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第8章 語られる、ということ〜「作品」が社会に出た日
萌えを語る場所は、なくならない
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風籠荘の離れに、久しぶりに湯気と笑い声が戻っていた。
長机の上には、紅茶の入ったポット、焼きたてのクッキー、紙に包まれた甘納豆。
そのまわりを囲むように、蒼の書の面々が座っていた。
「やっぱりここ、落ち着くわねえ」
すずえが深く背伸びをしながら、机の角に置かれた文藝誌『言葉の灯』を指さした。
「というか、ひかる、あんたすごいわよ。表紙めくって一番最初に、自分の作品あるってどういう気持ち? 言ってごらんなさいよ」
からかい混じりの口ぶりに、ひかるは小さく笑った。
「まだ、現実味がないっていうか……
自分の書いたものが、あんな立派な紙に載ってるって、正直、怖さもあった」
「怖さ?」深町がきょとんとした顔をする。
ひかるは頷き、文藝誌のページをめくりながら、ゆっくり言葉を選んだ。
「うれしかったよ。でも……読まれたあとの感想が、自分の意図とは全然違っていたりして。
作品が、自分の手から離れていくって、こういうことなんだなって。
蒼と榊原が、知らないふたりの話みたいに思えてしまって」
沈黙が一瞬だけ流れる。
だが、すぐにすずえがポンと手を打った。
「はいはい、それってつまり“解釈違い”ってやつよ。
創作の世界では日常茶飯事。
むしろ、ちゃんと読まれてる証拠なんじゃない?
私なんて、推しの受けに“攻め属性”を見出された時、夜眠れなかったんだから」
「それは、すずえさん個人の問題では……」
小田切がそっと突っ込みを入れる。
「でも、わたしもなんだか、ちょっとだけわかるかも」
深町が、湯呑みを両手で包みながら小さく言った。
「わたしの描いた挿絵も、誰かが“こう見える”って言ってくれて、それが自分の思ったのと違っていて。
でも、そうやって受け取られるのも、悪くないって思えたんです」
「そう。つまり」
小田切が身を乗り出す。
「言葉は、手を離れた瞬間から“独り歩き”を始める。
それが“社会化”された創作というものだ。
読者の数だけ物語が生まれることを、作者は拒めないし、拒むべきでもない」
「でもさ」すずえが茶菓子をつまみながら、片眉をあげる。
「その上で“わたしの萌え”を守ることも、大事だと思うのよね。
解釈が違っても、そこに“あたしの萌え”があれば、ちゃんと戻ってこれる。
ホームに帰る場所があるって、めちゃくちゃ強いよ?」
その言葉に、ひかるの胸がじわりと熱くなった。
たしかに、最初の数日は、何かに追われるような気持ちでいた。
蒼と榊原のことを、他人の言葉で語られるたびに、心が引き裂かれるようだった。
でも、今こうして、仲間たちと向き合って話していると、思う。
彼女たちは、私の“最初の読者”だった。
あのふたりを誰よりも早く愛してくれた同志たち。
ここには、ずっと変わらない“語り合う場所”があったのだ。
「ねえ、ひかる」
深町が、そっと言う。
「作品が社会に出ると、きっとこれからもいろんなことがあると思うけど……
でも、わたしたちが“最初に見たふたり”は、ちゃんと生きてるよ。
あのスケッチ、あの詩、あの座談会。
わたしたちの中の蒼と榊原は、何も変わってない」
ひかるは目を閉じる。
あの原稿用紙に向かった夜、
蒼の背中を思い描いた日、
榊原の手をノートに描き写した時間。
全部、ここにある。消えていない。
ふと、机の端に積まれた過去の『誓い録』を見やる。
ガリ版で刷られた、粗くも愛おしい文字たち。
仲間と語り、迷い、笑いながら作った、あの冊子たち。
その上に、いま『言葉の灯』が重ねられている。
同人誌と商業誌。
妄想と発表。
そのふたつのあいだに、もう境界線はないような気がしていた。
「ありがとう」
ひかるは、自然とそう言葉にしていた。
「わたし、自分の物語が読まれて変わっていくのが、少しだけ怖かった。
でも、こうして話してると、変わらないものもちゃんとあるって思える。
それに……違う読み方があるってことは、それだけ、あのふたりが多くの人の中に生きてるってことかもしれない」
誰かが頷き、誰かが笑った。
湯気が静かに昇り、雨の気配が庭の奥で揺れていた。
ひかるは、ノートの新しいページをひらいた。
その余白に、こう記した。
「萌えは、語られ続けるかぎり、生きている」
たとえ読み方が違っても。
