気持ち良くって、どうしよう

佑々木(うさぎ)

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 向かった先は、個室居酒屋だった。
 トリノ駅のそばに、こんな気の利いた店があるなんて、入社して5年も経つのに僕は知らなかった。
 奥まった席に通されて、おしぼりを渡される。
 微かに良い匂いがして、最初はおしぼりの香りだと思った。
 爽やかでいて甘い香りが、個室に広がる。
 そこでようやく僕は気付く。
 これは、市川のフレグランスの香りだ。

 営業が身に着けるのは知っているが、時間は夜。
 既にラストノートになっている頃合いだと言うのに、今付けたばかりのように香っている。
 要するに、今日会う相手のために、敢えて付け直したのだ。

 しかも、こんないい店だ。
 恋人に違いない。
 それなのに、僕を連れてくることになったなんて、少し同情する。
 説教するのは、止めた方がいいか。
 なら、ついて来る必要はなかったと後悔し始める。

「飲み物、何にしますか?」

 こっちの心中を知ってか知らずか、市川はビジネススマイルでメニューを渡してきた。
 一応、上司を立てることくらいはできるようだ。

 思ったよりも酒の種類が多い。
 日本酒やビール以外に、カクテルもある。

「じゃあ、ジントニックで」

 すると、市川はメニューから目を上げて僕を見た。
 何を驚いているのか。
 僕も見つめ返して視線で訊ねたが、ハッとしたように視線を店員に向ける。

「俺も同じものを」
「かしこまりました」

 別にそこは合わせなくていいんじゃないかと思ったが、これも営業の癖なのかもしれない。
 僕は、テーブルに置かれたグラスに手を伸ばし、水を飲んだ。

「土屋さんって、酒を飲む方なんですか?」
「どういう意味」
「いや、いつも断っていたから」

 そういえば、飲み会ではいつもノンアルだった。

「普段は飲みます」

 大人数で飲む時は、アルコールを避けることが多い。
 うっかり飲みすぎてしまいがちだからだ。
 特に営業部にいると、酒の席は得意だと勘違いされて、必要以上に呑まされてしまう。
 だから、表向きは下戸で通している。
 それにしても、よく覚えていると僕は感心した。
 市川が入社してから、一体何回飲み会があっただろうか。
 2回か、3回か。多くても5回くらいだろう。

 やがてジントニックが運ばれてきて、口を付けようとしたところで、市川がグラスを僕の方へ向けてくる。
 ああ、乾杯をしようということか。
 一体、何に乾杯しろと?
 とはいえ、断るのも角が立つと、僕はグラスを触れ合わせた。

「今日会うつもりだった相手、セフレなんですよ」

 セフレ……?
 一口飲んだところで、市川はいきなりぶっこんできた。
 聞き間違いじゃないかと思ったが、頬杖をついて溜息を吐き、更に続けた。

「この間、マチアプで知り合って、今日で3回目。いい感じにお互いに慣れてきて、ここはひとつ飲みにでも行こうかなと、ここを予約したんです」

 内心の動揺を押し隠し、僕はなるべく平坦な声で言う。

「それなら、改めて連絡をすれば良かったのでは?」

 あの時間帯なら、僕に間違いだと言って終わらせて、連絡を取り直せば間に合ったはずだ。

「いや、これは運命の神様が、やめておけって言っているのだと思うので」
「はあ、そうですか」

 僕は、早く来てくれと料理を心待ちにした。
 こんな話を部下から聞く身にもなってくれ。
 セフレなんて、リアルで初めて聞いた。
 マッチングアプリを使う人間も、身近には一人もいない。

 そもそも僕には、恋愛経験がない。
 それなのに、アプリで知り合った人間と、そういうことのできる人種を目の前にして、何を話せばいいんだろう。せめて話題を変えたいところだけれど、今すぐに違う話を振ったら勘繰られそうだ。
 僕が27にもなって童貞だとは、知られたくない。

「お待たせいたしました」

 そこで店員が顔を出し、料理を並べていく。
 タイミングがいい。僕は、気付かれないよう詰めていた息を吐く。
 料理は一品ずつ出してくるようで、最初は前菜と揚げ物だ。
 戸が閉まり、さあ食べようと箸を持ったところで、市川は続ける。

「土屋さんは、決まった相手、いますか?」

 決まった相手?
 それは、恋人がいるかを訊ねてきているのか。
 嫌な方向に話が進んでいる。
 自分の事情を探られたくはない。
 ここは、市川に話をさせよう。

「僕のことはいいです。市川の……セフレって、どんな人なんですか?」
「いいですよ、タメ口で。ここ、会社じゃないんだし。俺相手に使うの、面倒じゃないですか」

 むしろ、タメ口で話すような親しい距離感を持たれたくないんだけど。

「ええと、マチアプで知り合ったってことは、顔が良い、とか?」
「良いですよ。土屋さんほどじゃないけど」

 それは褒めているつもりなのか。
 第一、セフレと僕を比べること自体が間違いだ。
 僕は男だし、お世辞でも顔が良いとは言えない。

「でも、身体の相性はイマイチっていうか。感度が問題なのかなあ」
「……」

 次の料理は、まだか。
 それか、なにか中座してもいいきっかけはないか。
 こんなことなら、ついて来るんじゃなかった。

 市川は、相手を品評し続けているが、もう意味がわからない。
 隠語なのか、それとも僕が知らないだけか。
 何か特殊な世界の専門用語を耳にしている気分だ。
 おかげで頷くだけで話の内容は入ってこないから助かる。
 あとは、適当に相槌を打って、料理を食べて解散すればいい。

 やがて、次の料理が運ばれてきて、市川は一旦話を切り上げた。

「この肉、美味いですね」
「鹿肉、とあるね」

 お品書きを見てそう言うと、なぜか市川は身を乗り出して僕の手元を見て来た。
 同じお品書きが、市川の前にも置かれているんだから、そっちを見ればいいことだ。
 こういうパーソナルスペースの近い相手は、ちょっと苦手だ。
 すると、ふとお品書きから目を上げて、市川は僕を見た。
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