オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始

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奏太さん、もっと近くにいてもいいですか~不器用で優しい君の、はじめての夜

言葉よりも、近づけるものがある

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目と目が合ったまま、時間が止まったように感じられた。  
部屋のなかは静まり返り、わずかな光がふたりの表情をやさしく照らす。  
佐倉の手を握ったまま、瀬戸は何かを言おうとして、ほんの少しだけ躊躇したように唇を開きかけて、また閉じる。  

その仕草ひとつで、佐倉には瀬戸の中にある揺れが分かった。  
言葉にするということ。  
それがどれだけ慎重に選ばれて、どれだけまっすぐ向けられようとしているのかが、伝わってくる。  

薄明の光に照らされた瞳の奥で、なにかが決意のように静かに灯る。  
そして、もう一度瀬戸が口を開いた。  

「……好きです、奏太さん」  

その一言は、ただ静かだった。  
けれど、やけに深く、耳の奥に届いた。  
佐倉の心臓が、反射的にひとつ大きく脈打つ。  

瀬戸の目は逸れない。  
真っ直ぐに、ただ佐倉を見ている。  

「俺、ちゃんと、触れたいです」  

息を呑むような、その言葉の重み。  
“触れる”という動詞に込められたものが、どれだけ繊細で、どれだけ慎重に選ばれたかを、佐倉はすぐに察した。  

ただの衝動じゃない。  
今すぐに何かを奪いたいという欲でもない。  

その声の奥にあったのは、  
“あなたに触れることで、ようやく恋人になれる気がする”  
という、あまりにも真摯な気持ちだった。  

佐倉は何も言わずに瀬戸の目を見つめ返した。  
視線を逸らそうと思えばできた。  
けれど、逸らしたくなかった。  

どこかで胸の奥がざわついている。  
この歳になって、誰かからこんな風に想われることがあるなんて、ずっと思っていなかった。  

誰かと一緒にいたとしても、それはどこか不確かで、どこか遠慮がつきまとう関係ばかりだった。  

けれど今、自分の手を握っている瀬戸の掌には、そんな余白がなかった。  
この手に、まっすぐな気持ちが乗っている。  
ただ“好き”という感情だけで、自分を包もうとしてくれている。  

「……やさしくしてな?」  

ようやく言葉にした声は、思ったよりも小さくなった。  
けれど、それは精いっぱいの肯定だった。  

瀬戸のまぶたがわずかに震えた。  
安心したような、緊張が解けたような、そんな微細な揺れ。  

そして、佐倉の手を握っていた指先に、ほんの少しだけ力がこもる。  
きつくもなく、緩くもない。  
意思をもって触れてくるその感触が、心まで包んでくれるようだった。  

そのまま、瀬戸の顔がゆっくりと近づく。  
佐倉は、何も言わずにそれを受け入れる。  
まぶたを閉じようとはせず、ただ瀬戸の瞳を見た。  

部屋の空気が、ぴたりと張り詰める。  
でも、それは息苦しいものではなく、心地よい静けさだった。  

ふたりの額が触れる距離まで近づいたとき、佐倉の指先が、ゆっくりと瀬戸のシャツの裾をつかむ。  
今夜、初めて互いの身体に触れるという事実が、ようやく“現実”として胸の奥に落ちてくる。  

触れることの意味。  
それが、ただの行為ではないことを、ふたりともちゃんと分かっていた。  

瀬戸の手が、佐倉の頬に触れた。  
温かく、柔らかく、そしてとても慎重だった。  

その指先が、まるで問うように頬をなぞる。  
本当に大丈夫か。  
嫌じゃないか。  
怖くないか。  

何も言わないけれど、すべてが指先に込められていた。  

佐倉はその手に頬を預けるように、わずかに顔を傾けた。  
そして、囁くように言った。  

「……せやから言うたやろ。やさしくしてって」  

その言葉に、瀬戸の喉がかすかに上下する。  
けれど、返事はなかった。  

代わりに、唇がそっと近づいてくる。  
キスというよりも、ただ息が触れる距離まで。  

互いの吐息が交わる。  
それだけで、心臓がまた一つ強く跳ねた。  

このまま何も言わずに時間が止まればいい。  
そんなふうに思う瞬間と、  
今この時間を、最後までちゃんと受け止めたいという思いが、交差する。  

そっと触れる、唇。  
重ねたそれは、深くも強くもない。  

けれど、ふたりにとっては十分だった。  
ようやく、ここから始まるという実感が、胸に満ちていた。  

身体の間にあった静かな距離が、ゆっくりとほどけていく。  
まるで、長い夜の沈黙をようやく破るように。  

それは、恋人として本当の意味で触れ合う、最初の瞬間だった。
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