【完結】それより俺は、もっとあなたとキスがしたい

佑々木(うさぎ)

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ep.02 一旦ペンディングで

(3)

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 はぁはぁと息を弾ませる部長を見ながら、俺は複雑な思いを抱えていた。
 すると、それまで目を瞑っていた美浜が、俺を見上げて唇を歪めた。

「いいんだ、無理するな」

 無理? 一体何のことだ。
 本当に意味が分からなくて首を傾げていると、部長は向くりと起き上がる。

「今まで男とセックスしたことの無い君が、躊躇ためらうのも無理はないと言っている」
「それは──」

 違う。躊躇っているわけじゃない。
 俺は、否定しようとしたが、美浜はぽんぽんと俺の肩を二度叩く。

「退いてくれ」

 覆いかぶさる俺が邪魔なのだとわかって、少し身体をずらした。
 すると、額に手を置き、一つ溜息を吐く。
 何か言いたいことでもあるのかと耳を寄せたところで、美浜の身体が俺の方へと倒れてくる。そして、くたりと力が抜けたように寄り掛かってきた。

「……部長?」

 声をかけても返事がない。
 もう一度、ベッドに寝かせて窺うと、規則的な深い呼吸を繰り返している。

「寝た、のか?」

 そういえば、ここに来たのは、部長が酔っぱらっていたせいだった。
 それなら、イって出して、寝てしまっても納得だ。

 俺は一度離れてバスルームに行った。
 そこは、これまで見たどんなバスルームよりもゴージャスで、きらきら輝いて見えた。
 バスタブは多分、大理石だ。奥にはシャワーブースがついている。
 手前の洗面台には大きな鏡が設置され、最新のドライヤーが置いてあった。
 鏡に映り込んだ自分は、髪がぼさぼさで、かけている眼鏡もずれている。
 だが何より驚いたのは、その顔だ。

 こんな状況にあるというのに、目や口元がにやけている。
 俺は、眼鏡を外し、水を出して手と顔を洗った。
 それから、清潔な備え付けのタオルをお湯に浸して、きつく絞る。

 ベッドルームに戻ると、美浜はまだすうすうと眠っていた。
 俺は、精液で汚れた身体をタオルで拭いて、上掛けを着せかける。
 もうすぐ夜明けが来る。少しでも眠ろう。
 俺は目を閉じて、美浜の体温を感じながら眠りについた。

 どのくらい経った頃だろうか。
 俺はザーッという水音で目を覚ました。
 ぼんやりと周囲を窺い、広々としたベッドルームにいることを知る。
 窓の方へ目を向けると、見渡す限りにビル群が広がり、朝焼けに輝いていた。

「……えっと」

 ポリポリと頭を掻き、これまでのことを思い出そうとした。
 自分は今、どうしてこんなところにいるのだろう。
 昨日は、飲み会に参加して、3万払って。
 金がないから徒歩で家まで帰ろうとして──。
 そこまで辿ったところで、突然声がフラッシュバックする。

『……っあ……いちの、せ……っ』

 どくりと心臓が跳ね、ぐっと身体が熱くなる。

「そうだ、部長……!」

 ベッドには、俺一人だ。
 周りには姿がない。
 まさか、先に帰ったのかと立ち上がってみると、ぐらりと視界が揺れる。

「あ……れ……?」

 ベッドに倒れ込み、傍にあった電話が音を立てて床に落ちる。
 派手な音が響いたところで、遠くで聞こえていた水音が止んだ。
 そして、勢いよくドアが開き、白いバスローブ姿の人物が出てくる。

「……部長っ?」
「なんだ、電話を落としたのか」

 美浜は、スリッパですたすたと俺の方へと近寄ると、電話を元の位置に戻す。

「おはよう」

 落ち着いた、深みのある声で挨拶されて、俺は反射的に応えた。

「あ、おはようございます、部長」

 美浜は頷き、髪を拭きながらベッドの縁に座る。
 ぽたぽたと水がしたたるのに気付き、髪をタオルで拭き取っている。

「あの……」

 昨夜のことがあって、俺は動揺していた。
 こんな時に、何と声を掛ければいいのか。

「ルームサービスは、スクランブルエッグにしたが。それで良かったか?」
「へ?」

 何を聞かれたのかわからず、そんな間抜けな声しか出てこない。

「モーニングだ。私と同じスクランブルエッグとクロワッサンを頼んでおいたぞ」

 さすがは高級ホテルだ。
 朝食を部屋でるのか。
 いつも牛乳を飲んで終わる俺とはだいぶ違う。

「部長、昨日は──」
「その話は、あとにしよう」
「はあ」

 そうしているうちに、ルームサービスが運ばれてきた。
 本当にカートを押して来るのかと興味津々で眺め、テーブルに白いクロスを敷き、プレートを並べていくスタッフをただボーッと見ていた。

「いただこう」
「あ、はい。いただきます。……おいしいですね、これ」

 見たこともない葉っぱの入ったサラダボウルは、ドレッシングもだが野菜それ自体が美味い。俺は、パクパクと口に入れ、幸せを感じていた。
 やはり、美味しいものは、人生最高の幸せをもたらす。
 あっという間に食べ終わり、ポットに入ったコーヒーを飲んでいると、部長はバスローブの襟に触れながら言った。

「これで、約束通りコーヒーが飲めたな」

 そう言えば、昨日バス停でそんなことを言っていた。
 あまりにいろいろあり過ぎて、すべてが何日も前のことのように感じる。

「そこで、一つ提案なのだが」

 美浜は、ナプキンで口元を押さえ、ひたりと俺を見つめて言った。

「来週もここで、コーヒーを飲まないか?」
「……え?」

 それは、ホテルでコーヒーを飲むだけのことではないだろう。
 さすがに鈍い俺でもわかる。
 答えられずに、唖然として見つめ返していると、部長は長い脚を組んで再度言う。

「心配しなくとも、ホテル代は私が持つ」

 そんな心配なんてしていない。

「すみません。一旦、ペンディングで」

 思わずそう口走ると、部長は一瞬目をみはり、深く頷いた。

「承知した」

 そして、それで話を終わらせ、優雅にコーヒーを飲み始めた。
 俺は、その姿に見惚れて、ホテルスタッフが再びチャイムを鳴らすまで動けなかった。

-ep.02「一旦ペンディングで」END-
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