32 / 92
第7章 発見されし“書”と誤解のはじまり
作者、否定に追われる
しおりを挟む
ギルド本部の前に、なぜか人が集まっていた。
朝の日差しが石畳を照らし、やや暖かみを帯びた風が吹いている。
だが、その穏やかな光景の中心にいる田所の心中は、まるで違う温度だった。
「ちょっと待ってください、これはどういう状況ですか」
田所の声は静かだったが、語尾に微かな動揺が混じっていた。
彼の前には、見慣れぬ衣服の者たちが集まっていた。
数人は羽ペンと羊皮紙を持ち、もう数人は魔導録音具らしき小型装置を掲げている。
王都から来たという取材官吏と報道職員――異世界なりの“メディア”のような存在だ。
「お噂はかねがね。ぜひ本日、お話を伺いたく」
「“グチの書”の思想的背景について、一問だけでも」
そう言って、一人の女官が紙を差し出す。
その手元には、しっかりと綴じられた冊子があり、表紙には見覚えのあるタイトル。
《グチの書 I》
発行:セントラーデ魔導写本印刷所
田所は、片手で額を押さえた。
「……本当に出回ってるんですね、これ。
しかも“思想的背景”って、何なんですかその前提」
だが、彼の言葉など誰も聞いちゃいなかった。
「この、“誰かがやってくれるだろう、は永遠にやってこない”という一文、
これは“自己責任社会”への批判と捉えてよろしいでしょうか?」
「“俺たちはエクセルで考える”という表現は、
定型化された論理思考の普及を意味していると解釈されます。
これはつまり、“思考構造の民主化”を意図されていたのでは?」
「“SUM関数は祈り”という一節がございますが、これは新しい宗教的視座ですか?」
田所は何度かまばたきをした。
「いや、それ全部、“会議中に腹立って打ち込んだやつ”なんですけど。
思考構造も民主化も意図してないです。
怒りと疲れを、ただ、キーボードにぶつけただけでして……」
それでも、誰も手を止めなかった。
「……そうした“無意識的表現”がかえって読者の心を打った、という意見もあります」
「原初の言葉には、時に意図を超えた真理が宿るとされます。
この書がそれに該当する、という説も――」
「違うってば。ほんとに、違うんですよ。
昨日の夜、マジで保存しようとして間違えてCtrl + P(プリントアウトのショートカットキー)押して、ヤギが起きちゃって、
で、勝手に印刷されて、そしたら誰かが持ってったみたいで……」
田所は必死に弁明を続けたが、前列の一人がふと立ち上がり、冊子を胸に抱えながら感慨深げに言った。
「これが……知の遺産か」
「いや、だから知の遺産じゃなくて……俺の“つぶやきメモ”ですってば」
もう一人が畳みかける。
「“無理です”“知りません”“なんとかなりません”――
これらが“拒否の形式美”として確立されていると感じます。
この拒絶の潔さこそ、現代労働者の魂を象徴しているのでは?」
「違うんですよ、ほんとに。
むしろ“もう誰か助けて”って気持ちで書いてたんですよ、これ!」
後ろからは、ギルドの若手職員が慌てて駆け寄ってきて囁いた。
「田所さん……あの、“グチの書II”の編集会議が今日、開かれるそうです。
王都の印刷ギルドから、“続編希望者多数”だとかで……」
「続編!? 書いてないですよ!? “マジで無理.txt”は、もう愚痴残ってないですよ!?」
周囲はすでに、彼の言葉など“文脈”の一部としか見なしていなかった。
あくまで、次の言葉を導き出すための“引用句”のような扱いで、空気が動いている。
誰かがメモを取りながら呟いた。
「“会議中に腹立って打ち込んだやつ”……
これはまた、なんとも生々しいフレーズですね。
第四章のタイトル候補にしておきましょうか?」
「いやそれを正式タイトルにしないでくださいお願いだから……!」
だが、返事の代わりに、印刷業者らしき人物が小さく頷いた。
「句読点の位置も、原本のままに。
“リアリティが大事”ですので」
田所はとうとう膝に手をついて、頭を抱えた。
「間違ってCtrl + Pしただけですからね!?
再印刷の意図とか、拡散の希望とか、一切なかったからね!?」
朝の陽差しはなお穏やかで、鳥の声も響いていた。
だが、その中心にいる一人の男の心は、異様なほどに騒がしく、報われず、そしてほんの少し、もう諦め始めていた。
それが“思想家田所”誕生の瞬間だった。
彼自身がもっとも望んでいなかった、あまりにやるせないかたちで。
朝の日差しが石畳を照らし、やや暖かみを帯びた風が吹いている。
だが、その穏やかな光景の中心にいる田所の心中は、まるで違う温度だった。
「ちょっと待ってください、これはどういう状況ですか」
田所の声は静かだったが、語尾に微かな動揺が混じっていた。
彼の前には、見慣れぬ衣服の者たちが集まっていた。
数人は羽ペンと羊皮紙を持ち、もう数人は魔導録音具らしき小型装置を掲げている。
王都から来たという取材官吏と報道職員――異世界なりの“メディア”のような存在だ。
「お噂はかねがね。ぜひ本日、お話を伺いたく」
「“グチの書”の思想的背景について、一問だけでも」
そう言って、一人の女官が紙を差し出す。
その手元には、しっかりと綴じられた冊子があり、表紙には見覚えのあるタイトル。
《グチの書 I》
発行:セントラーデ魔導写本印刷所
田所は、片手で額を押さえた。
「……本当に出回ってるんですね、これ。
しかも“思想的背景”って、何なんですかその前提」
だが、彼の言葉など誰も聞いちゃいなかった。
「この、“誰かがやってくれるだろう、は永遠にやってこない”という一文、
これは“自己責任社会”への批判と捉えてよろしいでしょうか?」
「“俺たちはエクセルで考える”という表現は、
定型化された論理思考の普及を意味していると解釈されます。
これはつまり、“思考構造の民主化”を意図されていたのでは?」
「“SUM関数は祈り”という一節がございますが、これは新しい宗教的視座ですか?」
田所は何度かまばたきをした。
「いや、それ全部、“会議中に腹立って打ち込んだやつ”なんですけど。
思考構造も民主化も意図してないです。
怒りと疲れを、ただ、キーボードにぶつけただけでして……」
それでも、誰も手を止めなかった。
「……そうした“無意識的表現”がかえって読者の心を打った、という意見もあります」
「原初の言葉には、時に意図を超えた真理が宿るとされます。
この書がそれに該当する、という説も――」
「違うってば。ほんとに、違うんですよ。
昨日の夜、マジで保存しようとして間違えてCtrl + P(プリントアウトのショートカットキー)押して、ヤギが起きちゃって、
で、勝手に印刷されて、そしたら誰かが持ってったみたいで……」
田所は必死に弁明を続けたが、前列の一人がふと立ち上がり、冊子を胸に抱えながら感慨深げに言った。
「これが……知の遺産か」
「いや、だから知の遺産じゃなくて……俺の“つぶやきメモ”ですってば」
もう一人が畳みかける。
「“無理です”“知りません”“なんとかなりません”――
これらが“拒否の形式美”として確立されていると感じます。
この拒絶の潔さこそ、現代労働者の魂を象徴しているのでは?」
「違うんですよ、ほんとに。
むしろ“もう誰か助けて”って気持ちで書いてたんですよ、これ!」
後ろからは、ギルドの若手職員が慌てて駆け寄ってきて囁いた。
「田所さん……あの、“グチの書II”の編集会議が今日、開かれるそうです。
王都の印刷ギルドから、“続編希望者多数”だとかで……」
「続編!? 書いてないですよ!? “マジで無理.txt”は、もう愚痴残ってないですよ!?」
周囲はすでに、彼の言葉など“文脈”の一部としか見なしていなかった。
あくまで、次の言葉を導き出すための“引用句”のような扱いで、空気が動いている。
誰かがメモを取りながら呟いた。
「“会議中に腹立って打ち込んだやつ”……
これはまた、なんとも生々しいフレーズですね。
第四章のタイトル候補にしておきましょうか?」
「いやそれを正式タイトルにしないでくださいお願いだから……!」
だが、返事の代わりに、印刷業者らしき人物が小さく頷いた。
「句読点の位置も、原本のままに。
“リアリティが大事”ですので」
田所はとうとう膝に手をついて、頭を抱えた。
「間違ってCtrl + Pしただけですからね!?
