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第一章 二人の旅路
夢現
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翌日、ラファエルは見事にベッドの住人と化した。
歩こうにも腰が怠くて起き上がることすら億劫で、話そうにも喉がこれ以上ないほど枯れていてほとんど息のような声しか出ない。身体中のありとあらゆる箇所が思うように動かず、ラファエルは今日一日をベッドで過ごすほかなくなった。
勿論アルフレッドには懇々と説教をしたわけだが、やはり喉が痛くて途中で断念し筆談へと切り替えた。普段どんなことがあっても動じない山のような男だが、ラファエルがこうなると面白い程声は小さくなってずっとバツが悪そうな顔をしている。そんな男も今はラファエルの命令で街へ食料の買い足しと明後日乗る予定のヒノデの国行きの船の手配をしている最中だろう。
顔を横に向けると大きな窓がある。
そこからは澄んだ青空が見えていた。
──ヒノデの国。それは、ラファエルになる前に暮らしていた場所と、とてもよく似ていた。
ラファエルは意図的に以前のことは考えないようにしていた。知識として利用できるものはしてきたけれど、思い出すことはしないようにしていた。そうすればするほど、自分の足元が今にも崩れ落ちそうな気がしたから。
この世界のことは好きだった。大好きだといっても良い。
けれど、ラファエルとしての人生を与えられて二年経った今でも、ラファエルは時々ここが夢の中なんじゃないかと思う時がある。どれだけ目の前に迫った巨大な生物がリアルでも、噛みつかれた腕から血が流れても、時々、朝目が覚めたらまたあの白くて消毒の匂いが立ち込める場所にいるんじゃないかと思う時がある。
そうして、自分を本当の名前で呼んでくれる家族に会えるのではないかと、そう思う時がある。
けれどそうやって何度夜を超えても目覚めれば自分はラファエルとして異世界を生きている。
手を天井へと伸ばしてみる。自分の意のままに握ったり開いたり出来るのに、見える肌の色が、爪の形が、自分ではないのだと訴えかけてくるようだった。
ぱたんと脱力すれば腕はベッドへと落ちてスプリングの効いたベッドが少し軋む。腕を伸ばした時に肘までずり落ちた白いシャツはアルフレッドのものだ。朝起きてから裸のままでは寒いだろうと着せてくれたものだった。
袖を鼻に近づけるとアルフレッドの香りがした。
昨日も激しくラファエルを抱いた男の匂いがした。
この関係は、なんというのだろうか。ラファエルはぼんやりとした目で空を見た。
ラファエルの生きる世界は同性愛について偏見は無い。多種多様な愛に寛容な国なのだが、二人は別に恋人関係ではない。けれど身体だけの関係なのかと問いかけられたらそれも違う気がする。アルフレッドは間違いなく自分の特別だった。昨日ギルドでマルルゥに言った通り、アルフレッドがいてくれたら良いと心の底から思う程には、彼はラファエルの中で特別だった。
そうでなければ足を開くことも、自ら誘うようなこともしない。
けれどラファエルはこれが本当に自分の感情なのだろうかと疑問に思うことがある。思えばラファエルとして生きて初めてアルフレッドを見たとき、心臓がつきりと痛んだ。針が刺さるような痛みに首を傾げてそこを手のひらで覆うようにした時視線を感じて顔を上げたらアルフレッドがこちらを見ていた。
今では考えられない程の冷たい目で、ああゴミをみるような目ってきっとこんなのなんだろうなと漠然と思った記憶がある。そしてその時も心臓は痛んだのだ。今度は締め付けるような痛みだった。
その二つの痛みは経験したことのない痛みだった。
「……やっぱり、」
何度も何度も考えたことがある。ラファエルとして生きるようになってから、何度も。
自称神様といったあの男は万が一つにもこの身体の元の持ち主が目覚めることはないと言っていたし、魂が死んでいるとも言っていた。けれど、その人の記憶がラファエルの頭の中には確かにあって、その人の視線は常にアルフレッドを追っていた。
