用済みの元聖女は闇堕ちする

白(しろ)

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第二章

甘美な囁き

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 空は紫色で草木は死に絶え、そこかしこに異形の魔物が蔓延って捕らえられた人の血と骨が散乱し、断末魔が聞こえる。魔物達が住む国はそんな有様なのだとアリアはずっと思っていたが、それはどうやら盛大な勘違いだったようだ。
 確かに天候は悪いが空が紫色だなんてことは無く、日の光が問題なく届いているからか豊かな森を確認できる。黒やら紫やらそんな色合い形成されたおどろおどろした場所だとばかり思っていたのに、実際に訪れて見ればルマンダ国となんら変わりはない。

 変わったことがあるとするならばその周囲に漂っている魔力の輝きが聖女のものではなく、魔王のものだということくらいだろうか。
 ベランダの柵に身体を預けて両手で黒い粒子のような魔力を掬おうと手を伸ばす。

「また外を見ているのか」

 音もなく背後に現れた存在にアリアは眉一つ動かさない。
 振り返ることも、声を発することもしないアリアに男、魔王はクツクツと愉快そうに喉を鳴らして嗤い艶を取り戻したアリアの黒髪に触れる。指通りの良いその感触が気に入っているのか魔王は飽きることなく髪を撫でながら距離を詰めた。

「聖女よ」
「やめて」

 腰に来る低音が耳元で響いてアリアの背筋が粟立つ。その声にも「聖女」と呼ばれたことにも咄嗟に拒否反応が出て思わず振り返った先にいた仮面に息を呑む。

「だが名で呼ぶことは貴様が拒絶した。なら俺はお前をなんと呼べばいい?このやりとりももう何度目だ。俺はお前を気に入っているからな、こんなやりとりは寧ろ楽しいくらいだが、お前はそうじゃないだろう」

 魔王の腕がアリアの腰に回り、簡単に腕の中へと閉じ込める。抵抗らしい抵抗もしないまま腕の中に収まったのは動けないからだ。この男は一切の予備動作なく拘束の魔法をアリアに使用し、こうして抱き締めてくる。けれどそこに温もりはなく、あるのは底冷えしそうな冷たさだけ。

「離して…っ」
「聖女と呼ぶな、名も呼ぶな、俺の聖女は随分と我儘らしい。挙げ句の果てには触れるのも駄目と来た。とりつく島も無いなお前は」

 相変わらず魔王は楽しそうに嗤う。声だけで拒絶するアリアを嘲笑うように一層腕の力を強めて抱き竦められ、アリアの表情は悔しさに歪んだ。

「…慰み者にするくらいなら死なせてください」

 これも何度も伝えて来た言葉だった。だがこれを言う度に魔王は鼻を鳴らして嘲る。

「何度も言わせるな。俺はお前をそんなことに利用するために攫って来たわけではない」
「ならなんのために」

 ふむ、と魔王の口が動いた。顔の半分を隠しているせいか表情の変化は分かりづらいがそれでもこの男が何かを楽しんでいることはわかった。

「最初に言っただろう。力を与えてやろうかと」

 魔王はアリアの身体から腕を離し、何もない空間を指先で丸くなぞった。
 するとそこに朧げな光を発する円形の鏡のような物が現れ、目を見開いて驚くアリアを他所に魔王は楽しげに鏡に映った景色を見ていた。光が収まった鏡面の中に映るのはアリアのよく知る場所、教会だった。それもアリアの苦手とするトリアトの部屋で、その部屋の主は機嫌良さそうに誰かと話しているようだった。

「いやはや僥倖。あの使えない女がようやく教会からいなくなったようで私は今とても気分が良いですよ、フェルナンデ。さすがにあれ以下の扱いにするわけにも街へと捨て置くわけにもいかなかったので」
「何が僥倖だ。危うく死にかけるところだったんだぞ」
「今生きているから良いではありませんか」

 鏡が一人でに動きトリアトが話している人物を映し出す。その瞬間、アリアの身体は震えて奥歯が鳴りさあっと全身から血の気が引いた。
 あの、男は。

「大体話が違うじゃねえか神官長さんよ。あの女まだ魔力があったぞ」
「魔力が無くなったとは一言もいっていませんよ。私はただ用済みだといっただけです」
「そんな言われ方したら誰でも勘違いするだろ。ただでさえ聖女の祈りなんてあってないようなもんだったったてのに」

 震えと困惑と嫌悪感が止まらなかった。なんだろう、この会話は。まるで悪夢のような会話が鏡から流れ続ける。とても信じたくない内容にアリアは無意識に首を横に振った。

「これは俺が作り出した幻影などではない」

 耳元で囁かれた声に喉から引き攣ったような短い悲鳴が漏れた。この会話を聞きたくないのに目も意識も逸らせず、瞬きも出来ないままアリアは食い入るように鏡を見続けた。

「これは現実だ、アリア」

 そんな筈はないなんてアリアには喉が裂けてもいえなかった。
 この男なら、トリアトならばこれくらいのことはやってのける。グラスに葡萄酒を注ぐくらい簡単にアリアに悪意を無邪気にぶつけてくる。

「始めの頃は彼女もきちんと聖女様だったんですがねえ。何があったのかただのゴミになってしまって困っていたんですよ。まあそのゴミも、自ら教会から出て行ってくれたのなら色々な手間が省けました。餓死か凍死か、それとも自死するのか、そんなことを思っていたので」
「…恐ろしい人だな、あんた。けどもし生きてたらどうするんだよ」
「どうもしませんよ。街に降りればここよりも恐ろしい環境になるだけですから」

 血のように赤いワインを口に含んでトリアトが笑う。

「あの女の力が弱まった時から流れ出した教会を貶める噂話に始めこそ腑が煮え返る思いでしたが、今となっては良い噂話だと感謝しています。なにせあの女は教会の寄付金で豪遊し夜な夜な男と交わっていた阿婆擦れらしいですから。魔物の脅威に晒され、農作物も育たず死を待つばかりだった世界中の人からしたら魔物よりも憎い人物なんじゃないでしょうか」

 ソファに鷹揚に腰掛け口元に鮮やかな笑みを浮かべる。

「民衆とは愚かですよ。恨むべきは聖女ではなく魔物であり魔王であるのに、それをたった一人で押さえ込んでいた女性に怒りの矛先を向けて如何にもあの女が敵なのだとでも言いたげだ。毎日毎日血を吐く程に身体を酷使して寝る間を惜しんで祈っていたとも知らずに」
「けどゴミなんだろう、あんたからしたら」
「ええ。けど僕は優しいと思いますよ?色事の一切を知らず死ぬだけだった彼女に男を宛てがってあげたのですから。お気に召さなかったようで逃げましたけどね」

 キツく握り込んだ手のひらからも、固く食い縛った口からも血が流れ出して全身が震える。全身の血液が沸騰しそうなくらいに身体が熱いのに、心はそれに相反して氷のように冷たくなっていく。まだ鏡の中で男二人は楽しげに話している。耳を覆いたくなるような下卑た会話のようだが、もうアリアの耳にはうまく言葉が入ってこなかった。
 魔王が宙に翳した手のひらをグッと握ると鏡は粉々に砕け、その破片は魔力の粒子となって風に混ざり消えていった。

「──さて」

 鏡が消えてその場に座り込んだアリアを簡単に抱き上げた魔王が口元に弧を描く。

「殺すか?あの二人を、お前の手で」

 まるで睦言でも交わすように囁かれた言葉をアリアは拒絶出来なかった。それどころかそれを甘美な囁きと捉えてしまって、そのことがショックで目を見開いた。
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