【完結】役立たずな第三王子の僕は、大嫌いな勇者に迫られています…ってどうして?

佑々木(うさぎ)

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第五章 まやかし

存在しない記憶

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「おはようございます、エスティン様」

 寝台の上でうとうととしていると声がかかり、カーテンが開かれた。
 眩しい陽光に目を眇め、僕はようやく目を覚ます。

「おはよう、サイデン」

 僕が挨拶を返すと、サイデンは微笑んでから一礼した。

「間もなく、朝食のお時間です」
「わかった。今起きる」

 一つ伸びをして、まだ夢心地で立ち上がる。
 洗顔を済ませ、着替えをしてから僕は階段を下りていった。

 食堂の入り口にはサイデンが待ち構えていて、僕に気付くとまずは身だしなみのチェックをする。今日は少し、ジャポが歪んでいたらしい。
 サイデンは僕の首の辺りに触れて、丁寧に結び目を直した。

「既にジェネウス様がお待ちになっております」
「ジェネウス?」

 聞き覚えのない名前に、僕は訊ね返した。
 こんな朝早くに食堂に来るなんて、普通はしないものだけれど。
 もしかしたら、昨夜のうちに泊まりに来た客人だろうか。

「ジェネウスというのは?」
「もちろん、エスティン様の弟君のジェネウス様ですよ」

 弟君?
 僕は訝しんでサイデンを見返した。
 こんな時に冗談を言うような人間じゃない。

「……何を、言って」

 僕は、気味の悪い心地がし、食堂の中へ入るのを躊躇った。
 だが、そのジェネウスという人間が誰であるのか、まずは確かめなければならない。
 不思議そうに僕を見るサイデンを尻目に、僕は食堂の中へ足を踏み入れた。
 すると、いつも僕が座る席の真ん前に、一人の少年が座っていた。

「おはようございます、お兄様」

 よく通る、子供らしい軽やかな声だ。
 王族の色である、金髪に緑の瞳。
 見た目はどことなく、母に似ていた。
 年の頃は10歳前後だろうか。
 無邪気な笑みを僕に向け、挨拶が返るのを待っている。

 あまりにも朝の風景に溶け込んだ姿だ。
 だが、だからこそ、ぞわりと鳥肌が立つほどに恐ろしかった。

 僕に弟がいるはずがない。
 四人兄姉の末弟なんだ。
 これほど年の離れた弟なんてあり得ない。

 では、この人間は一体何者だ?

 最初に疑ったのは、アルサイールかどうかだ。
 昨日の今日だ。無断で城に入ってこないとも限らない。
 一瞬で応接間から消えたことを考えれば、逆もできてしまうに違いない。

 僕は、少年の魔力の波長を探ろうとしたが、まったくわからなかった。
 何の魔力も感じられなかったからだ。
 結界が張られているかのように、一切の魔力がない。
 今度は、気脈のほうを探ってみた。
 触れるのが一番だが、見ただけでも判別はつく。
 そちらは、どうやら父や兄と似ている。

 だが、弟であることはあり得ない。
 
 何よりも恐ろしいのは、この場にいる誰もがこの人間を受け入れていることだ。
 長年仕えているサイデンすらも、この少年を僕の弟だと言った。
 ジェネウスが王族の一員であると、信じて疑っていない。

「どうして……」

 一体、何が起きている?
 それとも、おかしいのは僕の方なのか?

「朝食は、要らない」
「エスティン様?」

 得体のしれない人間と、食事なんて摂れるわけがない。
 かといってここで、この少年を糾弾することはできない。
 下手をしたら、僕の頭の方を疑われてしまう。
 気が触れたとでも思われたら、厄介この上ない。

 僕は後退り、踵を返して食堂を出ると、その足で学びの間に向かった。
 今は、一刻も早くレイに会い、このことを伝えたい。

 塔の階段を上って学びの間の中に入ると、既にレイがいた。
 給仕係がハーブティーを注ぎ、二人で何やら話しているところだった。
 そして、僕の方を見た給仕係は首を傾げて訊いてきた。

