんできた。
かっこいい。
でも、それだけじゃない。
その“かっこよさ”に、どこか寂しさが混ざっていた。
いつからだろう。
陽翔の背中を“遠い”と感じるようになったのは。
前は、横に並んで歩いていたはずだった。
同じ視線で、同じペースで。
多少の差があっても、それは埋められる距離だった。
でも今は、違う。
誰かの前で堂々と話す姿。
取引先の信頼を得て、社内でも一目置かれていること。
報告書の中に当たり前のように記されるその名前。
それが、榊の知らない“橘陽翔”になっていくような気がしていた。
その背中を、今も自分がちゃんと見ていられるのか。
あるいは、もう追いつけない場所まで行ってしまったのか。
手元の書類を閉じ、榊はひとつ息をついた。
そう思うのは、贅沢なんかもしれへんな。
自分で育てて、自分で背中を押して。
そのくせ、先に進まれると心細くなるなんて。
小さく笑いながら、指先で紙をまっすぐ整える。
でもたぶん、それは“先輩”の感情だけやない。
もっと、別のものが混じっている。
自分でもまだ名前をつけられないそれが、
胸の奥に、じんわりと残っていた。
パソコンのスクリーンセーバーが静かに揺れていて、椅子に座るとその画面がぱっと切り替わった。
新着メールの通知がいくつか届いている。添付ファイル付きのものもある。
書類フォルダの中から、新規案件関連の資料を取り出し、手に取った。
今日中に目を通しておくべき内容だ。
スケジュール確認のため、机の端に置かれた社内回覧の文書にふと目を向ける。
その紙の上に、見慣れた名前があった。
「橘陽翔」
目にした瞬間、榊の指が止まった。
進行中案件の進捗確認報告。陽翔が担当するプロジェクトの進行状況が簡潔に記されている。
セラフィナ・リンク社との契約更新に関する進捗欄には、会議日程、提案構成案、ヒアリング結果の要約まで、実務的で要点を押さえた報告が並んでいた。
榊は何も言わずに、その文面を指でそっとなぞった。
印刷された文字をなぞるというより、その名前の感触だけを確かめるように。
橘陽翔。
あいつの字面が、ここにある。
誰かが書いた報告書の中に、担当者として名が記されている。
それが当たり前になりつつあることが、ほんの少しだけ不思議だった。
ほんの二年前まで、右も左もわからんような顔してたのに。
資料作成のフォーマットすらまともに扱えず、
「この図、どうやって作るんですか」なんて不器用な顔で聞いてきた。
電話の取次ぎで緊張しすぎて、声が震えていたあの頃。
クライアント先で初めてプレゼンをした日、ずっと手が震えていたのを、榊は気づかないふりをしていた。
最初に一緒に外回りに出た日、榊が運転しながら何気なく流したBGMに、「これ…なんですか?」と陽翔が尋ねた。
ただのジャズのアルバムだったが、榊は何となく「営業ってこういう音楽流すんか」と思ってるんやろな、と笑った記憶がある。
それが今では、誰よりも早く資料を作り、誰よりも丁寧に言葉を選び、
誰の前に出ても物怖じしない顔で話をするようになっている。
榊の目に映る陽翔は、確かに変わった。
変わったというより、成長した。
内側に持っていたものが、外に出るようになった。
それは嬉しいことだった。
教えた側として、背中を押した側として、何よりも誇りに思えることだった。
「最初に組んで営業に行った時は、声ちっちゃかったのになあ」
口に出してみると、その声が思いのほか静かだった。
誰にも聞かれないほどのつぶやき。
でも、自分にははっきり聞こえていた。
「いつの間にか、俺が何も言わんでも動けるようになってて……」
紙の端を指で折りながら、榊は視線を下げた。
もう、手を出すことも口を出すことも、少なくなった。
今の陽翔は、誰に見せても恥ずかしくない一人前の営業だ。
「……仕事してるお前、ほんまかっこええな」
そう思ったとき、自分の中にふと、言葉にしきれない感情が浮かんできた。
かっこいい。
でも、それだけじゃない。
その“かっこよさ”に、どこか寂しさが混ざっていた。
いつからだろう。
陽翔の背中を“遠い”と感じるようになったのは。
前は、横に並んで歩いていたはずだった。
同じ視線で、同じペースで。
多少の差があっても、それは埋められる距離だった。
でも今は、違う。
誰かの前で堂々と話す姿。
取引先の信頼を得て、社内でも一目置かれていること。
報告書の中に当たり前のように記されるその名前。
それが、榊の知らない“橘陽翔”になっていくような気がしていた。
その背中を、今も自分がちゃんと見ていられるのか。
あるいは、もう追いつけない場所まで行ってしまったのか。
手元の書類を閉じ、榊はひとつ息をついた。
そう思うのは、贅沢なんかもしれへんな。
自分で育てて、自分で背中を押して。
そのくせ、先に進まれると心細くなるなんて。
小さく笑いながら、指先で紙をまっすぐ整える。
でもたぶん、それは“先輩”の感情だけやない。
もっと、別のものが混じっている。
自分でもまだ名前をつけられないそれが、
胸の奥に、じんわりと残っていた。
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