20 / 42
第5章 萌えの沼には扉がある〜BL同人サークル「蒼の書」誕生
「出してみませんか?」その一言で
しおりを挟む
「皆で、一冊、作ってみませんか?」
その声は、障子の向こうにある風の音よりも、ひかるの胸を大きく揺らした。
言ったのは、小田切いろはだった。
眼鏡の奥の目が真剣で、語りの熱がそのまま筆に宿っているようだった。
座布団の上に正座したまま、彼女は机の上にあった関係図を整えながら続けた。
「このまま語っているだけでも楽しいです。でも、わたしたち、それぞれに見えている物語があるはずです。読者ではなく、書き手として、語り合える本を出してみたい」
ひかるは驚きとともに、その言葉に心のどこかがぞくりと震えるのを感じた。
これまでも「書くこと」はしてきた。けれど、それはどこか遠い誰かに向けての手紙のような行為だった。
一方通行。
投げて、届くかどうかは分からない。
だが今、小田切が言っているのは、“共に作る”という提案だった。
深町さとが、そっと手を挙げた。
「わたしも、書いてみたいです。うまくは書けないかもしれないけれど…蒼が、椿の前で目を閉じていた場面の詩を書いてみたい。自分の言葉で、あの時間をもう一度味わいたいと思いました」
伊藤すずえは頷きながら、笑みを浮かべた。
「じゃあ私は、眼鏡×後輩の物語を短く書くわ。設定はまったく違うけど、“沈黙の関係性”っていうテーマは共通だから、きっと合うと思うの」
「いいですね。テーマで縛るけど、ジャンルは自由にしましょう」
小田切の口調は淡々としているが、内に燃える熱は隠しきれなかった。
ひかるは、机の上に置かれたスケッチ帳を見た。
表紙には、鉛筆で描いた蒼の横顔。
目元は伏せられ、髪が静かに額を覆っている。
描きあげたとき、どこか遠くを見つめているような蒼の表情が、ひかるにとっては原点だった。
「“蒼の書”という名前は、どうでしょうか」
言葉が口をついて出た瞬間、周囲の空気が止まったような気がした。
深町が目を輝かせる。
「きれい……でも、芯がある。蒼って、色の中でも深さがあるから、ぴったりです」
すずえが即座に頷く。
「主従関係を描くには、濁りのない色名が合ってる。いいわね、“蒼の書”」
小田切が筆を手に取り、和紙の端にそっと書いてみせた。
「蒼の書」
墨のにじみが、静かに広がる。
その字は、まるでこれから語られる物語の器のようだった。
その瞬間、名前は決まった。
彼女たちは、短い沈黙ののちに、一斉に笑い合った。
誰かの手が自然に机の上に置かれ、そこにもう一人がそっと指を重ねる。
何も言葉にしなくても、ひとつの世界が動き出していた。
冊子のタイトルは『誓い録』に決まった。
「蒼と榊原の、交わされなかった誓い。それを読者の中でひとつずつ集めていく本にしたい」
ひかるの提案に、全員が同意した。
内容構成も自然と決まっていった。
ひかるは、ふたりの再会から少し未来の短編を書くことにした。
触れあうことのないふたりが、再び同じ空の下に立つ場面を。
榊原の背を追いながら、それでも名を呼べない蒼の物語を。
そして最後に、ひとことだけ交わされる、言葉にならない約束を。
小田切は、榊原の視点から見た主従関係についての分析と考察文を提案した。
「彼の“優しさ”が“攻め性”につながっていると証明したいんです」
深町は、詩を三篇書くと言った。
蒼の目、蒼の手、蒼の沈黙。
彼女が語るそれらは、どこか宗教的な敬意に満ちていて、皆を静かにさせた。
すずえは、自信満々に別ジャンルの短編を宣言した。
「時代設定は違うけど、私なりの“忠義と焦がれ”を書いてみせるから」
最後に、討論会の記録を残そうという案が出た。
初回の茶話会で交わされた「攻受逆転ありやなしや」の激論を、多少の脚色を加えながら誌面に収録することに。
これが大いに盛り上がり、「“語ること”もまた、作品の一部だ」と全員が納得した。
印刷方法については、小田切の兄が通っていた学校に謄写版の設備があるということで、そこで印刷する案に決まる。
「わたし、鉄筆は得意なんです。筆跡っぽく見せるのにちょっと工夫すれば、本物みたいになりますよ」
小田切の頼もしい言葉に、皆が感嘆の声を上げた。
表紙は、木版で手刷りすることに決まった。
図案は深町とすずえが協力し、蒼と榊原を象徴する文様をモチーフにする。
“重なる影”と“交わらぬ指先”を抽象的に描いた構成だった。
夜も更けてきて、障子の外はすっかり闇に包まれていた。
茶の香りが残る座敷に、しんしんと時間が降り積もる。
ひかるは、机の上に広げられた資料やノート、下描きに目をやりながら、静かに思った。
こんなふうに、誰かと一緒に何かを作ることが、
こんなにも心を満たしてくれるとは知らなかった。
語り合うだけでは足りなかった。
この想いを、言葉にして、形にして、
世界のどこかに届けたいと願っていた。
そして今、その願いに、初めて輪郭が与えられようとしている。
「物語を語る人たちが集まる場所――」
ひかるはノートの片隅に、そう書き留めた。
そして、その下に、新しい見出しを書き足す。
『蒼の書』
創刊準備号 まもなく発行予定。
