用済みの元聖女は闇堕ちする

白(しろ)

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第一章

波紋※無理矢理表現有り

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 驚愕に目を見開いて硬直したアリアにトリアトは恍惚とした。

「…ああ、とっても良い表情ですねえ。いやはやあなたがそんな顔をできたことが驚きです。人が死んだ報告をしても悲痛な顔をするだけだったあなたが、まさか護衛騎士のことでそれ程動揺するとは。ふふふ、ああ楽しい」

 吐息が触れそうな程の距離でじっくりと顔を見られても、今のアリアにはそれを不快だと思う余裕すらなかった。それ程までに今トリアトが言った言葉が信じられなかった。

「それでは私は戻ります。あなたに神のご加護があらんことを、元聖女様」

 髪から手を離され、アリアの身体は床に蹲る。
 カツン、カツン、と靴音を鳴らして遠ざかっていくトリアトを見ることもなく両手で頭を抱えた。
 ガンガンと頭の中で鐘が鳴っているように騒がしく、堪え切れない激情が嗚咽となって喉を迫り上がった。

「ぅ…ぅああ…ぁ、あああ…っ」

 ぼたぼたと大粒の涙が黒の目から溢れ出て廊下に落ちてシミを作る。
 聖女ではなくなった時も、不当な扱いを受けた時も、シーニャを引き離された時もアリアは泣かなかった。だってそれが当然だと、それが自分への罰だと思っているから。だからアリアは泣かなかった。
 けれど今、涙が止まらない。
 コンラッドが護衛騎士でなくなったのも、自分以外を聖女と呼んだのも受け入れることが出来た。だがこれは違う。

 他の誰でもないコンラッドがアリアを切り捨てたのだ。
 二人で出掛けようと手を伸ばし、寒い時は暖めてくれて、アリアが辛い時は慰めていつだって側にいてくれたコンラッドが、アリアを用済みだと判断した。
 トリアトから告げられた真実はアリアの心にヒビを入れるのには十分な出来事だった。
 アリアにとってコンラッドは、淡い恋心を寄せる人だった。


 
 それからアリアは魂の抜けた人形のように日々を過ごした。
 教会内の誰よりも早く起きて様々な雑用を機械的にこなし、与えられる理不尽な叱責や暴力にも心を痛めることはなくなった。その代わりアリアの身体は痩せ、艶のあった黒髪はパサついて乱れ、爪の先はガタガタに削れていた。

 そこにかつての聖女の面影はなく、アリアは神に祈ることをやめた。
 日に日に衰弱していくアリアに降り掛かる理不尽はそれだけでは収まらなかった。
 ある日教会の地下にある食糧庫へと必要な食材を取りに行った時のこと。大きなカゴの中に大量の野菜を入れていれば扉が閉められる音がしてアリアは顔を上げた。けれどその表情に焦りはなく、ガラス玉のような目で薄暗い扉を一瞥してまたカゴに視線を戻した。

 こんな風に閉じ込められたのは一度や二度ではない。今回は食糧庫であるだけまだマシかも、とすら思った。
 アリアはただ無心で与えられた仕事をこなしていく。カゴに大量の野菜を入れて、アリアの戻りが遅いと苛立った厨房の誰かが扉を開けてアリアを怒鳴るのだ。外側からしか鍵を閉じることの出来ない部屋だとわかっているクセに、まるでその鍵なんてなかったかのようにアリアが仕事をサボったと言って殴るに違いなかった。

(地獄のようだ)

 一体いつまで自分はこんな扱いを受けるのだろうか。だがこの調子でいけばきっと自分はそう永くはない、きっとそれが狙いなのだろうなと自嘲する。
 その時だ、ジャリ、と背後で人の気配を感じたのは。

「ぇ、」

 小さな声が出た時にはアリア肩を掴まれ地面に押さえつけられていた。
 足を大きく開かせられ、その間に誰かの体が割り込んでくる。
 人はこんな時声が出なくなるものなのだとアリアは初めて知った。

