転生腐女子、筆一本で大正ロマンを征く!〜美少年よ、吾が筆に舞え〜

中岡 始

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第8章 語られる、ということ〜「作品」が社会に出た日

語られることを、受け入れて

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午後の陽が、机の上を淡く照らしていた。

窓を開けると、庭の向こうからほのかな新茶の香りが漂ってくる。  
風籠荘の春は、まだ少し肌寒いが、草花の輪郭がやわらかく、どこかに光を宿しているようだった。

ひかるは、机の前に座っていた。  
手元には、白い原稿用紙の束。  
それを前にして、彼女はしばらく何もせず、ただ手を膝に置いたまま、静かに呼吸を整えていた。

あの日から、数日が経っていた。  
文藝誌に掲載された蒼と榊原の物語が、読まれ、語られ、解釈され――  
そのすべてが、自分の中を通り過ぎていった。

まだ、すこしざわついている。  
けれど、そのざわめきが、今では静かな波のように感じられる。  
拒絶でも恐れでもなく、ただそこにある“変化”として。

そして今、自分はまた、白い紙の前にいる。

ペンを取る。  
その重みも感触も、以前と変わらない。  
けれど、そこに込めるものは、ほんの少し違っている気がした。

蒼と榊原の物語。  
これまで、ひかるが書いてきたのは“あの別れの後”だった。  
言葉を交わさず、背中だけが残る静かな終わり。  
それでも想いは続いているという、確信のような余韻。

でも、今、書いてみたいと思ったのは、そのもっと前。  
まだ、ふたりが“出会っていない”頃。  
互いを知る前の、無音の時間。  
言葉にならない以前の関係。

そこにどんな風が吹いていたのか。  
どんな瞳の揺れがあったのか。  
それを想像することで、ふたりの現在が、もっと立体的になる気がしていた。

ペン先を原稿用紙に置く。  
最初の一行を、深く考えずに記す。

「その日、彼はまだ、名を知らなかった。」

書きながら、ひかるの胸の奥で小さな音がした。  
それは、もう一度始めていいという合図のようだった。

蒼が初めて榊原を目にする場面。  
そのときの空気、歩幅、沈黙の厚み。  
榊原が気づかないままに見せる“在り方”。  
蒼がその背を目で追う、その理由もまだ知らずに。

彼らの関係は、きっと最初から“言葉”で成り立ってはいなかった。  
視線、間、気配。  
そういう、輪郭を持たない感情が、少しずつ溜まっていったはずだ。

そして、何通りにも読まれることで、  
その関係はより深く、広がっていくのだと、今は信じられる。

違う読み方をされることが、かつては怖かった。  
自分の萌えから離れていくような気がして。  
けれど今は、それもまた、ふたりの“別の生”なのだと思える。

読者の中で、それぞれの蒼と榊原が生まれ、語られ、愛される。  
そのすべてが、わたしの物語を豊かにしてくれる。

だから、書ける。

ペンは止まらない。  
指先が紙を滑る感触が、ひかるを確かに支えていた。

しばらくして、一息ついたひかるは、机の上を見渡した。  
そこには、文藝誌『言葉の灯』の創刊号がある。  
蒼と榊原が、読まれた記録。  
社会に出た言葉のかたち。

そして、その隣には、いつもの妄想ノートがあった。  
擦り切れた表紙、斜めに走る文字、同志たちとの書き込み。  
すべての原点。

ひかるは、それらふたつを見比べた。  
はじめは、相反するもののように思っていた。  
妄想と作品。  
同人誌と商業誌。  
自由と責任。

でも今は、はっきりわかる。  
どちらも、大切な自分の創作だ。  
矛盾などしていない。  
むしろ、このふたつがあるから、自分は書き続けてこられたのだ。

どちらかだけでは、足りなかった。  
萌えを自由に語れる場と、言葉を社会に届ける場。  
ふたつを行き来することで、物語は深まり、変化し、息をするようになった。

原稿用紙の上には、まだ数行だけの物語。  
けれど、そこには確かな息遣いがあった。  
誰にも読まれていない段階でも、それはすでに“物語”だった。

ひかるは微かに笑って、もう一行、書き足した。

「それでも、なぜか目が離せなかった。」

窓の外で風が揺れる音がした。  
机の上の文藝誌と、妄想ノートが、静かに並んでいた。

その両方を見つめながら、ひかるは心の中でつぶやいた。

これは、わたしの物語だ。  
どちらも。  
何があっても、そう信じていい。

そしてまた、書こう。  
蒼と榊原の、まだ言葉になっていない時間を。  
それが、誰かのなかで、また新しい“読み”になる日を夢見ながら。
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