たとえ誰かが、自分とは別の言葉でふたりを呼んでも。
それでも、この関係性が、誰かの中で揺れているなら、それでいい。
それが、物語というものなのだ。
長机の上には、紅茶の入ったポット、焼きたてのクッキー、紙に包まれた甘納豆。
そのまわりを囲むように、蒼の書の面々が座っていた。
「やっぱりここ、落ち着くわねえ」
すずえが深く背伸びをしながら、机の角に置かれた文藝誌『言葉の灯』を指さした。
「というか、ひかる、あんたすごいわよ。表紙めくって一番最初に、自分の作品あるってどういう気持ち? 言ってごらんなさいよ」
からかい混じりの口ぶりに、ひかるは小さく笑った。
「まだ、現実味がないっていうか……
自分の書いたものが、あんな立派な紙に載ってるって、正直、怖さもあった」
「怖さ?」深町がきょとんとした顔をする。
ひかるは頷き、文藝誌のページをめくりながら、ゆっくり言葉を選んだ。
「うれしかったよ。でも……読まれたあとの感想が、自分の意図とは全然違っていたりして。
作品が、自分の手から離れていくって、こういうことなんだなって。
蒼と榊原が、知らないふたりの話みたいに思えてしまって」
沈黙が一瞬だけ流れる。
だが、すぐにすずえがポンと手を打った。
「はいはい、それってつまり“解釈違い”ってやつよ。
創作の世界では日常茶飯事。
むしろ、ちゃんと読まれてる証拠なんじゃない?
私なんて、推しの受けに“攻め属性”を見出された時、夜眠れなかったんだから」
「それは、すずえさん個人の問題では……」
小田切がそっと突っ込みを入れる。
「でも、わたしもなんだか、ちょっとだけわかるかも」
深町が、湯呑みを両手で包みながら小さく言った。
「わたしの描いた挿絵も、誰かが“こう見える”って言ってくれて、それが自分の思ったのと違っていて。
でも、そうやって受け取られるのも、悪くないって思えたんです」
「そう。つまり」
小田切が身を乗り出す。
「言葉は、手を離れた瞬間から“独り歩き”を始める。
それが“社会化”された創作というものだ。
読者の数だけ物語が生まれることを、作者は拒めないし、拒むべきでもない」
「でもさ」すずえが茶菓子をつまみながら、片眉をあげる。
「その上で“わたしの萌え”を守ることも、大事だと思うのよね。
解釈が違っても、そこに“あたしの萌え”があれば、ちゃんと戻ってこれる。
ホームに帰る場所があるって、めちゃくちゃ強いよ?」
その言葉に、ひかるの胸がじわりと熱くなった。
たしかに、最初の数日は、何かに追われるような気持ちでいた。
蒼と榊原のことを、他人の言葉で語られるたびに、心が引き裂かれるようだった。
でも、今こうして、仲間たちと向き合って話していると、思う。
彼女たちは、私の“最初の読者”だった。
あのふたりを誰よりも早く愛してくれた同志たち。
ここには、ずっと変わらない“語り合う場所”があったのだ。
「ねえ、ひかる」
深町が、そっと言う。
「作品が社会に出ると、きっとこれからもいろんなことがあると思うけど……
でも、わたしたちが“最初に見たふたり”は、ちゃんと生きてるよ。
あのスケッチ、あの詩、あの座談会。
わたしたちの中の蒼と榊原は、何も変わってない」
ひかるは目を閉じる。
あの原稿用紙に向かった夜、
蒼の背中を思い描いた日、
榊原の手をノートに描き写した時間。
全部、ここにある。消えていない。
ふと、机の端に積まれた過去の『誓い録』を見やる。
ガリ版で刷られた、粗くも愛おしい文字たち。
仲間と語り、迷い、笑いながら作った、あの冊子たち。
その上に、いま『言葉の灯』が重ねられている。
同人誌と商業誌。
妄想と発表。
そのふたつのあいだに、もう境界線はないような気がしていた。
「ありがとう」
ひかるは、自然とそう言葉にしていた。
「わたし、自分の物語が読まれて変わっていくのが、少しだけ怖かった。
でも、こうして話してると、変わらないものもちゃんとあるって思える。
それに……違う読み方があるってことは、それだけ、あのふたりが多くの人の中に生きてるってことかもしれない」
誰かが頷き、誰かが笑った。
湯気が静かに昇り、雨の気配が庭の奥で揺れていた。
ひかるは、ノートの新しいページをひらいた。
その余白に、こう記した。
「萌えは、語られ続けるかぎり、生きている」
たとえ読み方が違っても。
たとえ誰かが、自分とは別の言葉でふたりを呼んでも。
それでも、この関係性が、誰かの中で揺れているなら、それでいい。
それが、物語というものなのだ。
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