【完結】媚薬に狂った僕を助けてくれた、あなたは誰ですか?

佑々木(うさぎ)

文字の大きさ
26 / 40
第四章 想い

今しかない

しおりを挟む
 休日が来て、僕はまた旧校舎に向かい、フェリルと過ごした。
 だんだんと日差しが暖かくなり、気を抜くと寝てしまいそうになる。
 いつも通り、昼近くなるとフェリルは準備室を出ていった。
 一人きりになると、僕はまたフェリルの席に移動する。

 彼がいつも何を見て、何を感じてここに座っているのか。
 僕はそれが知りたくて、同じ場所に座ってみる。
 僕の座る席より少し暖かく、窓の外の木漏れ日がよく見える。
 芽吹く木々を目にして、いつの間にか春が近付いてきていたことを知る。

 フェリルも、そう感じたのだろうか。
 彼が自然を愛する人なのかどうか、僕にはよくわからない。
 鳥の声にも反応しない人だから、季節の移り変わりを楽しむことはないのか。
 こんなに近くに居ても、わからないことは多い。
 
 僕は席を立ち、再び元の席に戻って、勉強し始める。
 今日は、水魔法の座学の復習と、火魔法の実践のレポートにあてた。
 まったく適性のない火魔法だが、協力して事に当たる時には必要な知識だ。
 僕は、座学の復習を終わらせ、ハーヴェイの実技を思い返しながら、レポートを書き始める。彼の魔法は鮮烈で、記憶から消え去ることはない。だからこそ、レポートには最適と言える。

 まとめているうちに少しずつ手元が暗くなり、足先が冷え出して、時の経過に気付いた。
 つい勉強に夢中になってしまっていたようだ。
 窓から外を見ると、すっかり日が落ちている。
 このままだと、寮に戻る前に真っ暗になりそうだ。
 今日はランタンを持ってきていない。
 僕は急いで本とノートをまとめ、準備室を後にした。

 寮への近道を通ろうと、水魔法の練習用のプールに差し掛かる。
 すると、水面が揺れて、空高く水飛沫が上がった。
 だが、そのまま水は宙に浮かび、落ちてくることはない。

 1秒、2秒……10秒まで数えても、浮遊したままだ。
 これだけの量の水を空に浮かび上がらせて、一粒も滴らせることがない。
 相当の使い手に違いないとプールサイドを見ると、シャツの腕をまくり、魔法を使っている人の姿が見えた。肘まで見える腕は白く、だが細くはない。程よく筋肉のついた片腕を頭上に翳し、唇を動かして静かに詠唱を続けている。

 彼に、ここまでの力があるなんて思っていなかった。
 しかも、休日のこの時間に、人目につかないプールで一人練習をするだなんて。
 もしかしたら、昼食の後、ずっとここにいたのだろうか。

 金網越しに見ていたが、もっとよく見たくて、僕はふらりとプールに近付いた。
 プールサイドに立って、空を見上げていると、相手は僕に気付いたようだ。
 詠唱を止めたことで、水が一気にプールに降り注ぎ、ざあざあと音を立てる。
 まるで雨が降ってきたように絶え間なく降る、それほどの水量だ。

「ごめんなさい。……邪魔をしてしまいました」

 僕は謝り、フェリルの方へと一歩進んだ。その瞬間。

「うわっ」

 空が見え、僕は自分が仰向けに倒れ込もうとしているのだとわかった。
 こちらに駆け寄るフェリルが見えて、僕はその姿に見惚れそうになる。
 彼は僕に向かって手を差し伸べ、僕もその手に手を伸ばす。

「……くっ」

 僕の手を掴み、手前に引いてバランスを取ろうとしたのだろうが間に合わず、そのまま二人でプールの中に落ちた。ざぶんと沈み込み、そこで水深が足がつかないほどにあるのだと知る。頭上に水面が見えて、キラキラとオレンジ色に光っている。ぼんやりと見ているうちに、ツンと鼻が痛くなり、息苦しさを覚えた。
 腰に腕が回り、身体が水面に向かって浮かび上がっていく。

「げほっ……は……っ」

 いきなり肺に空気が入り込み、僕は激しく噎せ返る。
 温かい手が僕の背中を撫でて落ち着かせ、腰を抱いたままプールの梯子へと導く。

「ここから上がれ」

 命じられるままに梯子に掴まって、僕はプールの外に出た。
 フェリルは、梯子を使わずにプールから上がり、ベンチにかけてあったタオルを手にする。
 そして、寒さに震える僕の身体に掛け、ふうと一つ息を吐く。

「私の部屋に来い。バスルームを貸すから」

 一瞬、何を言われているのかわからない。
 どうしていきなりと思って、この格好でオヴィス寮に帰れば目立つからだと気付く。

「で、でも……」
 
 フェリルの部屋に、こんな濡れた格好で行くなんてと返したかったが、ガチガチと歯の根が合わなくなって言葉にならない。

「行くぞ。風邪を引く」

 僕の手首を掴み、フェリルは寮に向かって歩き出す。
 幸い周囲に人影はなく、目撃されることはなさそうだったが、僕は混乱していて視界が左右に揺れていた。

「ここだ、入れ」

 フェリルの暮らすアルバ寮に入るのは、これが初めてだ。
 中央階段ではなく、直接部屋に向かう階段を使って2階に上がり、僕はフェリルの部屋の中に入った。

 中は温かく、フェリルの香りがする。
 いつもつけている香水なのか。それともルームポプリの香りか。
 まるで、フェリルの腕に包まれているかのようだ。
 
「バスルームはそこだ。今、着替えを用意する」

 クローゼットを開けて、フェリルは僕の着替えやタオルを出してくれた。
 そして、バスルームへと連れて行き、ドアを閉めようとする。
 慌ててドアを押さえ、僕は告げた。

「僕だけじゃなく、フェリル先輩も温まってください」
「私は水魔法が使えるから、冷たさは感じない。先に使え」

 フェリルほどの水魔法の能力者は、そこまで使えるようになるのか。
 僕は、急いで服を脱いで身体を温めた。
 プールの水のことを考えて、手早く身体を洗い、用意されていた服に着替えて出る。
 それでも、15分はかかってしまった。

「どうぞ」

 窓辺に立っていたフェリルは頷いて、僕と入れ替わりにバスルームに入る。
 僕は、フェリルが立っていた場所に行き、窓の外を見る。
 彼がいつも目にしている光景を眺め、汗が引いて落ち着いてきたところで、ぐるりと部屋の中を見回した

 ここが、フェリルの部屋なのか。
 余計なものが一切ない。生活感のない部屋だ。
 物に触ってはいけないと思っても、机に触れてみたくなる。
 ここに座って、勉学に勤しみ、思索に耽っているのか。
 本棚にある書籍を見たり、テーブルに並んだティーセットを眺めたりしていると、バスルームの扉が開く。
 フェリルは、髪を拭きながら出てきて、僕に視線を寄越した。

「セオドフには使いを出したから、朝までここで休むといい。幸いベッドは二つある」

 朝まで休むということは──。
 ここに、泊まる?
 
 どくんと心臓が跳ね、喉が干上がる心地がした。

「勉強ができなくなるのが気になるか?」

 そんな心配はしていない。
 フェリルのこと以外、何も考えられない。
 
「そこに座れ。紅茶でも用意する」
「あの、僕が──」
「いいから、座っていろ」

 僕は命じられた通りテーブルに着き、紅茶を入れるフェリルを見ていた。
 手慣れた様子で紅茶を入れて、ポットごと僕の方へ持ってくる。
 紅茶ができるまで少し待ってから、僕の目の前に置いたカップに注ぎ入れる。

「美味しい」

 熱い紅茶を飲むと、胃の中まで温まった。
 ホッと息を吐き、もう一度フェリルを見る。
 立ったままこちらの様子を覗っていたフェリルは、顔を上げて自分を見てきた僕に訊ねた。
 
「何か食べるか?」

 フェリルが僕のことを気遣い、話しかけてくれている。
 その空気感に胸が締め付けられる。
 
 言うとしたら今しかない。
 この状況下でなければ。
 きっと二度と、こんなチャンスは巡ってこない。

 僕を窺う蒼い双眸に心が焦れる。話しを振ろうとタイミングを見計らっていると、フェリルは僕に背中を向けて歩き出した。僕は思わず立ち上がり、フェリルの背中を──そのシャツをつい掴んでしまう。フェリルは肩越しに振り返り、僕の顔を見下ろしてきた。

「フェリル、先輩。僕は……」

 今だ。
 このタイミングじゃなければ、想いは伝えられない。
 あの夜のことを僕が思い出したこと。その謝罪をしたいこと。
 今ここで、言うんだ。

 だが、口から飛び出たのは、違う言葉だった。

「あなたのことが、好きです」

 言ってしまってから、僕は自分に驚いた。
 違う、そうじゃない。
 僕が言いたかったのは、謝罪とお礼じゃなかったのか。
 それなのに、どうして。

 混乱する僕に、先輩は溜息を一つ吐いてから応える。

「もう君は休んだ方がいい。右側のベッドを使ってくれ」
「……っ」

 唇が戦慄き、声が出てこない。
 呆然としている僕をそのままに、フェリルは離れて机に向かう。
 僕はその横顔に、あまりに落ち着いた美しい姿に、胸が苦しくなる。

「……おやすみ、なさい」

 言えたのはそれだけだ。
 これ以上留まれば、泣き出してしまいそうだ。

 僕は急いで隣の部屋に入り、扉を閉めた。
 途端に涙が溢れて、肩に掛けていたタオルで顔を拭う。
 それでも涙は止まらなくて、僕は顔を覆った。

 しばらく立ったまま泣き、少し落ち着いたところでベッドルームを見回す。
 簡素なベッドが二つあり、言われた通りに右側のベッドに入った。
 寝具からも微かにフェリルの香りがして、僕は声を殺して泣き続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される

あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

王弟の恋

結衣可
BL
「狼の護衛騎士は、今日も心配が尽きない」のスピンオフ・ストーリー。 戦時中、アルデンティア王国の王弟レイヴィスは、王直属の黒衣の騎士リアンと共にただ戦の夜に寄り添うことで孤独を癒やしていたが、一度だけ一線を越えてしまう。 しかし、戦が終わり、レイヴィスは国境の共生都市ルーヴェンの領主に任じられる。リアンとはそれきり疎遠になり、外交と再建に明け暮れる日々の中で、彼を思い出すことも減っていった。 そして、3年後――王の密命を帯びて、リアンがルーヴェンを訪れる。 再会の夜、レイヴィスは封じていた想いを揺さぶられ、リアンもまた「任務と心」の狭間で揺れていた。 ――立場に縛られた二人の恋の行方は・・・

処理中です...