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第7章 発見されし“書”と誤解のはじまり
グチの書、出回る
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昼下がりのギルド談話室は、いつもより少し騒がしかった。
訓練を終えた冒険者たちが水を飲み、職員たちが帳簿の確認をしている。
それぞれがいつものように午後の業務をこなすなか、一つの小さな異物が、場の空気を変えていた。
それは、一冊の小冊子だった。
職員のラトが、それを手にしていた。
表紙は地味だが、手触りの良い厚紙。端は金のラインで飾られ、見慣れない紋章が中央に刻まれている。
紋章の上には、読みやすい活字体でこう記されていた。
《グチの書 I》
発行:セントラーデ魔導写本印刷所
ラトはゆっくりとページをめくった。
見開き一ページに一文だけ、整ったレイアウトで言葉が並んでいる。
文字の下には丁寧な注釈があり、ところどころにルビが振られていた。
装飾的な枠が言葉を囲み、古代語調の文体で、まるで経典のように仕上がっている。
それを覗き込んだ別の職員が、目を丸くした。
「……おい、これ……田所さんの……?」
ラトは頷いた。
「たぶん、そう。見覚えある言い回しだし、文体がまんま“マジで無理.txt”のやつだ」
数ページ、無言でめくる。
《朝一でって言うなら、まず寝ろよ》
《直感で動けるのは天才だけ。俺たちはエクセルで考える》
《忙しい人に仕事が集まるのは、“暇な人は信用されてない”ってことだ》
そのたびに周囲がざわめく。
「……沁みる……」
「それな……まじそれな……」
「これ、今朝の自分に見せたい」
とある鍛冶職人が、道具の手入れを止めて小冊子を手に取った。
ごつごつとした手が、紙の質感を確かめるようにページをなぞる。
彼は一文を読んだあと、静かに呟いた。
「これ……俺の人生そのものじゃねえか……」
目の端がわずかに潤んでいた。
周囲の者が何か言いかけたが、言葉が出なかった。
一方、端の席では聖職者が神妙な顔つきでページを繰っていた。
「これは……労働の意味を問い直す一冊……。
人がなぜ働き、どう報われるべきか、明確に指し示している。
“日報の中身が、上司の未読スキルに吸い込まれる”というこの一節……これは、“報われぬ祈り”の象徴だ……」
すでに解釈が飛躍し始めていた。
さらに別のテーブルでは、年端もいかない子どもが、小冊子を逆さにしながら親に尋ねていた。
「これ、“働いたら負け”って書いてある?」
すぐさま近くの大人が訂正に入る。
「違う、それは文脈だ。そこだけ切り取るな。話の流れがあるんだよ」
「ふーん、でも“働きすぎると魂が減る”ってあるよ?」
「……それは、まあ……事実かもな」
一部の職員は机の上に冊子を置いて、手帳にメモを取り始めていた。
引用されたページに付箋を貼り、「これは月例会議で使えそう」「標語にしたい」と言い合っている。
誰がこの冊子を印刷したのか、どこから来たのか、正確には誰も分からなかった。
だが、ページ下部には確かにこう記されている。
《選句・編纂:匿名(実務者)》
その一文が、かえって人々の想像をかき立てた。
「これはきっと、実務の最前線にいる“誰か”が書いた言葉だ」
「言葉の端々に、疲労と希望の入り混じった匂いがする」
「まさに働く者の祈りだ……」
いつの間にか、小冊子は談話室の中心に置かれ、周囲に人が集まっていた。
ページを開くたびに、誰かがふっと笑い、誰かが頷き、誰かが「それな……」と低く呟く。
それはまるで、共通言語だった。
そして、冊子の最終ページに記された一文。
《働いていると、“何もない一日”が、どれだけすごいか忘れてしまう。
それを、たまには思い出したほうがいい》
その言葉が、誰の心にも残っていた。