再印刷の意図とか、拡散の希望とか、一切なかったからね!?」
朝の陽差しはなお穏やかで、鳥の声も響いていた。
だが、その中心にいる一人の男の心は、異様なほどに騒がしく、報われず、そしてほんの少し、もう諦め始めていた。
それが“思想家田所”誕生の瞬間だった。
彼自身がもっとも望んでいなかった、あまりにやるせないかたちで。
0
あなたにおすすめの小説
スマホアプリで衣食住確保の異世界スローライフ 〜面倒なことは避けたいのに怖いものなしのスライムと弱気なドラゴンと一緒だとそうもいかず〜
もーりんもも
ファンタジー
命より大事なスマホを拾おうとして命を落とした俺、武田義経。
ああ死んだと思った瞬間、俺はスマホの神様に祈った。スマホのために命を落としたんだから、お慈悲を!
目を開けると、俺は異世界に救世主として召喚されていた。それなのに俺のステータスは平均よりやや上といった程度。
スキル欄には見覚えのある虫眼鏡アイコンが。だが異世界人にはただの丸印に見えたらしい。
何やら漂う失望感。結局、救世主ではなく、ただの用無しと認定され、宮殿の使用人という身分に。
やれやれ。スキル欄の虫眼鏡をタップすると検索バーが出た。
「ご飯」と検索すると、見慣れたアプリがずらずらと! アプリがダウンロードできるんだ!
ヤバくない? 不便な異世界だけど、楽してダラダラ生きていこう――そう思っていた矢先、命を狙われ国を出ることに。
ひょんなことから知り合った老婆のお陰でなんとか逃げ出したけど、気がつけば、いつの間にかスライムやらドラゴンやらに囲まれて、どんどん不本意な方向へ……。
2025/04/04-06 HOTランキング1位をいただきました! 応援ありがとうございます!
気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした
高坂ナツキ
ファンタジー
衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!?
これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。
日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
【鑑定不能】と捨てられた俺、実は《概念創造》スキルで万物創成!辺境で最強領主に成り上がる。
夏見ナイ
ファンタジー
伯爵家の三男リアムは【鑑定不能】スキル故に「無能」と追放され、辺境に捨てられた。だが、彼が覚醒させたのは神すら解析不能なユニークスキル《概念創造》! 認識した「概念」を現実に創造できる規格外の力で、リアムは快適な拠点、豊かな食料、忠実なゴーレムを生み出す。傷ついたエルフの少女ルナを救い、彼女と共に未開の地を開拓。やがて獣人ミリア、元貴族令嬢セレスなど訳ありの仲間が集い、小さな村は驚異的に発展していく。一方、リアムを捨てた王国や実家は衰退し、彼の力を奪おうと画策するが…? 無能と蔑まれた少年が最強スキルで理想郷を築き、自分を陥れた者たちに鉄槌を下す、爽快成り上がりファンタジー!
追放された無能鑑定士、実は世界最強の万物解析スキル持ち。パーティーと国が泣きついてももう遅い。辺境で美少女とスローライフ(?)を送る
夏見ナイ
ファンタジー
貴族の三男に転生したカイトは、【鑑定】スキルしか持てず家からも勇者パーティーからも無能扱いされ、ついには追放されてしまう。全てを失い辺境に流れ着いた彼だが、そこで自身のスキルが万物の情報を読み解く最強スキル【万物解析】だと覚醒する! 隠された才能を見抜いて助けた美少女エルフや獣人と共に、カイトは辺境の村を豊かにし、古代遺跡の謎を解き明かし、強力な魔物を従え、着実に力をつけていく。一方、カイトを切り捨てた元パーティーと王国は凋落の一途を辿り、彼の築いた豊かさに気づくが……もう遅い! 不遇から成り上がる、痛快な逆転劇と辺境スローライフ(?)が今、始まる!
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります
竹桜
ファンタジー
武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。
転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる