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第一章

人情とは、苦悩を知る者が持ち得るもの。――3

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「お、おにぃ、これ、どうしたの?」
「なにかのお祝い?」

 帰宅後、ダイニングテーブルの上にある、俺が持ってきたあるものを見て、優衣と母さんが目を丸くしている。

 有名寿司すし店からテイクアウトしてきた海鮮丼だ。

 はと豆鉄砲まめでっぽうを食ったような顔をしている優衣と母さんの様子に笑みをらしつつ、俺は説明する。

「今日、Dランクダンジョンの攻略に成功して、結構な報酬をもらったんだ。こういうときくらい贅沢ぜいたくするのもいいんじゃないかと思ってさ」
「やったぁ――――っ!」

 優衣が勢いよく抱きついてきて、「わっ!?」と俺はうろたえた。

 抱きついてきた優衣は、甘える猫のように俺の胸元に頬ずりしてくる。

「おにぃ、大好き! 愛してる!」
「ははっ。海鮮丼が食べられるから好きなんて、現金なやつだなあ、優衣は」
「むぅ、おにぃはあたしの愛を疑うの? 海鮮丼を買ってきてくれなくたって、あたしはおにぃが大好きだよ?」
「いや、愛て」

 頬をむくれさせる優衣に俺はツッコんだ。

 たしかに優衣はお兄ちゃんっ子だけど、愛してるなんてのは流石さすがにないだろう……ないよね?

 いまだに頬を膨らませている優衣を見下ろしながら、ちょっとだけ不安になっていると――

「無理はしてないのよね、真?」

 顔をくもらせた母さんが尋ねてきた。

「以前、とても悩んでいたときがあったでしょう? わたしは心配なの。ダンジョン攻略で真が苦しんでいないかって」

 バスタードから追放された日のことを言っているのだろう。あのとき俺は、悩んでいるのがバレないように振る舞ったけど、母さんには見抜かれていたようだ。

 母さんは眉を寝かせ、唇を引き結び、ひどく申し訳なさそうにうつむいた。

「真と優衣には負担ふたんばかりかけてるわね。お父さんを奪ってしまったし、家事も仕事もできないし……本当、ダメな母親だわ」
「そんなことないよ」

 俺は即座に否定した。

「母さんは、俺と優衣を一生懸命いっしょうけんめい育ててくれたじゃないか。虚弱体質きょじゃくたいしつになってしまったのも頑張りすぎたからだ。ダメなんてことは絶対にないよ」

 俺に同意するように、優衣もコクコクと頷く。

 母さんが俺たちの父親と離婚したのは、俺が九歳のときだった。原因は父親の暴力だ。

 それから母さんは、女手ひとつで俺と優衣を育ててくれた。一生懸命仕事して、かつ、家族サービスも忘れず、自分の時間すらもすべて俺たちに費やしてくれた。目一杯めいっぱい愛してくれた。

 だが、無茶をしすぎた結果、五年前に母さんは過労で倒れてしまった。虚弱体質になったのはそのころからだ。

 病室のベッドに横たわる母さんと、わんわん泣きじゃくる優衣を目にして、俺は後悔した。母さんの苦労に気づけず、甘えてばかりだったことを猛反省した。

 だから決めたのだ。これからは俺が母さんと優衣を支えていこう。愛してくれた分、精一杯せいいっぱい恩返ししようと。

「母さんが苦労してくれたおかげで、いまの俺と優衣がいるんだ。それに、父親あいつについても奪われたなんて思ってないよ。母さんは、父親あいつの暴力が俺たちに向かわないように離婚してくれたんでしょ? わかってるよ」
「けど――」
「けどもなにもないんだよ、お母さん! おにぃの言うとおり、あたしたちはいままでのお返しをしてるだけなんだから!」
「優衣……」
「母さんは充分じゅうぶん頑張ってくれた。俺と優衣を愛してくれた。今度は俺たちの番だ」

 そう。あの日のちかいを忘れたことはない。

 俺が、母さんと優衣を支えていくんだ。やしなっていくんだ。

「母さんにも優衣にも、もうひもじい思いはさせない。俺だけの武器を手に入れたから、ダンジョン攻略のほうも大丈夫。無理なんてしてないよ」
「真……っ」

 母さんの瞳がうるみ、涙が頬を伝った。

 母さんが口元をおおい、嗚咽おえつを漏らす。

「ごめんね……ごめんね、真、優衣。苦労をかけるわね」
「謝らなくてもいいんだって。俺が聞きたいのは『ごめん』じゃないよ」

 俺が柔らかく微笑むと、「そうね。きっとそうだわ」と母さんが頷く。

「『ごめん』じゃないわよね。わたしが言うべきなのは、きっとよね」

 ボロボロと涙をこぼしながら、眉を『八』の字にしながら、それでも母さんは笑い返してくれた。

「ありがとう、真、優衣。あなたたちがいてくれて、母さんは世界一の幸せ者よ」

 俺の目頭めがしらが熱くなる。

 優衣はもらい泣きしたようで、グスグスと鼻を鳴らしていた。

 大丈夫。俺は誓いを果たすよ。俺が母さんと優衣を支えていくよ。

 だからさ? 母さんも優衣も、なにも心配することないんだ。




 その日の食卓しょくたくは、笑顔が絶えることがなかった。

 俺も優衣も母さんも、みんな幸せそうな顔をしていた。
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