魂がなくても、身体がその感情を覚えているのだとしたら。
「…ラファエルは、アルフレッドのことが好きだったのかな」
何度も考えてきたことだった。そしてそれは口にする度に真実味が増していって、今では確信に近いものさえある。けれど、それを確信したところでラファエルにできることなんて何もないのだ。なら何故そんなことを考えるのかと問われたら、答えは一つだった。
ラファエルにはわからなかった。
この胸に灯る感情が自分のものなのか、それともラファエルのものなのか、わからなかった。だから今もぬるま湯のような関係のままでいる。いつかは脱しなければと思っているのにこのぬるま湯が心地良くて、ここだけが自分の居場所のような気がして、脱することができないでいた。
この感情が理解できたら脱することができるのだろうか。これも何度も考えてきた問いだった。それも、未だ答えは出ていない。
深く息を吐いた。何度も同じ問いが頭の中をぐるぐると回って目の奥が痛い。
「…起きよう…」
重くて怠い体に鞭打ってラファエルはベッドから起き上がり、ベッドのすぐ側にあるテーブルの上に置いてあった水差しからグラスに水を注いで一気に飲み干した。冷たさがストン、と胃の中にまで落ちてきて少しだけ身震いする。
ベッドの真正面には大きな鏡があった。昨夜その鏡の前で立ちながら何度も貫かれたことを思い出して口がへの字に曲がるが、その羞恥も瞬く間に霧散する。
鏡に写っていたのは二年前よりも更に磨きのかかった美貌だった。白い肌も青い目も、成長に連れて少し柔らかさのなくなった輪郭は可愛らしさが損なった代わりに危うげな色香を醸し出していた。
綺麗な人だと、今でも思う。
なぜ、と再び思考の海へと落ちそうになった時、廊下からよく知る人の気配がした。それに気づいて思考を切り替えるために頭を振って、乱れた髪を適当に整える。
扉が開いたら、ラファエルに戻らないといけない。
鍵が開いてドアノブが回り、ドアが少し開くと風向きの関係でふわりとシャツと同じ香りと、それに混ざって香ばしい香りと一緒に甘い香りもした。そこにはラファエルの言った通り食料を調達したらしいアルフレッドがいてラファエルは笑みを浮かべた。
歩こうにも腰が怠くて起き上がることすら億劫で、話そうにも喉がこれ以上ないほど枯れていてほとんど息のような声しか出ない。身体中のありとあらゆる箇所が思うように動かず、ラファエルは今日一日をベッドで過ごすほかなくなった。
勿論アルフレッドには懇々と説教をしたわけだが、やはり喉が痛くて途中で断念し筆談へと切り替えた。普段どんなことがあっても動じない山のような男だが、ラファエルがこうなると面白い程声は小さくなってずっとバツが悪そうな顔をしている。そんな男も今はラファエルの命令で街へ食料の買い足しと明後日乗る予定のヒノデの国行きの船の手配をしている最中だろう。
顔を横に向けると大きな窓がある。
そこからは澄んだ青空が見えていた。
──ヒノデの国。それは、ラファエルになる前に暮らしていた場所と、とてもよく似ていた。
ラファエルは意図的に以前のことは考えないようにしていた。知識として利用できるものはしてきたけれど、思い出すことはしないようにしていた。そうすればするほど、自分の足元が今にも崩れ落ちそうな気がしたから。
この世界のことは好きだった。大好きだといっても良い。
けれど、ラファエルとしての人生を与えられて二年経った今でも、ラファエルは時々ここが夢の中なんじゃないかと思う時がある。どれだけ目の前に迫った巨大な生物がリアルでも、噛みつかれた腕から血が流れても、時々、朝目が覚めたらまたあの白くて消毒の匂いが立ち込める場所にいるんじゃないかと思う時がある。
そうして、自分を本当の名前で呼んでくれる家族に会えるのではないかと、そう思う時がある。
けれどそうやって何度夜を超えても目覚めれば自分はラファエルとして異世界を生きている。
手を天井へと伸ばしてみる。自分の意のままに握ったり開いたり出来るのに、見える肌の色が、爪の形が、自分ではないのだと訴えかけてくるようだった。
