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第8章 語られる、ということ〜「作品」が社会に出た日
それはわたしの書いた話?
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雑誌掲載から数日後、ひかるのもとに一通の封書が届いた。
封筒の裏には、「蒼の書」とは別の、見慣れぬ差出人の名があった。
春鏡社編集部からの転送らしい。開封してみると、内側には丁寧に折り畳まれた批評文と、書き手の名前が記されていた。
その手紙には、ひかるの作品『夜の窓の向こうにて』に関する長文の感想が綴られていた。
筆者は都内の大学に籍を置く文芸評論の研究者で、いくつかの小誌にも寄稿歴があるという。
冒頭こそ、文章の静謐さや余白の美しさについての称賛が述べられていたが、段落が進むにつれて筆致は変わっていった。
「この作品には、“抑圧された同性愛の暗喩”が潜在的に描かれているように思われます。
蒼が言葉を交わさず、距離を保つ理由には、彼自身の内面にある禁忌と葛藤があると感じました。
また、榊原は彼の沈黙を“解釈”しすぎてはいないでしょうか。
彼の眼差しには、共感よりも所有の気配が見えるように思えました。」
そこまで読んだところで、ひかるはそっと便箋を閉じた。
胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。
紙に刻まれたその言葉は、理路整然としていた。
けれど、あまりに“ちがう”と感じてしまった。
これは、あのふたりの話なのだろうか。
わたしが描いた、あの沈黙と視線と、光と影の話なのだろうか。
夜になって、ひかるは机に向かった。
妄想ノートの新しいページをひらき、ペンをとる。
「読まれるということは、好きに読まれるということ。
でも、それが“わたしの萌え”から遠ざかっていくようで、怖くなる。
わたしにとって、榊原の視線は祈りだった。
蒼の沈黙は、想いを壊さぬためのやさしさだった。
それを“抑圧”や“犠牲”と呼ばれたとき、ふたりの関係が別の物語になってしまう気がしてしまう。」
そのまま筆を止め、しばらく動けなかった。
数日後、ひかるは春鏡社を訪ねた。
約束の時間より少し早く着いたが、三条はすぐに応接室に現れた。
その顔は、先日の創刊準備の頃よりも少し穏やかに見えた。
ひかるは、持参した封筒を差し出した。
例の批評文。三条は静かにそれを受け取り、読み進めていく。
最後まで読み終えたあと、彼は封を丁寧に閉じ、卓上に戻した。
「これを読んで、どう思いましたか?」
ひかるは、少し迷ってから答えた。
「正直、うれしくありませんでした。
わたしが書いたのは、そんなふたりじゃなかったから。
榊原は“独善的”ではないし、蒼は“犠牲者”じゃない。
でも、こうして誰かがそう読んだという事実を前にすると、
なんだか自分の物語が、もう手の届かないところにあるような気がしてしまって…」
三条は頷いた。
「それは、創作が社会に出た証拠です。
言葉が届いたからこそ、こうして別の解釈も生まれた。
もちろん、それが作者の意図とは違っていたとしても。」
「でも、それは“蒼と榊原”の話じゃない気がしてしまうんです」
ひかるは机の上の封筒を見つめながら、低く言った。
「わたしが知っているふたりは、もっと静かで、もっと――…繊細で。
たとえ沈黙のままでも、互いに向き合っていたはずなんです。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて三条は、ソファから少し前かがみになり、ひかるの視線と同じ高さに目線を揃えた。
「“あなたの蒼と榊原”は、ちゃんとページの中に残っていますよ」
その一言に、ひかるははっとした。
「読者がどう読もうと、あなたが書いた“彼ら”は、消えません。
解釈は自由です。でも、作品そのものは変わらない。
あなたの手で編まれた物語は、あの誌面の中で、ちゃんと呼吸している」
三条の声は低く、穏やかだった。
説得ではなく、共有のような温度だった。
「もし、誰かの解釈が不快に感じられるなら、それはあなたが真剣に書いたからです。
真剣に書かれた言葉は、真剣に受け取られ、そして時にずれて届く。
そのずれに気づけるのは、あなたが“まだこの物語と向き合っている”証でもあります」
ひかるは、気づけば背筋を伸ばしていた。
胸の奥にあった重さが、少しだけほどけていく気がした。
机の上に置かれた自作の掲載誌を手に取る。
そこにあるのは、自分が選んだ言葉のひとつひとつ。
蒼の背中、榊原の横顔、ふたりが交わさなかった言葉の気配。
たしかに、ここにいる。
「……ありがとうございます」
ひかるは、ゆっくりと深く頭を下げた。
「わたし、たぶん、また書けます」
それは、強がりではなかった。
少しだけ確信に近づいた声だった。
読まれるということは、手放すこと。
