【完結】星に焦がれて

白(しろ)

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第一章 僕の話

最初から

 未完成の月を後ろに見ながら触れた唇は柔らかくて、そしてあたたかかった。
 あんまり自然に触れ合ったから僕はキスされたのに一瞬気が付かなくて、猫みたいに目を大きく開いてシリウスを見ていた。

「…こうやって触れるし話せるけど、ずーっと手が届かないんだろうなぁ」
「…は?」
「空だからなアルは。空ってさ、手が届きそうだけど届かないじゃん。だからアルにぴったり」

 目の奥には切なげな光を宿すのに表情はどこまでも嬉しそうで、そんな顔も見たことがなくて呆然としていれば僕を見たシリウスの口角が上がった。

 あ、まずい。

 そう思った時にはまた唇が重なっていて、今度はさっきよりも長く触れ合っていた。どんどんと無駄に逞しい体を殴るみたいに叩いて唇を離すと今度こそ文句を言ってやろうと思ったのに、シリウスが抱き締めて来たからそれも言えなかった。

「…アルが自覚しても多分ずっと届かないんだろうなぁ。本当、困ったちゃんだねお前」
「今世紀最大の困ったちゃんが何言ってる」
「それは言い過ぎ! 俺はちょっとだけ困ったちゃん!」
「はいはいそうですね。おい、もう寝るぞ」
「はぁい」

 当然みたいに抱き上げられて一緒のベッドに入って、力を抜いていたら柔らかい腕に頭を置く。するとまた抱き締められるけれど、もう何を言っても無駄だなとそのまま温かな体温に寄り添う。

「…アルにとって俺が何なのか、早くわかると良いな」

 僕にもシリウス自身にも言い聞かせるような声だった。



 ────



 あの時のシリウスをなぜ今思い出したのだろうか。

「好きなんだ」

 僕の両手をベッドに押さえ付けて、見下ろす目が似ているからだろうか。

「…ヤード…?」

 アルコールのせいで頭が上手く回らない。でも今自分が置かれている状況があまり良くないというのは肌感覚で理解が出来る。

「多分、スタクは、今自分がどんな状況なのか、分かってないよな」

 僕の思考を知ってか知らずか聞こえた声に瞬きをする。
 いつもは穏やかなヤードの声が少し上擦っていて、言葉が細かく切れている。口角は歪に上がっているのに表情には少し焦りが見えた。その焦りからか、僕の手首を掴む手に力が入って少し痛い。

「…わからないよな、こういうのも、全部」

 その焦りに、諦めに似た色が乗った。

「でも多分もう、今日を逃したら…。今日がダメだったら、俺は多分ずっと、惨めなやつのままなんだ」

 片手が僕の手首から離れた。その手が僕の顔に伸びて、少し冷たい、少しだけ指先の荒れた手が、僕の頬を撫でる。とても優しく、壊れ物に触れるというのはきっとこういうことなんだと、そう思わせる手つきだった。
 頬に触れている指先が震えていた。
 指先から存在を確かめるみたいに輪郭に沿って触れて、手のひらが頬を包む。
 僕はその間、ずっと奇妙な違和感を覚えていた。でもその違和感の正体がわからなくて固まっているとヤードが小さく息を吐いて、自嘲めいた笑みを浮かべる。

「!」

 頬に触れていた手が後頭部に移って、頭が浮く。

「っ、い、やだ…!」

 今、唇が重なった。ヤードが僕にキスをした。
 想定なんてしてこなかった事態に一気に全身が緊張して混乱で思考が鈍る。首を振って口を離し、距離を詰められないように片手でヤードの胸を押す。
 だけどその手を煩わしいと言わんばかりに拘束されて僕はまたベッドに押し付けられた。
 この行動の先を、僕は知っている。

「嫌だ、嫌だヤード、」

 もっと言うべき言葉も、取れる行動もあるはずなのに気が動転していてそんな言葉しか出ない。さっきまではヤードの表情を観察する余裕すらあったのに今はそんなものどこにも無かった。
 ただ目線だけは逸らせなくて凝視していればヤードの目の奥がほんの少し和らいだ気がした。

「…やっと俺を見た」
「…は」
「スタクの目には、ずっとあいつのことしか映ってない。何をしても、どこにいても、お前の頭の中はずっとルーヴでいっぱいだ。八年前から、ずっと」
「なに、言って」

 どうして今シリウスの名前が出たのか、僕は分からなかった。でもその一瞬の隙をヤードは見逃してなくて、首筋に顔が埋まる。
 肌に熱くて湿った息が掛かる。ざらりとした舌が皮膚を舐めて、吸い付かれた。
 ぢゅう、と耳のすぐ側で音がして微かな痛みに喉が引き攣るような声を出した。

「ひっ」

 背筋が粟立つ。明確な嫌悪が全身を駆け巡り、そこでようやく僕は抵抗らしい抵抗を始めた。

「離せ、っなんで」

 でも僕とヤードは体格が違う。全力で抵抗してもベッドが嫌な音を立てるだけで拘束が緩む事はなくて、動いたせいで急速にアルコールが回って気持ちが悪い。
 自分がパワー勝負に負けていることも、ヤードに押さえ付けられていることも、この状況も、とにかく全部が嫌だった。嫌で嫌でしょうがなかった。

「なんでこんなことするんだよ!」
「好きだからだよ!」

 キツく握られた手首が痛い。力で押さえ込まれながら叩きつけるみたいに発せられた言葉に目を見開く。

「お前のことが好きだから、叶わないってわかってても好きだから、だから、こんな馬鹿なことしてるんだよ」

 好きという言葉が体を貫いてくる。
 呼吸が、しづらい。
 ぱたぱたと頬が濡れる。それがヤードの涙だとわかるのに時間は掛からなかった。
 ヤードが苦しそうに表情を歪めている、それはきっと、多分僕も同じだ。
 ヤードとは十歳の頃からの付き合いだ。同じクラスで同じ授業とテストを受けて、難しい試験の時はみんなで苦戦した。シリウスの奇行に一緒になって頭を悩ませたってことも多分あったはずだ。
 僕の中でこの男はいつでも優しくて穏やかな人だった。小さな頃からずっとそうだった。

 ──だけど。

 目の前にいる男は、本当に僕が八年間も一緒に過ごした男なのだろうか。
 優しげな目が、切なげな光を灯して揺れている。それなのに表情は酷く甘くて、見ているだけで胸焼けがしそうだった。

「…お、前…いつから…?」

 情けないくらい掠れた僕の声に、男の、ヤードの口角が上がる。

「最初からだよ。お前を初めて見た時から、俺はお前のことが好きだった」

 絞り出すように告げられた言葉に僕は唇を血が滲むくらい強く噛んだ。目の奥が痛いくらいに熱かった。

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