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第3章 同志求ム、ここに在り〜少女文藝帳と、はじめての読者
少女文藝帳、第十七号に名を見る
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午後の陽ざしが障子越しに居間へと差し込んでいた。
風籠荘のいつもの静けさの中で、大家の園田つばきが新聞紙を束ねている。
柱に立てかけられた本の山の中から、一冊の薄い冊子がふと落ちた。
その音に、ひかりは顔を上げた。
「これ…文芸誌? 誰のかしら」
つばきが手に取ったのは、柔らかな表紙のついた小さな冊子だった。
表紙には、芙蓉の花と銀色の万年筆が木版風にあしらわれ、右上に小さく金文字で書かれた題字があった。
「少女文藝帳 第十七号」
その文字を目にした瞬間、ひかりの胸がきゅっと縮まった。
数週間前に、封筒を手放した朝の空気が、肌に蘇る。
思わず立ち上がり、つばきの手から冊子を受け取った。
「ちょっと、見てもいいですか」
「ええ。誰かが忘れていったのかしらね。お好きにどうぞ」
礼を言って、ひかりは冊子を胸に抱えたまま、自室へ戻った。
誰にも邪魔されないよう、障子をそっと閉め、文机の前に腰を下ろす。
手の中の冊子は、思っていたよりもずっと軽い。
だが、その重みは、ひかりにとっては計り知れないものだった。
表紙の芙蓉の花は控えめな色合いで、どこか頼りなく、それでいて芯のある美しさを感じさせた。
ページをめくる指先が、わずかに震える。
一枚、また一枚とめくるたび、誰かの言葉がそこにある。
女学生たちの詩。
日常を切り取ったような散文。
友情を主題にした短編。
筆致はみな清らかで、誠実だった。
読み進めていくうちに、ひかりの胸は、そっと締め付けられていくようだった。
(私は、こんなところに…本当に載っているのだろうか)
不安と期待とが、紙の匂いの中に混ざり合っていく。
中ほどを過ぎたところで、ふと目に留まるページがあった。
他よりもやや文字数が少なく、空白が広く取られている。
視線が、タイトルに吸い寄せられる。
『その敬礼は、誓いに似ていた』
桃野ひかり(無所属)
ひかりの手が止まった。
声にならない息が、喉の奥で引っかかる。
目の前の文字を、何度もなぞる。
桃野ひかり。
それは、たしかに自分が選んだ筆名だった。
けれど、それがこのように印刷され、活字になって紙の上に載っている光景を、
本当に目にする日が来るとは思っていなかった。
ページの隅に指を置き、そっとなぞる。
紙のざらつきが、指先に生々しく伝わってくる。
その下に、自分の文章が、今まさに呼吸しているようだった。
少しずつ、作品を読み進める。
書いたはずの内容なのに、初めて読むような気がした。
蒼の伏し目がちの視線。
榊原の無言の仕草。
敬礼という名を借りた、触れることのない誓い。
行間に込めた感情が、今になって、違うかたちで迫ってくる。
自分の言葉が、自分に返ってきていた。
他の作品たちは、もっと明るく、軽やかで、穏やかだった。
青春の眩しさ、友情の尊さ、家族への愛情。
それらが並ぶ中に、自分の書いたこの掌編は、明らかに異質だった。
けれど、その“異質さ”に、ひかりは初めて意味を感じた。
語られない想いを、語らないまま書くこと。
その余白に、誰かが何かを見つけてくれるかもしれないこと。
それを信じた自分が、たしかにここにいた。
活字となった自分の文章。
それが、世界のどこかに届くかもしれないという現実。
それは、思っていたよりもずっと静かで、
けれど、言葉では言い表せないほどの衝撃だった。
目を閉じると、あの封筒を投函した朝の風の匂いが、また鼻先をかすめた。
(あの時、出してよかった)
そう思えた。
ひかりは、冊子を胸に抱き、しばらく身動きができなかった。
胸の奥で、なにかが確かに息づいていた。
それは「書いた」という達成ではなく、「読まれる」という未知の扉だった。
その日から、世界はほんの少しだけ、違って見えるようになった。
風籠荘のいつもの静けさの中で、大家の園田つばきが新聞紙を束ねている。
柱に立てかけられた本の山の中から、一冊の薄い冊子がふと落ちた。
その音に、ひかりは顔を上げた。
「これ…文芸誌? 誰のかしら」
つばきが手に取ったのは、柔らかな表紙のついた小さな冊子だった。
表紙には、芙蓉の花と銀色の万年筆が木版風にあしらわれ、右上に小さく金文字で書かれた題字があった。
「少女文藝帳 第十七号」
その文字を目にした瞬間、ひかりの胸がきゅっと縮まった。
数週間前に、封筒を手放した朝の空気が、肌に蘇る。
思わず立ち上がり、つばきの手から冊子を受け取った。
「ちょっと、見てもいいですか」
「ええ。誰かが忘れていったのかしらね。お好きにどうぞ」
礼を言って、ひかりは冊子を胸に抱えたまま、自室へ戻った。
誰にも邪魔されないよう、障子をそっと閉め、文机の前に腰を下ろす。
手の中の冊子は、思っていたよりもずっと軽い。
だが、その重みは、ひかりにとっては計り知れないものだった。
表紙の芙蓉の花は控えめな色合いで、どこか頼りなく、それでいて芯のある美しさを感じさせた。
ページをめくる指先が、わずかに震える。
一枚、また一枚とめくるたび、誰かの言葉がそこにある。
女学生たちの詩。
日常を切り取ったような散文。
友情を主題にした短編。
筆致はみな清らかで、誠実だった。
読み進めていくうちに、ひかりの胸は、そっと締め付けられていくようだった。
(私は、こんなところに…本当に載っているのだろうか)
不安と期待とが、紙の匂いの中に混ざり合っていく。
中ほどを過ぎたところで、ふと目に留まるページがあった。
他よりもやや文字数が少なく、空白が広く取られている。
視線が、タイトルに吸い寄せられる。
『その敬礼は、誓いに似ていた』
桃野ひかり(無所属)
ひかりの手が止まった。
声にならない息が、喉の奥で引っかかる。
目の前の文字を、何度もなぞる。
桃野ひかり。
それは、たしかに自分が選んだ筆名だった。
けれど、それがこのように印刷され、活字になって紙の上に載っている光景を、
本当に目にする日が来るとは思っていなかった。
ページの隅に指を置き、そっとなぞる。
紙のざらつきが、指先に生々しく伝わってくる。
その下に、自分の文章が、今まさに呼吸しているようだった。
少しずつ、作品を読み進める。
書いたはずの内容なのに、初めて読むような気がした。
蒼の伏し目がちの視線。
榊原の無言の仕草。
敬礼という名を借りた、触れることのない誓い。
行間に込めた感情が、今になって、違うかたちで迫ってくる。
自分の言葉が、自分に返ってきていた。
他の作品たちは、もっと明るく、軽やかで、穏やかだった。
青春の眩しさ、友情の尊さ、家族への愛情。
それらが並ぶ中に、自分の書いたこの掌編は、明らかに異質だった。
けれど、その“異質さ”に、ひかりは初めて意味を感じた。
語られない想いを、語らないまま書くこと。
その余白に、誰かが何かを見つけてくれるかもしれないこと。
それを信じた自分が、たしかにここにいた。
活字となった自分の文章。
それが、世界のどこかに届くかもしれないという現実。
それは、思っていたよりもずっと静かで、
けれど、言葉では言い表せないほどの衝撃だった。
目を閉じると、あの封筒を投函した朝の風の匂いが、また鼻先をかすめた。
(あの時、出してよかった)
そう思えた。
ひかりは、冊子を胸に抱き、しばらく身動きができなかった。
胸の奥で、なにかが確かに息づいていた。
それは「書いた」という達成ではなく、「読まれる」という未知の扉だった。
その日から、世界はほんの少しだけ、違って見えるようになった。
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