でも、書いたという事実は、手放さずにいていい。
その日、帰り道の空は広くて淡かった。
風に揺れる桜の葉が、もうすぐ夏が来ることを告げていた。
封筒の裏には、「蒼の書」とは別の、見慣れぬ差出人の名があった。
春鏡社編集部からの転送らしい。開封してみると、内側には丁寧に折り畳まれた批評文と、書き手の名前が記されていた。
その手紙には、ひかるの作品『夜の窓の向こうにて』に関する長文の感想が綴られていた。
筆者は都内の大学に籍を置く文芸評論の研究者で、いくつかの小誌にも寄稿歴があるという。
冒頭こそ、文章の静謐さや余白の美しさについての称賛が述べられていたが、段落が進むにつれて筆致は変わっていった。
「この作品には、“抑圧された同性愛の暗喩”が潜在的に描かれているように思われます。
蒼が言葉を交わさず、距離を保つ理由には、彼自身の内面にある禁忌と葛藤があると感じました。
また、榊原は彼の沈黙を“解釈”しすぎてはいないでしょうか。
彼の眼差しには、共感よりも所有の気配が見えるように思えました。」
そこまで読んだところで、ひかるはそっと便箋を閉じた。
胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。
紙に刻まれたその言葉は、理路整然としていた。
けれど、あまりに“ちがう”と感じてしまった。
これは、あのふたりの話なのだろうか。
わたしが描いた、あの沈黙と視線と、光と影の話なのだろうか。
夜になって、ひかるは机に向かった。
妄想ノートの新しいページをひらき、ペンをとる。
「読まれるということは、好きに読まれるということ。
でも、それが“わたしの萌え”から遠ざかっていくようで、怖くなる。
わたしにとって、榊原の視線は祈りだった。
蒼の沈黙は、想いを壊さぬためのやさしさだった。
それを“抑圧”や“犠牲”と呼ばれたとき、ふたりの関係が別の物語になってしまう気がしてしまう。」
そのまま筆を止め、しばらく動けなかった。
数日後、ひかるは春鏡社を訪ねた。
約束の時間より少し早く着いたが、三条はすぐに応接室に現れた。
その顔は、先日の創刊準備の頃よりも少し穏やかに見えた。
ひかるは、持参した封筒を差し出した。
例の批評文。三条は静かにそれを受け取り、読み進めていく。
最後まで読み終えたあと、彼は封を丁寧に閉じ、卓上に戻した。
「これを読んで、どう思いましたか?」
ひかるは、少し迷ってから答えた。
「正直、うれしくありませんでした。
わたしが書いたのは、そんなふたりじゃなかったから。
榊原は“独善的”ではないし、蒼は“犠牲者”じゃない。
でも、こうして誰かがそう読んだという事実を前にすると、
なんだか自分の物語が、もう手の届かないところにあるような気がしてしまって…」
三条は頷いた。
「それは、創作が社会に出た証拠です。
言葉が届いたからこそ、こうして別の解釈も生まれた。
もちろん、それが作者の意図とは違っていたとしても。」
「でも、それは“蒼と榊原”の話じゃない気がしてしまうんです」
ひかるは机の上の封筒を見つめながら、低く言った。
「わたしが知っているふたりは、もっと静かで、もっと――…繊細で。
たとえ沈黙のままでも、互いに向き合っていたはずなんです。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて三条は、ソファから少し前かがみになり、ひかるの視線と同じ高さに目線を揃えた。
「“あなたの蒼と榊原”は、ちゃんとページの中に残っていますよ」
その一言に、ひかるははっとした。
「読者がどう読もうと、あなたが書いた“彼ら”は、消えません。
解釈は自由です。でも、作品そのものは変わらない。
あなたの手で編まれた物語は、あの誌面の中で、ちゃんと呼吸している」
三条の声は低く、穏やかだった。
説得ではなく、共有のような温度だった。
「もし、誰かの解釈が不快に感じられるなら、それはあなたが真剣に書いたからです。
真剣に書かれた言葉は、真剣に受け取られ、そして時にずれて届く。
そのずれに気づけるのは、あなたが“まだこの物語と向き合っている”証でもあります」
ひかるは、気づけば背筋を伸ばしていた。
胸の奥にあった重さが、少しだけほどけていく気がした。
机の上に置かれた自作の掲載誌を手に取る。
そこにあるのは、自分が選んだ言葉のひとつひとつ。
蒼の背中、榊原の横顔、ふたりが交わさなかった言葉の気配。
たしかに、ここにいる。
「……ありがとうございます」
ひかるは、ゆっくりと深く頭を下げた。
「わたし、たぶん、また書けます」
それは、強がりではなかった。
少しだけ確信に近づいた声だった。
読まれるということは、手放すこと。
でも、書いたという事実は、手放さずにいていい。
その日、帰り道の空は広くて淡かった。
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