「…ああ、本当に聖女様だ」

 聞こえた声は低く、男性のものだとわかる。薄暗い中では顔をはっきり見ることは出来ないが、アリアはその人が誰か知っていた。
 心臓が壊れるほど脈打ち、呼吸が乱れる。

「…ど、して…っ」

 言わなければならない言葉はあるのに、アリアの口を突いて出たのは疑問だった。
 その人はアリアが聖女でなくなった日、護衛棋士として王城まで案内した人だった。どうして騎士がこんなところにいるのか、何故自分の上にのしかかっているのか、頭の中にはまとまらない疑問が水のように噴き出て混乱していた。
 けれどその疑問も、騎士の手がアリアの太腿に触れたことで弾けた。

「いやっ!離して…っ、触らないでぇ…っ!」

 本能的な恐怖で悲鳴を上げたアリアはがむしゃらに暴れた。
 怖くて怖くて仕方がなかった。どうにかして離れて欲しくて振り上げた手が男の頬を引っ掻いた途端、アリアの頬が打たれた。

「う…」
「暴れないでくださいよ聖女様。ああ、もう元聖女様ですね」

 口内に血の味が広がった。脳がぐらぐらと揺れているような気がして視界が眩む。抵抗が弱まったアリアを見て男の口角が吊り上がる。

「いやあ、実は前から狙ってたんですよあなたのこと。けど聖女の時はさすがに手出すわけにはいかねえし、かといって聖女じゃなくなったあんたがどこにいるかわかんなかったんですけど、まさか教会にいるなんてなあ」

 男の手がアリアの身体を弄る。嫌悪感に吐き気がして、恐怖に全身が震えるのに目の奥ではチリチリと怒りで火花が散りそうだった。

「…そんな、そんな気持ちで騎士になったのですか…!」
「はあ?」

 知能のなくなった動物のように身体に触れていた手が止まり、男がアリアを見る。
 暗がりに慣れた目で見えたその顔は悪魔のようだった。

「あんたが聖女の時はちゃんと守ってやったろ?でもあんたは今はただの婢女はしため。騎士である俺に手籠目にされることを泣いて喜べよ。利用価値もなくなって、教会の評判も落として、それなのにご自分は安全が保障されてる中でのうのうと過ごしてたんだからさあ、これくらいのこと我慢しろよ。みーんな言ってるぜ、あんたがいなくなって良かったって」

 ねっとりとした男の声が耳元で吹き込まれて鳥肌が立つ。惨めさに涙が滲んだ。
 何も言い返せないアリアを鼻で笑って男の手が興奮も隠さずに服を乱して首筋に顔を埋めた。

──これも罰だというのだろうか。

 凪いだ水面にぽとりと雫が落ちて波紋が広がっていく。

(私は罰を受けるべきだ。だって彼の言う通り、私は安全な場所で守られて、その間に多くの人を死なせてしまった。だから私は罰を受けるべきで、それが正しい道なんだ)

男の手が素肌に触れた。

 ──違う。

 頭の中で波紋は広がり、それはやがて大きな意思になる。

 ──違う、違う違う違う!だって─!

(私は精一杯やってきた‼︎)

 試せることは全て試した、やれることは全部した。
 どれだけ血を吐く思いで祈っても、魔力切れを起こして吐いて苦しみでのたうち回っても、それでも救えなかったあの無力感を、あの絶望を、あの日々を。
 こんなことをされるためにこの身に刻んできたわけではない!

「私に…っ!」

 アリアは男を睨んだ。自分の上で獣のように息を荒くして体に触れるそれに手を翳す。

「触れるな…‼︎」

 瞬間。
 鋭い炸裂音と共に男の身体が吹っ飛んで食糧庫の壁に叩き付けられた。
 気を失った男に目もくれずアリアはゆらりと立ち上がって外から鍵を締められた扉へと向かう。乱れた服を整えもせず、先程と同じように扉を吹き飛ばす。
 もうアリアの目に光は宿っていなかった。
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