「これは、エスティン様。おはようございます。今朝はジェネウス様はご一緒ではないんですか?」

 その一言に、僕は愕然とする。
 城の中だけではなく、まさか塔の人間にまで広がっているなんて。
 喉が干上がり、声が出ない。

 無言でいる僕に、給仕係はそれ以上は何も言わずに去っていった。
 その場にはレイだけが残り、僕の様子をおかしく思っているのか、物問いたげな顔をしている。

「レイ様は、ジェネウスをご存知ですか?」

 まずは確かめなくては。
 僕がそう思って訊くと、レイは頷いてから言う。

「お前の弟じゃなかったか?」
「……っ」

 そんな……レイまでが、ジェネウスのことを弟だと記憶しているのか?
 わなわなと唇が戦慄き、次の言葉が出てこない。

「エスティン?」

 名前を呼ばれて、僕は意を決して言った。

「私は、末子です。弟なんて、いるはずがない」

 ジェネウスなんて、僕は知らない。
 僕の記憶の方が間違っているなんて、そんなこと──。
 だんだんと自信がなくなり、僕は狼狽えていた。

 レイは、目を眇めて僕を見て、訝しんでいる。
 やっぱり、にわかに信じがたいことだろう。
 僕は胸に手を当てて、必死にレイに訴えた。

「わかっています。信じられないことでしょう。私も、この状況が信じられません。起きたら私には、幼い弟がいた。昨日までいなかった人間が弟として現れたのです」

 あり得ないことが生じている。
 こんなこと、どうやったら証明できるだろう。
 レイは、じっと僕を見た後、口を開いた。

「講義の終わりに時間はあるか? ゆっくり聞かせてほしい」
「はい、お願いします」

 頭ごなしに否定はされなかった。
 僕はそれに安堵して、先生が来るのを待った。
 本当はもう、講義を聞くどころじゃない。
 それでも、こうして学びの間に来なければ、レイと会うことは叶わない。
 僕は焦れた思いを抱きながら、先生の講義を聞くふりをした。



「存在しないはずの弟、か」

 僕の話を最後まで聞くと、レイは考え込んだ。
 そして、伏せていた目を上げて僕に言う。

「腹違いの弟ということはないのか?」
「あり得ません。サイデンの様子からしても、記憶自体が塗り替えられているとしか思えないのです」

 考えを整理しながら話し、可能性を一つ一つ潰していく。

「それなら、またアルサイールのせいじゃないのか?」

 レイはそう言って、自分の意見を述べ始める。

「ありもしない国の王子を名乗って、城に乗り込めたくらいだ。存在しない弟になるのだって、不可能じゃないだろう」

 僕はその話しぶりを聞いて、心が震えた。

「レイ様は、信じるのですか?」

 レイにだって、いつの間にかジェネウスの記憶が植え付けられていた。
 自分の記憶を否定するなんて、簡単にできることじゃない。
 僕ですらも、自分が信じられなくなっているというのに。
 けれども、レイは笑う。

「エスティンがそう言うのなら、間違いない」

 どうしてレイは、いつだって僕の味方でいてくれるのだろう。
 僕は、レイの手に手を重ね、ぎゅっと握り込んだ。

「良かった……。信じて、もらえて……」

 もし、レイにさえも信じてもらえなかったら、諦めるしかなかった。
 自分の方が間違っているのだと、納得しようとしたかもしれない。
 それか、弟なんていないと主張して、頭がおかしくなったと思われたか。
 どちらにしても、レイがわかってくれるのは嬉しいし心強い。

 レイは、ポンと僕の頭に手を乗せて、優しく撫でた。

「お前は時々、とてつもなく気弱になるな。俺はいつでも、エスティンの味方だ。そのことを、疑わないでくれ」

 真っ直ぐな瞳で、レイは僕を見てくる。
 こういう時に、この人は本当に勇者なのだと感じる。
 ただ聖剣を担い、腕が立つだけじゃない。
 それでは、剣士ではあっても勇者ではないだろう。
 レイは、真の勇者だ。──少なくとも、僕の勇者なんだ。

「今晩、私の部屋に泊まっていただけますか?」

 僕が質問の形で頼むと、レイは驚いたように目を見開いた。

「怖いんです。きっと、誰も私を信じない。そこに一人でいるのが、恐ろしいのです」

 傍には、あのジェネウスがいる。
 どんなに距離を取ろうとしても、弟である以上は遠ざけられないに違いない。
 僕にとっての安全な場所がなくなるも同然だ。

 少なくとも真相がわかるまでの間、レイに傍にいて欲しかった。

「サイデンが許すとは思えないが」

 それが一番の難関だ。
 どうやってサイデンを口説き落とせばいいのだろう。

「わかった。とりあえず、話すだけ話してみよう」

 レイはそう言って、噴水の縁から立ち上がった。
 不安げに見上げていたからだろう。
 レイは、僕の顎を指先で捉えた。

「俺を信じろ、エスティン」
「はい、レイ様」

 自分のことは信じられなくとも、レイのことなら信じられる。
 僕が笑うと、レイは掠め取るようなキスをした。
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