その声は、障子の向こうにある風の音よりも、ひかるの胸を大きく揺らした。
言ったのは、小田切いろはだった。
眼鏡の奥の目が真剣で、語りの熱がそのまま筆に宿っているようだった。
座布団の上に正座したまま、彼女は机の上にあった関係図を整えながら続けた。
「このまま語っているだけでも楽しいです。でも、わたしたち、それぞれに見えている物語があるはずです。読者ではなく、書き手として、語り合える本を出してみたい」
ひかるは驚きとともに、その言葉に心のどこかがぞくりと震えるのを感じた。
これまでも「書くこと」はしてきた。けれど、それはどこか遠い誰かに向けての手紙のような行為だった。
一方通行。
投げて、届くかどうかは分からない。
だが今、小田切が言っているのは、“共に作る”という提案だった。
深町さとが、そっと手を挙げた。
「わたしも、書いてみたいです。うまくは書けないかもしれないけれど…蒼が、椿の前で目を閉じていた場面の詩を書いてみたい。自分の言葉で、あの時間をもう一度味わいたいと思いました」
伊藤すずえは頷きながら、笑みを浮かべた。
「じゃあ私は、眼鏡×後輩の物語を短く書くわ。設定はまったく違うけど、“沈黙の関係性”っていうテーマは共通だから、きっと合うと思うの」
「いいですね。テーマで縛るけど、ジャンルは自由にしましょう」
小田切の口調は淡々としているが、内に燃える熱は隠しきれなかった。
ひかるは、机の上に置かれたスケッチ帳を見た。
表紙には、鉛筆で描いた蒼の横顔。
目元は伏せられ、髪が静かに額を覆っている。
描きあげたとき、どこか遠くを見つめているような蒼の表情が、ひかるにとっては原点だった。
「“蒼の書”という名前は、どうでしょうか」
言葉が口をついて出た瞬間、周囲の空気が止まったような気がした。
深町が目を輝かせる。
「きれい……でも、芯がある。蒼って、色の中でも深さがあるから、ぴったりです」
すずえが即座に頷く。
「主従関係を描くには、濁りのない色名が合ってる。いいわね、“蒼の書”」
小田切が筆を手に取り、和紙の端にそっと書いてみせた。
「蒼の書」
墨のにじみが、静かに広がる。
その字は、まるでこれから語られる物語の器のようだった。
その瞬間、名前は決まった。
彼女たちは、短い沈黙ののちに、一斉に笑い合った。
誰かの手が自然に机の上に置かれ、そこにもう一人がそっと指を重ねる。
何も言葉にしなくても、ひとつの世界が動き出していた。
冊子のタイトルは『誓い録』に決まった。
「蒼と榊原の、交わされなかった誓い。それを読者の中でひとつずつ集めていく本にしたい」
ひかるの提案に、全員が同意した。
内容構成も自然と決まっていった。
ひかるは、ふたりの再会から少し未来の短編を書くことにした。
触れあうことのないふたりが、再び同じ空の下に立つ場面を。
榊原の背を追いながら、それでも名を呼べない蒼の物語を。
そして最後に、ひとことだけ交わされる、言葉にならない約束を。
小田切は、榊原の視点から見た主従関係についての分析と考察文を提案した。
「彼の“優しさ”が“攻め性”につながっていると証明したいんです」
深町は、詩を三篇書くと言った。
蒼の目、蒼の手、蒼の沈黙。
彼女が語るそれらは、どこか宗教的な敬意に満ちていて、皆を静かにさせた。
すずえは、自信満々に別ジャンルの短編を宣言した。
「時代設定は違うけど、私なりの“忠義と焦がれ”を書いてみせるから」
最後に、討論会の記録を残そうという案が出た。
初回の茶話会で交わされた「攻受逆転ありやなしや」の激論を、多少の脚色を加えながら誌面に収録することに。
これが大いに盛り上がり、「“語ること”もまた、作品の一部だ」と全員が納得した。
印刷方法については、小田切の兄が通っていた学校に謄写版の設備があるということで、そこで印刷する案に決まる。
「わたし、鉄筆は得意なんです。筆跡っぽく見せるのにちょっと工夫すれば、本物みたいになりますよ」
小田切の頼もしい言葉に、皆が感嘆の声を上げた。
表紙は、木版で手刷りすることに決まった。
図案は深町とすずえが協力し、蒼と榊原を象徴する文様をモチーフにする。
“重なる影”と“交わらぬ指先”を抽象的に描いた構成だった。
夜も更けてきて、障子の外はすっかり闇に包まれていた。
茶の香りが残る座敷に、しんしんと時間が降り積もる。
ひかるは、机の上に広げられた資料やノート、下描きに目をやりながら、静かに思った。
こんなふうに、誰かと一緒に何かを作ることが、
こんなにも心を満たしてくれるとは知らなかった。
語り合うだけでは足りなかった。
この想いを、言葉にして、形にして、
世界のどこかに届けたいと願っていた。
そして今、その願いに、初めて輪郭が与えられようとしている。
「物語を語る人たちが集まる場所――」
ひかるはノートの片隅に、そう書き留めた。
そして、その下に、新しい見出しを書き足す。
『蒼の書』
創刊準備号 まもなく発行予定。
0
あなたにおすすめの小説
社畜OLが学園系乙女ゲームの世界に転生したらモブでした。
星名柚花
恋愛
野々原悠理は高校進学に伴って一人暮らしを始めた。
