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月の見下ろす森の中で
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王都へ向かう途中、突然馬が暴れ出したことによって滞在を余儀なくされた森。
テオドールを探すため、侯爵家に仕える男――セルバンの誘導に従って森の暗闇を歩くアリシア。視界はセルバンの持つ松明に頼るよりほかにはなく、そんな心許なさも手伝って、自然とアリシアの歩みは、彼に寄り添いながらのものとなった。
セルバンの目が、どこを向いているのかには気づかないまま。
「それにしても、あの騎士殿は素晴らしい御方なのですね」
ふと、セルバンが口を開く。
「騎士としての実力もさることながら、色々なことをご存知でおいでです。薬にも通じていらっしゃるし、星見の心得も持っていらっしゃる。さぞ名のある家柄の方だったのでしょうか……」
憧憬が強く表れた声音。
自身も共感できるその言葉に、アリシアはすっかり心を許していた。
「そうなんです。テオ……、テオドールは私たちのところに来てくれたその日から、よく仕えてくれていて、それに……」
その先を口にするのは躊躇われた。
これは、持っていてはいけない感情なのだから。
侯爵夫人となり、目の前にいるセルバンたち侯爵家の従者の主となる者として、秘めておくべき想い。だから、ここで言うべきことではない。
しかし、慌てて口を噤んだその先を想像することは、きっと誰にとっても容易に違いない。
ましてや、察しのよいセルバンなら、尚のこと。
「アリシア様は、よほど騎士殿……テオドール殿のことがお好きなのですね」
「えっ?」
押し殺したような声に、思わず声が上擦る。
そして、気付いた。
セルバンの誘導に従って歩くうち、旅団のいる場所に灯された焚き火から遠く離れてしまっていることに、そして、目の前の男の視線が、まっすぐに自分を見つめていることに。
その瞳には、紛れもない劣情の炎が灯されていて。
「無慈悲な世の中ですよ、まったく。そんな方の身はこの旅が終わってしまえば殿下のものだ。あんな愚か者には勿体ないお方だというのに……!」
言いながら、セルバンは怯えて後じさりしたアリシアを乱暴に引き寄せる。
そして、そのままドレスの裾に冷たい指が入り込む。
「…………っ!?」
「この艶やかな肌も、その愛くるしいお顔も、全てがあの殿下に……か。ならばいっそ、」
太股を這いまわる、冷たくゴツゴツした指の感触と欲望にまみれた声が止まったのはアリシアが恐怖と屈辱に涙を浮かべ、心の中で最愛の人を呼んだ次の瞬間だった。
「な……、っ……?」
松明の火に照らされたセルバンは、訳がわからないという顔を浮かべたように見えた。
風が吹き、松明の火が消えて月を隠す叢雲が明ける。
まるで太陽にように眩い月明かりが森を照らし、小枝に停まって鳴くミミズクの姿さえも見え始める。
しかし、蒼白い月光は、アリシアには届かない。
セルバンを見下ろす、1つの長い影。
その主は、いつもアリシアに向けているような優しげな笑みの一切を殺していて。そして、その瞳にはアリシアの見たことのないような暗い影が差していて。
「その穢れた手で彼女に触れるな」
背後からその胸に突き立てられた、月明かりに輝く剣より、もしくは夜の森に吹き抜ける凍て風よりも冷たいその声を、セルバンが聴いたのかはわからない。
セルバンは、訳がわからないという顔のままで絶命していた。
そんな男の屍には一瞥すらくれず、テオドールはアリシアに問う。
「お怪我はありませんでしたか、アリシア様?」
人を殺めた直後に浮かべるにしては、あまりに優しく美しい笑顔。アリシアは、その問いに頷き、差し伸べられた手をとることしかできなかった。
風に吹き流されるような、微かな声。
「これが、僕たちの選んだ道なんだよ、アリシア」
テオドールを探すため、侯爵家に仕える男――セルバンの誘導に従って森の暗闇を歩くアリシア。視界はセルバンの持つ松明に頼るよりほかにはなく、そんな心許なさも手伝って、自然とアリシアの歩みは、彼に寄り添いながらのものとなった。
セルバンの目が、どこを向いているのかには気づかないまま。
「それにしても、あの騎士殿は素晴らしい御方なのですね」
ふと、セルバンが口を開く。
「騎士としての実力もさることながら、色々なことをご存知でおいでです。薬にも通じていらっしゃるし、星見の心得も持っていらっしゃる。さぞ名のある家柄の方だったのでしょうか……」
憧憬が強く表れた声音。
自身も共感できるその言葉に、アリシアはすっかり心を許していた。
「そうなんです。テオ……、テオドールは私たちのところに来てくれたその日から、よく仕えてくれていて、それに……」
その先を口にするのは躊躇われた。
これは、持っていてはいけない感情なのだから。
侯爵夫人となり、目の前にいるセルバンたち侯爵家の従者の主となる者として、秘めておくべき想い。だから、ここで言うべきことではない。
しかし、慌てて口を噤んだその先を想像することは、きっと誰にとっても容易に違いない。
ましてや、察しのよいセルバンなら、尚のこと。
「アリシア様は、よほど騎士殿……テオドール殿のことがお好きなのですね」
「えっ?」
押し殺したような声に、思わず声が上擦る。
そして、気付いた。
セルバンの誘導に従って歩くうち、旅団のいる場所に灯された焚き火から遠く離れてしまっていることに、そして、目の前の男の視線が、まっすぐに自分を見つめていることに。
その瞳には、紛れもない劣情の炎が灯されていて。
「無慈悲な世の中ですよ、まったく。そんな方の身はこの旅が終わってしまえば殿下のものだ。あんな愚か者には勿体ないお方だというのに……!」
言いながら、セルバンは怯えて後じさりしたアリシアを乱暴に引き寄せる。
そして、そのままドレスの裾に冷たい指が入り込む。
「…………っ!?」
「この艶やかな肌も、その愛くるしいお顔も、全てがあの殿下に……か。ならばいっそ、」
太股を這いまわる、冷たくゴツゴツした指の感触と欲望にまみれた声が止まったのはアリシアが恐怖と屈辱に涙を浮かべ、心の中で最愛の人を呼んだ次の瞬間だった。
「な……、っ……?」
松明の火に照らされたセルバンは、訳がわからないという顔を浮かべたように見えた。
風が吹き、松明の火が消えて月を隠す叢雲が明ける。
まるで太陽にように眩い月明かりが森を照らし、小枝に停まって鳴くミミズクの姿さえも見え始める。
しかし、蒼白い月光は、アリシアには届かない。
セルバンを見下ろす、1つの長い影。
その主は、いつもアリシアに向けているような優しげな笑みの一切を殺していて。そして、その瞳にはアリシアの見たことのないような暗い影が差していて。
「その穢れた手で彼女に触れるな」
背後からその胸に突き立てられた、月明かりに輝く剣より、もしくは夜の森に吹き抜ける凍て風よりも冷たいその声を、セルバンが聴いたのかはわからない。
セルバンは、訳がわからないという顔のままで絶命していた。
そんな男の屍には一瞥すらくれず、テオドールはアリシアに問う。
「お怪我はありませんでしたか、アリシア様?」
人を殺めた直後に浮かべるにしては、あまりに優しく美しい笑顔。アリシアは、その問いに頷き、差し伸べられた手をとることしかできなかった。
風に吹き流されるような、微かな声。
「これが、僕たちの選んだ道なんだよ、アリシア」
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