用済みの元聖女は闇堕ちする

白(しろ)

文字の大きさ
9 / 12
第一章

さようなら

しおりを挟む
 二人の間に沈黙が落ちた。
 黒目が大きく見開かれ、何かを伝えようとして唇が僅かに開くが声が発せられることはなく、その人は血の滲んだ唇で柔らかく微笑んだ。
 ダメだとシーニャは本能で悟った。
 今動かないと、この人は消えてしまう。
 そうわかっているのに、身体がその場に縫いとめられたかのように動かない。声すら、出なかった。

「さようなら」

 何度も聞いてきた、焦がれてきた声で、一番聞きたくなかった言葉を言って、その人は去ってしまった。翻った黒髪が華奢な身体がどんどん遠くなる。
 シーニャは動けなかった。
 全身から力が抜けて膝から葛折れる。ばくばくと心臓が破裂しそうな程脈打っていて、呼吸は荒くなる。今自分が見たものが信じられなかった。信じたくなかった。
 けれど脈打つ鼓動が、張り裂けそうに痛む胸が真実なのだと突き付けてくる。
 随分痩せていた、顔色が悪かった、髪が乱れていた、殴られた痕があった、服が、乱れていた。使用人の服だった。

「そんな…」

 ようやく絞り出せた声はあまりにも小さくて、身体中を駆け巡る感情を堪えるように握られた拳は白くなっていた。
 なんで、どうして、そんな疑問が脳内を埋め尽くす中で、冷静な部分が冷酷に淡々と耳元で囁く。

 ──わかっていたでしょう?幾らでも予想は出来たはずよ?

 ヒュ、と喉が鳴った。
 そうだ、シーニャには今の状況来ることを心のどこかでわかっていた。けれど、そんなことになるはずはないと思い込んでいたのだ。だってアリアは「聖女」だから。いくら力が弱まったとしても、それまでの功績は絶対に評価される。だからシーニャのおぞましい想像が作り上げた事態になるわけがない。そう、思い込んでいた。

 だが実際は違った。シーニャは知っていた。アリアがどれだけ教会の上層部から疎まれているか、そのことを察知した教会を嫌う輩がアリアの悪い噂を吹聴していたか、そしてその噂を鵜呑みにした民衆がアリアをどれほど恨んでいるか、シーニャは知っていた。

 その全ての矛先が向かなかったのはアリアが聖女のままだったからだ。
 どれだけ力が弱くてもこの世界に聖女はアリア一人だけだったから、みんなアリアを大事にするしかなかった。けれどもう、アリアは聖女じゃない。
 そんな彼女を待ち受ける未来なんて、想像したらわかるのに…!

「…アリア様…っ」

 シーニャは立ち上がり、アリアが消えた方へと走り出した。
 きっともう追い付かない。追い付いたところで自分にできることなんて何もない、けれどシーニャは走らずにはいられなかった。
 誰が何と言おうとシーニャにとっての聖女は昔も今もアリア唯一人だ。

「アリアさま」

 アリアが向かった先はまだ二人が幼かった時に見つけた秘密の抜け穴だ。強固な守りを誇る教会の外壁、茂みに隠れたその場所に人が通れる穴があることを二人は知っていた。そこから偶に動物が入ってきて餌を恵んで貰っているのを知っていたから、二人はそれを秘密にしようと約束した。
 そんな思い出が沢山ある。アリアが誰よりも優しく、そして傷付きやすいことをシーニャは誰よりも知っていた。そんなアリアがこの数ヶ月間をどんな風に過ごし、どんな心ない扱いを受けて来たのかを思うとシーニャの目からは涙が溢れた。

 流れる涙を手の甲で強引に拭い、息を切らしながら走った先でシーニャは足を止めた。
 茂みの中を進んで、穴のある場所を見てシーニャは再び座り込んだ。
 真新しい枝が折れた場所がある、誰かが外に出た形跡がある。動物かもしれないが、きっとアリアだとシーニャは確信していた。

「……アリア様…」

 自然と祈るように両手を組もうとして、やめた。
 この世に神も何もいるものかと、いるのならどうしてアリアをこんな目に合わせるのだと、目の前に神がいるなら掴み掛かってやりたい気持ちだった。
 けれどシーニャはもう一度手を組んで、そっと祈った。

「どうか、どうかアリア様が…っ」

 誰よりも優しくて、気高くて、何でも一人で抱え込んでしまうあの人が。

「…無事で、幸せになりますように…」

 泣く資格なんてないのにアリアを思うだけで勝手に涙が溢れてくる。こんなことしかできない自分の無力さが情けなくてしょうがなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか

あーもんど
恋愛
聖女のオリアナが神に祈りを捧げている最中、ある女性が現れ、こう言う。 「貴方には、これから裁きを受けてもらうわ!」 突然の宣言に驚きつつも、オリアナはワケを聞く。 すると、出てくるのはただの言い掛かりに過ぎない言い分ばかり。 オリアナは何とか理解してもらおうとするものの、相手は聞く耳持たずで……? 最終的には「神のお告げよ!」とまで言われ、さすがのオリアナも反抗を決意! 「私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか」 さて、聖女オリアナを怒らせた彼らの末路は? ◆小説家になろう様でも掲載中◆ →短編形式で投稿したため、こちらなら一気に最後まで読めます

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

私が偽聖女ですって? そもそも聖女なんて名乗ってないわよ!

Mag_Mel
恋愛
「聖女」として国を支えてきたミレイユは、突如現れた"真の聖女"にその座を奪われ、「偽聖女」として王子との婚約破棄を言い渡される。だが当の本人は――「やっとお役御免!」とばかりに、清々しい笑顔を浮かべていた。 なにせ彼女は、異世界からやってきた強大な魔力を持つ『魔女』にすぎないのだから。自ら聖女を名乗った覚えなど、一度たりともない。 そんな彼女に振り回されながらも、ひたむきに寄り添い続けた一人の少年。投獄されたミレイユと共に、ふたりが見届けた国の末路とは――? *小説家になろうにも投稿しています

処理中です...