ぱたんと脱力すれば腕はベッドへと落ちてスプリングの効いたベッドが少し軋む。腕を伸ばした時に肘までずり落ちた白いシャツはアルフレッドのものだ。朝起きてから裸のままでは寒いだろうと着せてくれたものだった。
袖を鼻に近づけるとアルフレッドの香りがした。
昨日も激しくラファエルを抱いた男の匂いがした。
この関係は、なんというのだろうか。ラファエルはぼんやりとした目で空を見た。
ラファエルの生きる世界は同性愛について偏見は無い。多種多様な愛に寛容な国なのだが、二人は別に恋人関係ではない。けれど身体だけの関係なのかと問いかけられたらそれも違う気がする。アルフレッドは間違いなく自分の特別だった。昨日ギルドでマルルゥに言った通り、アルフレッドがいてくれたら良いと心の底から思う程には、彼はラファエルの中で特別だった。
そうでなければ足を開くことも、自ら誘うようなこともしない。
けれどラファエルはこれが本当に自分の感情なのだろうかと疑問に思うことがある。思えばラファエルとして生きて初めてアルフレッドを見たとき、心臓がつきりと痛んだ。針が刺さるような痛みに首を傾げてそこを手のひらで覆うようにした時視線を感じて顔を上げたらアルフレッドがこちらを見ていた。
今では考えられない程の冷たい目で、ああゴミをみるような目ってきっとこんなのなんだろうなと漠然と思った記憶がある。そしてその時も心臓は痛んだのだ。今度は締め付けるような痛みだった。
その二つの痛みは経験したことのない痛みだった。
「……やっぱり、」
何度も何度も考えたことがある。ラファエルとして生きるようになってから、何度も。
自称神様といったあの男は万が一つにもこの身体の元の持ち主が目覚めることはないと言っていたし、魂が死んでいるとも言っていた。けれど、その人の記憶がラファエルの頭の中には確かにあって、その人の視線は常にアルフレッドを追っていた。
魂がなくても、身体がその感情を覚えているのだとしたら。
「…ラファエルは、アルフレッドのことが好きだったのかな」
何度も考えてきたことだった。そしてそれは口にする度に真実味が増していって、今では確信に近いものさえある。けれど、それを確信したところでラファエルにできることなんて何もないのだ。なら何故そんなことを考えるのかと問われたら、答えは一つだった。
ラファエルにはわからなかった。
この胸に灯る感情が自分のものなのか、それともラファエルのものなのか、わからなかった。だから今もぬるま湯のような関係のままでいる。いつかは脱しなければと思っているのにこのぬるま湯が心地良くて、ここだけが自分の居場所のような気がして、脱することができないでいた。
この感情が理解できたら脱することができるのだろうか。これも何度も考えてきた問いだった。それも、未だ答えは出ていない。
深く息を吐いた。何度も同じ問いが頭の中をぐるぐると回って目の奥が痛い。
「…起きよう…」
重くて怠い体に鞭打ってラファエルはベッドから起き上がり、ベッドのすぐ側にあるテーブルの上に置いてあった水差しからグラスに水を注いで一気に飲み干した。冷たさがストン、と胃の中にまで落ちてきて少しだけ身震いする。
ベッドの真正面には大きな鏡があった。昨夜その鏡の前で立ちながら何度も貫かれたことを思い出して口がへの字に曲がるが、その羞恥も瞬く間に霧散する。
鏡に写っていたのは二年前よりも更に磨きのかかった美貌だった。白い肌も青い目も、成長に連れて少し柔らかさのなくなった輪郭は可愛らしさが損なった代わりに危うげな色香を醸し出していた。
綺麗な人だと、今でも思う。
なぜ、と再び思考の海へと落ちそうになった時、廊下からよく知る人の気配がした。それに気づいて思考を切り替えるために頭を振って、乱れた髪を適当に整える。
扉が開いたら、ラファエルに戻らないといけない。
鍵が開いてドアノブが回り、ドアが少し開くと風向きの関係でふわりとシャツと同じ香りと、それに混ざって香ばしい香りと一緒に甘い香りもした。そこにはラファエルの言った通り食料を調達したらしいアルフレッドがいてラファエルは笑みを浮かべた。
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