印刷された一冊の紙の束が、まるで経典のように、人々の手を渡り歩き始めていた。
まだ誰も、それが“愚痴”から始まったと信じようとはしていなかった。
訓練を終えた冒険者たちが水を飲み、職員たちが帳簿の確認をしている。
それぞれがいつものように午後の業務をこなすなか、一つの小さな異物が、場の空気を変えていた。
それは、一冊の小冊子だった。
職員のラトが、それを手にしていた。
表紙は地味だが、手触りの良い厚紙。端は金のラインで飾られ、見慣れない紋章が中央に刻まれている。
紋章の上には、読みやすい活字体でこう記されていた。
《グチの書 I》
発行:セントラーデ魔導写本印刷所
ラトはゆっくりとページをめくった。
見開き一ページに一文だけ、整ったレイアウトで言葉が並んでいる。
文字の下には丁寧な注釈があり、ところどころにルビが振られていた。
装飾的な枠が言葉を囲み、古代語調の文体で、まるで経典のように仕上がっている。
それを覗き込んだ別の職員が、目を丸くした。
「……おい、これ……田所さんの……?」
ラトは頷いた。
「たぶん、そう。見覚えある言い回しだし、文体がまんま“マジで無理.txt”のやつだ」
数ページ、無言でめくる。
《朝一でって言うなら、まず寝ろよ》
《直感で動けるのは天才だけ。俺たちはエクセルで考える》
《忙しい人に仕事が集まるのは、“暇な人は信用されてない”ってことだ》
そのたびに周囲がざわめく。
「……沁みる……」
「それな……まじそれな……」
「これ、今朝の自分に見せたい」
とある鍛冶職人が、道具の手入れを止めて小冊子を手に取った。
ごつごつとした手が、紙の質感を確かめるようにページをなぞる。
彼は一文を読んだあと、静かに呟いた。
「これ……俺の人生そのものじゃねえか……」
目の端がわずかに潤んでいた。
周囲の者が何か言いかけたが、言葉が出なかった。
一方、端の席では聖職者が神妙な顔つきでページを繰っていた。
「これは……労働の意味を問い直す一冊……。
人がなぜ働き、どう報われるべきか、明確に指し示している。
“日報の中身が、上司の未読スキルに吸い込まれる”というこの一節……これは、“報われぬ祈り”の象徴だ……」
すでに解釈が飛躍し始めていた。
さらに別のテーブルでは、年端もいかない子どもが、小冊子を逆さにしながら親に尋ねていた。
「これ、“働いたら負け”って書いてある?」
すぐさま近くの大人が訂正に入る。
「違う、それは文脈だ。そこだけ切り取るな。話の流れがあるんだよ」
「ふーん、でも“働きすぎると魂が減る”ってあるよ?」
「……それは、まあ……事実かもな」
一部の職員は机の上に冊子を置いて、手帳にメモを取り始めていた。
引用されたページに付箋を貼り、「これは月例会議で使えそう」「標語にしたい」と言い合っている。
誰がこの冊子を印刷したのか、どこから来たのか、正確には誰も分からなかった。
だが、ページ下部には確かにこう記されている。
《選句・編纂:匿名(実務者)》
その一文が、かえって人々の想像をかき立てた。
「これはきっと、実務の最前線にいる“誰か”が書いた言葉だ」
「言葉の端々に、疲労と希望の入り混じった匂いがする」
「まさに働く者の祈りだ……」
いつの間にか、小冊子は談話室の中心に置かれ、周囲に人が集まっていた。
ページを開くたびに、誰かがふっと笑い、誰かが頷き、誰かが「それな……」と低く呟く。
それはまるで、共通言語だった。
そして、冊子の最終ページに記された一文。
《働いていると、“何もない一日”が、どれだけすごいか忘れてしまう。
それを、たまには思い出したほうがいい》
その言葉が、誰の心にも残っていた。
印刷された一冊の紙の束が、まるで経典のように、人々の手を渡り歩き始めていた。
まだ誰も、それが“愚痴”から始まったと信じようとはしていなかった。
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