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第3章 魔導PC、起動せよ
表で変わる、人と場の風景
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朝のギルド談話室は、いつもよりざわついていた。
石造りの壁に囲まれたこの空間は、本来であれば各隊の連絡や軽い食事、情報交換のために用いられる場所だった。
だが今朝は、会話の内容が少し違っていた。
目立つのは、繰り返し聞こえるひとつの単語だった。
「表ってどれ?」
「例の“勇者の図”のことじゃねぇの?」
「ほら、昨日ガルドたちがなんか書き込んでたやつだろ。あれ、図で会議してたらしいぞ」
低く抑えた声と、好奇心に浮ついた視線が交差する。
一部の者たちはこっそりその“表”とやらを見たくて、用もないのにガルドやユナの出入りを待ち構えていた。
その光景を、田所は一段下がった壁際の席から静かに見ていた。
まだ朝食すら取っていない。
カップの中のぬるいお茶を時折口に含みながら、彼は周囲の空気の変化を感じ取っていた。
昨夜の段取り会議は、彼にとっても一つの挑戦だった。
計画を“見える形”にし、それを“共有”するという、異世界では未だ根づいていない感覚。
それが今、確実に波紋を広げていた。
「“討伐開始(目標地点)”って書いてあったらしいぜ。しかも時間指定で」
「マジかよ、俺んとこなんて“行け”しか言われねぇぞ。
しかもリーダー、寝坊してたしな」
「……それはそれで問題だと思うけどな」
ぽつぽつと聞こえてくるその会話は、どれも驚きと軽い嫉妬、そして新しいものへの好奇心で成り立っていた。
田所はカップを置き、ふぅと息を吐いた。
全部を変えることは、たぶん無理だ。
この世界にはこの世界の“やり方”があるし、“慣習”が根を張っている。
魔法や戦術、身分制や信用の構造、そのどれもが時間をかけて出来上がったものだ。
それを、たった一人の転生者が根こそぎ覆せるとは思っていない。
けれど――
「言葉と図があれば、ちょっとずつ変えていける気がする」
それが、今の田所の正直な気持ちだった。
表は、ただの道具だ。
だが、その道具に意味を与えるのは、人の目線であり、関係であり、時間だ。
昨日の段取り会議で、ガルドが表に名前を書いたときの、あの少し照れたような誇らしげな顔。
ユナが“もう一枚ほしい”と真剣に言ったときの、あの目の奥の光。
リゼットが、内容の整合性を確認する指先の動き。
どれもが、田所の心に深く刻まれていた。
そうしたものが、少しずつ場の空気を変えていく。
誰かが真剣になれば、次の誰かも自然と背筋を伸ばす。
その連鎖のために“見える仕組み”を作るのが、自分の役割かもしれない。
「朝から人気ですね、“あなたの表”」
声がして、顔を上げると、リゼットがそこに立っていた。
ローブの裾を軽く引き、彼女は田所の隣の椅子に静かに腰を下ろす。
目元に眠気の色はなく、すでに一日の準備は万全といった風だった。
「まぁ…これが話題になるとは思ってませんでしたけどね。
昨日の夜まで、ただの仕事道具だったのに」
「ただの道具。けれど、あなたの“使い方”がそれを意味あるものにしている。
私たちは、“使い方”を知らなかっただけです」
リゼットはそう言って、談話室のざわつきを一瞥した。
他の隊員たちは、まだ遠巻きに“表”の存在を噂している。
だが、それはもう“未知”ではなく、“知りたい何か”になりつつあった。
「あなたの“道具”は、私たちが持ち得なかった魔法の一つかもしれませんね」
その言葉は、どこか寂しげでもあった。
自分たちの世界に存在しなかった概念。
それを“異界の者”が持ち込み、あっさりと見せてくれたことに対する、複雑な感情。
田所はゆっくり首を振った。
「これは、魔法じゃないですよ。
ただの反復です。繰り返して、記録して、ちょっと整理しただけ。
何度もやってたら、勝手に形になっただけです」
「だからこそ、かもしれません」
リゼットは少しだけ微笑んだ。
その顔を見て、田所も肩の力を抜くように息を吐いた。
談話室の奥で、誰かが叫んでいた。
「おい、リーダー! うちも“図”作ってくれよ!
あれ、見てたらなんか強そうだったぞ!」
笑い声が混じり、いくつかの隊がざわざわと反応する。
それはまだ“流行”の一歩手前。
けれど、この空気は確かに動いていた。
田所は立ち上がり、残ったお茶を一気に飲み干した。
ノートパソコンの入った革袋を肩にかけながら、リゼットに向かって言う。
「じゃあ、今日も段取りから始めましょうか」
「ええ。今日もあなたの“魔法”に頼ります」
そう言って歩き出したふたりの背中に、談話室の光が柔らかく差し込んでいた。
まだほんの小さな変化。
けれどそれは、確かに“場”を動かす魔法だった。
そしてその魔法の名は、今日も表として、机の上に広がろうとしていた。
石造りの壁に囲まれたこの空間は、本来であれば各隊の連絡や軽い食事、情報交換のために用いられる場所だった。
だが今朝は、会話の内容が少し違っていた。
目立つのは、繰り返し聞こえるひとつの単語だった。
「表ってどれ?」
「例の“勇者の図”のことじゃねぇの?」
「ほら、昨日ガルドたちがなんか書き込んでたやつだろ。あれ、図で会議してたらしいぞ」
低く抑えた声と、好奇心に浮ついた視線が交差する。
一部の者たちはこっそりその“表”とやらを見たくて、用もないのにガルドやユナの出入りを待ち構えていた。
その光景を、田所は一段下がった壁際の席から静かに見ていた。
まだ朝食すら取っていない。
カップの中のぬるいお茶を時折口に含みながら、彼は周囲の空気の変化を感じ取っていた。
昨夜の段取り会議は、彼にとっても一つの挑戦だった。
計画を“見える形”にし、それを“共有”するという、異世界では未だ根づいていない感覚。
それが今、確実に波紋を広げていた。
「“討伐開始(目標地点)”って書いてあったらしいぜ。しかも時間指定で」
「マジかよ、俺んとこなんて“行け”しか言われねぇぞ。
しかもリーダー、寝坊してたしな」
「……それはそれで問題だと思うけどな」
ぽつぽつと聞こえてくるその会話は、どれも驚きと軽い嫉妬、そして新しいものへの好奇心で成り立っていた。
田所はカップを置き、ふぅと息を吐いた。
全部を変えることは、たぶん無理だ。
この世界にはこの世界の“やり方”があるし、“慣習”が根を張っている。
魔法や戦術、身分制や信用の構造、そのどれもが時間をかけて出来上がったものだ。
それを、たった一人の転生者が根こそぎ覆せるとは思っていない。
けれど――
「言葉と図があれば、ちょっとずつ変えていける気がする」
それが、今の田所の正直な気持ちだった。
表は、ただの道具だ。
だが、その道具に意味を与えるのは、人の目線であり、関係であり、時間だ。
昨日の段取り会議で、ガルドが表に名前を書いたときの、あの少し照れたような誇らしげな顔。
ユナが“もう一枚ほしい”と真剣に言ったときの、あの目の奥の光。
リゼットが、内容の整合性を確認する指先の動き。
どれもが、田所の心に深く刻まれていた。
そうしたものが、少しずつ場の空気を変えていく。
誰かが真剣になれば、次の誰かも自然と背筋を伸ばす。
その連鎖のために“見える仕組み”を作るのが、自分の役割かもしれない。
「朝から人気ですね、“あなたの表”」
声がして、顔を上げると、リゼットがそこに立っていた。
ローブの裾を軽く引き、彼女は田所の隣の椅子に静かに腰を下ろす。
目元に眠気の色はなく、すでに一日の準備は万全といった風だった。
「まぁ…これが話題になるとは思ってませんでしたけどね。
昨日の夜まで、ただの仕事道具だったのに」
「ただの道具。けれど、あなたの“使い方”がそれを意味あるものにしている。
私たちは、“使い方”を知らなかっただけです」
リゼットはそう言って、談話室のざわつきを一瞥した。
他の隊員たちは、まだ遠巻きに“表”の存在を噂している。
だが、それはもう“未知”ではなく、“知りたい何か”になりつつあった。
「あなたの“道具”は、私たちが持ち得なかった魔法の一つかもしれませんね」
その言葉は、どこか寂しげでもあった。
自分たちの世界に存在しなかった概念。
それを“異界の者”が持ち込み、あっさりと見せてくれたことに対する、複雑な感情。
田所はゆっくり首を振った。
「これは、魔法じゃないですよ。
ただの反復です。繰り返して、記録して、ちょっと整理しただけ。
何度もやってたら、勝手に形になっただけです」
「だからこそ、かもしれません」
リゼットは少しだけ微笑んだ。
その顔を見て、田所も肩の力を抜くように息を吐いた。
談話室の奥で、誰かが叫んでいた。
「おい、リーダー! うちも“図”作ってくれよ!
あれ、見てたらなんか強そうだったぞ!」
笑い声が混じり、いくつかの隊がざわざわと反応する。
それはまだ“流行”の一歩手前。
けれど、この空気は確かに動いていた。
田所は立ち上がり、残ったお茶を一気に飲み干した。
ノートパソコンの入った革袋を肩にかけながら、リゼットに向かって言う。
「じゃあ、今日も段取りから始めましょうか」
「ええ。今日もあなたの“魔法”に頼ります」
そう言って歩き出したふたりの背中に、談話室の光が柔らかく差し込んでいた。
まだほんの小さな変化。
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そしてその魔法の名は、今日も表として、机の上に広がろうとしていた。
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