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第12章 信仰される“段取り”、困る本人
本当に伝えたかったこと
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丘の上に登ると、夜風がほんの少し強くなった。
眼下に見える村は、まだ祭りの熱を残しているようだった。
提灯の灯りが点々と続き、人々の笑い声が遠くにかすかに届く。
だがここは別世界のように静かだった。風が草を撫でる音と、焚き火がはぜる音だけが、ゆるやかに空間を満たしていた。
田所は焚き火のそばに腰を下ろし、薪をひとつ崩して火にくべた。
炎がぱちりと音を立てて跳ね、ふとした拍子にリゼットの横顔を照らす。
彼女は膝を抱え、炎を見つめていた。いつものように理知的で、静かな表情だった。
「……ああいうの、どう思う?」
田所が口を開いた。
問いかけというより、独り言に近い調子だった。
けれど、リゼットはすぐに応えた。
「“段取り祭”のこと?」
「うん。俺が思ってたより、ずっとすごいことになってたからさ。プリンターヤギが祀られてる時点でちょっと覚悟はしたけど……今日の“役割分担かるた”で、さすがに限界が来た」
リゼットがくすっと笑った。
「楽しんでたように見えたけど」
「……いや、まあ。面白かったけどさ。あそこまでいくと、もう俺の手を離れてるなって実感するんだよ」
田所は火を見つめたまま、言葉を探すように間を置いた。
「俺、べつに偉くなりたいわけじゃなかったんだよ。ただ回るようにしたかっただけなんだよな」
言葉のトーンが少し落ちる。
祭りの喧騒から距離を置いた今、自分の気持ちを正直に言葉にできる余白が、ようやくできたようだった。
「組織ってさ、でかくなればなるほど、誰が何やってるのか分かんなくなるし、結局“ちゃんとした人”が損する構造になっていく。
それが嫌で、資料作って、整理して、回るようにする仕組みばっか考えてたんだ。たぶん、昔から」
「それができるって、すごいことよ」
リゼットの声は柔らかかった。
どこか淡々としているようでいて、ほんの少しだけ感情の温度があった。
「でも、それができる人がほとんどいないから、あなたが目立ってしまうの。
あなたにとっては当たり前でも、ほかの人にはそれが“魔法”に見えることがある」
田所は黙って頷いた。
それはもう、何度も実感していることだった。
会議の段取りを組み直しただけで、皆が感動し、提案書のフォーマットを整えただけで「天才」と言われる。
そこにあるのは、驚きよりも、距離感のズレだった。
自分が“特別”だと思われるたびに、むしろ居心地の悪さが募っていった。
「でもさ。俺が本当にやりたいのは、誰でも“整えられる”ようにすることなんだよ」
火の粉がぱちりと弾けた。
田所の言葉に合わせるように、空気が揺れた気がした。
「俺がすごいんじゃない。たまたま見える位置にいるだけで、本当は誰にだって段取りはできる。
方法を知って、少し練習すれば。時間をかけて、一緒にやっていけば。
そしたら、そのうち俺なんかいなくても、村も、ギルドも、王都だって、自分たちで回るようになる」
「あなたがいなくても?」
「そう。俺じゃなくてもいいって、そういう世界のほうが、絶対にいいんだよ」
そう言って、田所はゆっくりと炎の奥を見つめた。
その瞳の奥には、懐かしい誰かの背中があった。
遅くまで残業していた元同僚。無理に笑っていた後輩。資料を一人で抱えて倒れそうだった、あの日の自分。
「俺はただ、働く人が潰れないようにしたかっただけなんだ。
会議で泣く人も、残業で病む人も、資料のミスで怒鳴られる人も……
全部、“ちょっと整ってなかっただけ”で苦しんでただけだからさ」
リゼットは黙って聞いていた。
その横顔には、賛同とも、反論ともつかない静けさがあった。
「だから、“段取り”って、技術である前に、思いやりなんだよ。
誰かが困らないように、先に道を敷いておく。
そういうのを、俺は仕事って呼びたい」
少し照れくさそうに笑って、田所は手のひらで薪の火をかすめた。
熱い。
でも、その熱は不快ではなく、むしろ懐かしさすら感じる温度だった。
「それを全部言葉にしたのが、例の“マジで無理.txt”なんだけどな。俺の、恥ずかしい昔のメモが、まさか教義になるとは思わなかったよ」
リゼットがようやく口元を緩めた。
「でも、伝わってるわ。ちゃんと。
みんなあなたの言葉をそのまま信じてるんじゃなくて、あなたのやってきたことを見て、それを模倣してる。
きっと、それが“文化”になるってことなんじゃない?」
田所は黙って火を見ていた。
誰かに褒められたいわけでもない。
感謝されたいわけでもない。
ただ、誰かが生きやすくなるように、仕組みを整えたかった。
その思いが、ようやく少しだけ届いたような気がした。
「……じゃあ、もうちょっとだけ、頑張ってみるかな。
“仕組み”がひとりでに歩くようになるまでは」
「ええ。私も手伝うわ」
ふたりの間に、言葉のない静けさが降りた。
それは気まずさでも、遠慮でもなく、安心だった。
焚き火の火は、もうすぐ薪が尽きようとしている。
でも、まだ消える気配はなかった。
その小さな炎のそばで、田所はようやく、自分がこの世界に来た意味を、少しだけ理解し始めていた。
眼下に見える村は、まだ祭りの熱を残しているようだった。
提灯の灯りが点々と続き、人々の笑い声が遠くにかすかに届く。
だがここは別世界のように静かだった。風が草を撫でる音と、焚き火がはぜる音だけが、ゆるやかに空間を満たしていた。
田所は焚き火のそばに腰を下ろし、薪をひとつ崩して火にくべた。
炎がぱちりと音を立てて跳ね、ふとした拍子にリゼットの横顔を照らす。
彼女は膝を抱え、炎を見つめていた。いつものように理知的で、静かな表情だった。
「……ああいうの、どう思う?」
田所が口を開いた。
問いかけというより、独り言に近い調子だった。
けれど、リゼットはすぐに応えた。
「“段取り祭”のこと?」
「うん。俺が思ってたより、ずっとすごいことになってたからさ。プリンターヤギが祀られてる時点でちょっと覚悟はしたけど……今日の“役割分担かるた”で、さすがに限界が来た」
リゼットがくすっと笑った。
「楽しんでたように見えたけど」
「……いや、まあ。面白かったけどさ。あそこまでいくと、もう俺の手を離れてるなって実感するんだよ」
田所は火を見つめたまま、言葉を探すように間を置いた。
「俺、べつに偉くなりたいわけじゃなかったんだよ。ただ回るようにしたかっただけなんだよな」
言葉のトーンが少し落ちる。
祭りの喧騒から距離を置いた今、自分の気持ちを正直に言葉にできる余白が、ようやくできたようだった。
「組織ってさ、でかくなればなるほど、誰が何やってるのか分かんなくなるし、結局“ちゃんとした人”が損する構造になっていく。
それが嫌で、資料作って、整理して、回るようにする仕組みばっか考えてたんだ。たぶん、昔から」
「それができるって、すごいことよ」
リゼットの声は柔らかかった。
どこか淡々としているようでいて、ほんの少しだけ感情の温度があった。
「でも、それができる人がほとんどいないから、あなたが目立ってしまうの。
あなたにとっては当たり前でも、ほかの人にはそれが“魔法”に見えることがある」
田所は黙って頷いた。
それはもう、何度も実感していることだった。
会議の段取りを組み直しただけで、皆が感動し、提案書のフォーマットを整えただけで「天才」と言われる。
そこにあるのは、驚きよりも、距離感のズレだった。
自分が“特別”だと思われるたびに、むしろ居心地の悪さが募っていった。
「でもさ。俺が本当にやりたいのは、誰でも“整えられる”ようにすることなんだよ」
火の粉がぱちりと弾けた。
田所の言葉に合わせるように、空気が揺れた気がした。
「俺がすごいんじゃない。たまたま見える位置にいるだけで、本当は誰にだって段取りはできる。
方法を知って、少し練習すれば。時間をかけて、一緒にやっていけば。
そしたら、そのうち俺なんかいなくても、村も、ギルドも、王都だって、自分たちで回るようになる」
「あなたがいなくても?」
「そう。俺じゃなくてもいいって、そういう世界のほうが、絶対にいいんだよ」
そう言って、田所はゆっくりと炎の奥を見つめた。
その瞳の奥には、懐かしい誰かの背中があった。
遅くまで残業していた元同僚。無理に笑っていた後輩。資料を一人で抱えて倒れそうだった、あの日の自分。
「俺はただ、働く人が潰れないようにしたかっただけなんだ。
会議で泣く人も、残業で病む人も、資料のミスで怒鳴られる人も……
全部、“ちょっと整ってなかっただけ”で苦しんでただけだからさ」
リゼットは黙って聞いていた。
その横顔には、賛同とも、反論ともつかない静けさがあった。
「だから、“段取り”って、技術である前に、思いやりなんだよ。
誰かが困らないように、先に道を敷いておく。
そういうのを、俺は仕事って呼びたい」
少し照れくさそうに笑って、田所は手のひらで薪の火をかすめた。
熱い。
でも、その熱は不快ではなく、むしろ懐かしさすら感じる温度だった。
「それを全部言葉にしたのが、例の“マジで無理.txt”なんだけどな。俺の、恥ずかしい昔のメモが、まさか教義になるとは思わなかったよ」
リゼットがようやく口元を緩めた。
「でも、伝わってるわ。ちゃんと。
みんなあなたの言葉をそのまま信じてるんじゃなくて、あなたのやってきたことを見て、それを模倣してる。
きっと、それが“文化”になるってことなんじゃない?」
田所は黙って火を見ていた。
誰かに褒められたいわけでもない。
感謝されたいわけでもない。
ただ、誰かが生きやすくなるように、仕組みを整えたかった。
その思いが、ようやく少しだけ届いたような気がした。
「……じゃあ、もうちょっとだけ、頑張ってみるかな。
“仕組み”がひとりでに歩くようになるまでは」
「ええ。私も手伝うわ」
ふたりの間に、言葉のない静けさが降りた。
それは気まずさでも、遠慮でもなく、安心だった。
焚き火の火は、もうすぐ薪が尽きようとしている。
でも、まだ消える気配はなかった。
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