引越し先のアパートで出会ったのは、見覚えのある男子高校生。
見覚えがあるといっても、それは液晶画面越しの話。
つまり彼は二次元の世界の住人であるはずだった。
ここが前世で遊んでいた学園系乙女ゲームの世界だと知り、愕然とする悠理。
しかし、ヒロインが転入してくるまであと一年ある。
その間、悠理はヒロインの代理を務めようと奮闘するけれど、乙女ゲームの世界はなかなかモブに厳しいようで…?
果たして悠理は無事攻略キャラたちと仲良くなれるのか!?
※たまにシリアスですが、基本は明るいラブコメです。
【モブ魂】~ゲームの下っ端ザコキャラに転生したオレ、知識チートで無双したらハーレムできました~なお、妹は激怒している模様
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
よくゲームとかで敵を回復するうざい敵キャラっているだろ?
――――それ、オレなんだわ……。
昔流行ったゲーム『魔剣伝説』の中で、悪事を働く辺境伯の息子……の取り巻きの一人に転生してしまったオレ。
そんなオレには、病に侵された双子の妹がいた。
妹を死なせないために、オレがとった秘策とは――――。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)
大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。
この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人)
そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ!
この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。
前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。
顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。
どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね!
そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる!
主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。
外はその限りではありません。
カクヨムでも投稿しております。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです(完結)
わたなべ ゆたか
ファンタジー
タムール大陸の南よりにあるインムナーマ王国。王都タイミョンの軍事訓練場で、ランド・コールは軍に入るための最終試験に挑む。対戦相手は、《ダブルスキル》の異名を持つゴガルン。
対するランドの持つ《スキル》は、左手から棘が一本出るだけのもの。
剣技だけならゴガルン以上を自負するランドだったが、ゴガルンの《スキル》である〈筋力増強〉と〈遠当て〉に翻弄されてしまう。敗北する寸前にランドの《スキル》が真の力を発揮し、ゴガルンに勝つことができた。だが、それが原因で、ランドは王都を追い出されてしまった。移住した村で、〝手伝い屋〟として、のんびりとした生活を送っていた。だが、村に来た領地の騎士団に所属する騎馬が、ランドの生活が一変する切っ掛けとなる――。チート系スキル持ちの主人公のファンタジーです。楽しんで頂けたら、幸いです。
よろしくお願いします!
(7/15追記
一晩でお気に入りが一気に増えておりました。24Hポイントが2683! ありがとうございます!
(9/9追記
三部の一章-6、ルビ修正しました。スイマセン
(11/13追記 一章-7 神様の名前修正しました。
追記 異能(イレギュラー)タグを追加しました。これで検索しやすくなるかな……。
転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?
山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、
飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、
気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、
まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、
推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、
思ってたらなぜか主人公を押し退け、
攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・
ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる