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敵か味方か、それとも……

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 ロベール殿が居なくなって、シンとした空気が訪れた。
 部屋の窓を全開にするも、なぜか外の音すら聞こえない。おそらく、私も緊張しているのだろう。いくら深呼吸しても、肺に空気が行き渡っていないような気がするんだ。

「サルバトーレ様。ダービー伯爵のお顔に布を被せましょう。簡易的なものになりますが、医療用の白い布があります」
「……お願いしても良いか」
「はい。失礼します」

 ダービー伯爵のお顔は、いまだに内出血したかのような色をしている。きっと、身体の限界を越えてここまでたどり着いたのだろう。あのご様子から、視界も霞んでいたに違いない。息子の声を聞いて安心し、それで気が抜けて逝った……。
 人間の、いや、「親」という生き物の神秘とも言える現象だ。

 しかし、その神秘があったとしてもここに息子が居るということは知らされていないはず。ましてや王宮の中、監視の目をすり抜けてここまで来たとなれば、誰かが手を貸したとしか思えない。
 毒を盛った相手か、はたまた、別の第三者か。これは、親子の奇跡に感動している場合ではないな。まずは、カバンから出した白い布をダービー伯爵のお顔にかけて、手を合わせよう。

「布をかけても、顔色がわかるな」
「ええ……。じきに引いてくるでしょう。血液は、下に集まりますから」
「そうか」
「サルバトーレ様は、開いた傷を消毒しましょう。無理をさせてしまい、申し訳ございませんでした」
「いや、こちらこそ変なところを見せて悪かった」

 私が声をかけると、サルバトーレ様は素直に立ち上がり、ベッドへ向かっていく。先ほどは「もう絶対にアインスの好きにさせない」と駄々をこねていたのに。それに、目を真っ赤にして泣き腫らしたクラリス殿も続く。

 考えることは、ただ一つ。ダービー伯爵と夫人のしたことについてだ。
 本当に、彼らが城下町の水道管に毒を入れたのか。なぜ、彼らだと思われたのか。そして、「父さんが間違っていた」のあの言葉。
 ダービー伯爵が何かしら握っていたのは、確定している。だが、どこまで関与していたのか。サルバトーレ様に少し聞いてみようと思ったが、当の本人は座らずジッとベッドの端を見つめている。

「……」
「どうされましたか、サルバトーレ様」

 声をかけると、ハッとしたような表情になりながら私を見てきた。しかし、座る様子はない。
 私は、ベッド傍の椅子に置かれた医療用カバンから、消毒に使う道具を取り出しながら様子を伺う。このような時は、何度も答えを急かせるようなことはしてはいけない。

 5分は経っただろうか。
 サルバトーレ様は、隣に付いているクラリス殿に背中をさすられながらも口を開く。

「父様が床で眠っていらっしゃるのに、俺……私は、ベッドを使っても良いのだろうか」

 その口調は、まだ父親を尊敬していることを知らせてくる。それだけ、仲が良かったのだろう。きっとまだ、ご両親の死を実感していないに違いない。
 ご両親が大罪を犯し、逃亡し、捕まったと思ったら誰かによって殺されてしまう。その一連の流れは、人の心を持つものであれば誰だって耐えられるものではない。

 それとも、すでに彼の中では「後を追う」未来を受け入れているのか。
 その表情からは、窺い知れない。

「ダービー伯爵は、サルバトーレ様が何をしても笑って見ていてくださいますよ。そういうお方でしょう」
「……でも、あの日」
「はい?」
「あの日、ダイニングにあった炭酸水を持ち出した時は、ものすごい剣幕で怒鳴られた。クラリスも覚えているだろう」

 あの日。
 その言葉を聞いた私は、カバンの中を漁っていた手を止めた。

 どの日でしょう、と聞かなくてもすぐにわかった。
 あの日、炭酸水。それはきっと……。

「はい、覚えております。ベルお嬢様へ謝罪する際に持ち出した炭酸水ですよね。あそこまで怒らなくてもと思ったので、よく覚えております」
「だから、父様は怒らないのではない。いつもはキッチンにあったのに、それだけダイニングにあって。キッチンまで行っている時間が惜しかったために、俺様はその瓶を……」

 やはり、そうか。
 あの瓶は、元々ダービー伯爵のものだったのだ。それが、手違いでサルバトーレ様の手に渡り、ベルお嬢様が受け取ってしまった……。

 ということは、一つ仮説が出てくるな。
 炭酸水を好んで飲まれるサルバトーレ様が居るのに、ダービー伯爵がそれに毒を入れるわけがない。今回のことで伯爵が息子を溺愛していたことがわかったし、だとすればその炭酸水は外部の人間が贈ったものと見てまず間違いない。ダイニングなんて、人が自由に出入りできる場所に伯爵と夫人が毒とわかって置くなんてまず考えられないだろう。
 そして、もしかすれば、それを息子に飲ませるよう脅されていたのか、伯爵に黙って誰かが……ダービー伯爵が最期に言った「あいつ」がそこに置いて帰ったのか。いや、この辺りは想像の域を出ない戯言だ。今、口にすべきことではない。

 それよりも、確認したいことがある。
 私は、ピンセットと清浄綿、包帯の替えを持って、サルバトーレ様と向き合った。
 
「サルバトーレ様。いくつか質問をしてもよろしいでしょうか」
「それは別に良いが、その」
「なんでしょうか?」
「……い、痛くしないでくれ。頼む、この通り」

 親が死んでも腹は減ると言うが、まさに今がその状態だろう。

 サルバトーレ様は、私の持つ医療道具を視界に入れるや否や、後退りしながらそう聞いてきた。そして、今更傷が痛み出してきたらしい。顔を歪めて腹部を押さえ、そのままベッドへと倒れ込む。
 その動作がおかしかったのは、私だけではないようだ。隣で主人を支えていたクラリス殿も、一緒になって笑い出す。

「……なんだ、クラリス。痛いものは痛いのだ」
「はい、わかっております。でも、旦那様の前ですよ」
「……い、痛くない! こんな傷くらい、痛くないぞ!」
「はい、では失礼します」

 質問と応急処置が終わったら、ダービー伯爵のご遺体と、サルバトーレ様が口にするはずだった昼食を調べてみようか。私が勝手に触っても良いかな? 
 ……まあ、怒られたらロベール卿に甘えてみよう。ベルお嬢様にお会いできる機会を1、2回作ればなんでも願いを聞いてくれそうな気がする。

 私は、痛みによって暴れている彼の手足を掴み悲鳴を聞きながら、そんなことを考えていた。



***



 サルバトーレ殿の待機している部屋へ向かう途中、ジルベール卿が話しかけてきた。

「まさか、ロベール卿があの噂の騎士団の隊長だなんて。そんなお方と話せるなんて、私はラッキーですね」
「そんな変な噂でも流れてるんですか?」

 結局、ヴィエンとマークスは帰ってこなかった。
 まだルフェーブル卿が捕まらないのだろう。先ほど尋問した時はあの周辺に居たのに、どこへ消えたのか。王宮外へ、ダービー伯爵を探しに行ったなんてことも考えられるな。
 まあ、とにかくジルベール卿も見た限り地位のある元老院だし、ルフェーブル卿が居なくても事は進むか。

 にしても、どんな噂が流れてるんだ? 嫌な予感しかしない。
 最近演習場に顔を出していないし、サレン様につきっきりだったし、仕事をしてないと思われていたら辛いものがある。……事実だから。

「変だなんて、そんな。騎士団を2つの役割で区切って、自身は全ての書類仕事を請け負い補佐は1人に絞る……。その歳でそれができるなんて、素晴らしいと思いますよ」
「……自分の能力は自分が一番知っていますから」
「今は、それができない人が多すぎる。誇って良いかと」

 誰の話でしょうか、とは聞きにくい。

 確かに、団を2つに分けたのは俺の発案だ。今はうまく回っているが、イリヤのように器用じゃないからそういう運用にした……という話なだけ。褒められる話ではない。

 書類仕事だって、締め切りのあるものばかりだ。誰かに任せてヤキモキするくらいなら、俺がやってしまった方が良いだろう。情報漏洩だって気にしなくて良い。知りたい情報を知れるのではなく、知らなくてはならない情報のみを発信する……それで良いじゃないか。

 こんな管理体制を築いたのだって、アリスお嬢様の一件があったから。
 いつ誰が敵になるか味方になるかわからない中、無条件に情報を与えるのは好きじゃないんだ。……それだけだよ、俺が素晴らしいわけじゃない。

「ジルベール卿は、なぜ元老院に?」
「それに興味がおありでしたら、今度ゆっくりお茶でもしましょう。今は、その時ではない。今は……!?」

 この人は、周囲を良く見ている。そして、元老院や俺らの持つ偏見を一切持っていない人物だ。
 後ろのメンバーに聞こえないよう小声で話しているところを見ると、自身の考えが元老院側に良くないことを理解しているのか。
 この人になら、あの昼食のメニューを誰が出したのか聞いても良いかもしれない。……いや、でも罠だったら? あのメニューが、ダービー伯爵たちに向けたものではなく、潜入捜査した人物を炙り出すものだとしたら?
 そもそも、声をかけてきたタイミングが良すぎるじゃないか。これで、俺がその人物だとバレたら、陛下だけじゃなくてクリステル様にもご迷惑をかけてしまう。それは、ダメだ。

 そうやって思いとどまっていると、ふいに会話が途切れた。いや、ジルベール卿の足も止まっている。気づけば、サルバトーレ殿の待機している部屋がそこに見えるじゃないか。
 しかし、それ以外にも見えるものがあった。俺も、一緒に立ち止まる。

「……どうして、扉が」

 4回ノックしたら鍵を開ける。そんな約束をしたのにも関わらず、部屋の扉が空いていたんだ。
 アインスは、開けてしまったのか? あれだけ警戒していたのに、なぜ……。

 しかし、驚きはそれだけでは済まなかった。

「……サルバトーレ殿?」
「クソッ、間に合わなかったか……」

 その部屋の中から、手錠をつけたサルバトーレ殿が出てきたんだ。
 続けて、鍵束を手にしたルフェーブル卿に元老院メンバーだろう人が2名。しかも、その2名は処刑執行人の黒いマントを羽織っている。
 なぜ、ルフェーブル卿がここに居るのだろうか。それに、先ほど別れた時は「フォンテーヌの養子になる」と言っていた彼がなぜ、大人しく手錠をつけられている?

 俺は、隣で何かを呟くジルベール卿を無視して駆け寄った。
 あのマントは、処刑執行が決まった時にしか着ない。と言うことは、答えは一つだけ。

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