ただいま

越知 学

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1章

2話

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 僕らの家庭は、一番最後に帰ってくる父親を待って、みんなで食卓を囲む習慣がある。何も昔ながらの父親が一番上だからというくだらない風習のためではない。ただ単に、母親が何度もご飯の支度をするのは嫌だからという理由だった。
 ……作り置きにすればいいのに。
 僕はたまにそう思うことがあるが、口が裂けてもそんなことは言えない。なぜなら、母には「温かいご飯を温かいうちに食べて欲しい」というポリシーがあるからだ。
 ……もう頭が上がりません。
 そんなことを思いながら、食卓に料理を運ぶ手伝いをし終えると、タイミングを見計らったように姉が近づいてきた。
「今日はカレーか!やったー!」
 ……喜ぶ前に手伝えよ。
 要領だけで生きてるような姉はさっさと自席に座り、みんなの着席を待っている。そんな姉に一言でさえ嫌味を言えない自分に少しがっかりする。
「いただきます」
 みんなが席に座り、口を揃えて合掌する。もしかすると、最近の家庭ではあまり見られなくなった光景なのかもしれない、
 僕は山盛りのカレーの真ん中あたりにスプーンを入れ、ご飯とルーが均等になるように掬い、こぼれないように急いで口に運んだ。
 ……ん?少し辛いような?
 そう思ったとき、料理を運ぶ際に目に入ったルーの箱の色が、いつもと違ったことに気が付く。でも、中辛なのに僕が水を飲まなくても食べられるのはおかしい。
 ……なるほど。きっと甘口と中辛をミックスさせたんだな。
 姉と父は辛い物が好きで、お店でカレーや麻婆豆腐を注文するときは、必ず辛口を頼んでいる。しかし、僕が辛口が苦手である以上、家で作る料理はどれも辛く味付けされることはなかった。
 ……なんかすいません。
 そう思うと同時に、ささやかな配慮ができる母はさすがだなと感じた。
 僕は父にちらっと目をやる。相変わらず食べるのが早い。その食べる表情は、言葉に出さなくてもおいしいという言葉が溢れ出ていた。食べることが好きな父にとって食事の時間は至福の時なのだろう。
 次に姉に目を向ける。姉は健啖家でとにかくよく食べる。揚げ物などのみんなで一つの大皿を共有する料理であれば、僕は必ず食べ負けてしまう。それ故か、僕よりも身長が大きく、体格もしっかりしている。姉の表情も、特に変わった様子はない。
 最後に母親を見る。母はお喋りが大好きだ。口が軽いというわけではない。ただ、その日あったことや思い出したことを頭の中で整理する前にもう話し出している。そのため、内容を一から十まで話すことが多いので、よく家族から「話が長い」と言われている。
 しかし、最近の母はいつもより口数が少なく、心なしか表情も少し暗いように感じる。そして口を開いたかと思えば、職場で起きた嫌なことを話し始める。きっとストレスを溜め込まずに、吐き出して心の均衡を保っているのだろう。
 しかし、僕は母のその愚痴を聞くのがあまり好きではなかった。僕は親友や知人に相談事を持ちかけられることが多いため、そういった耐性はついているはずだ。どんなに負の感情が伴った話でも、最後まで聞き共感することができる。
 だが、母の文句を聞いていると、無性に腹が立ってしまう。自分の感情なのに、何故そのように思ってしまうのか不思議でたまらない。
 母が辛い思いをしているのが許せないから?
 母の悩みを僕が解決させることができないから?
 それとも純粋に母の似たような愚痴にうんざりしているから?
 ……分からない。
 ただ、この怒りにも似た感情は確かに僕の中になる。これを出してしまったら、きっと母を傷つけることになるから、今は何とか持ち堪えている。
 今日も母は、職場であった嫌な出来事を話し始めた。さっきまでおいしく食べていたカレーが急に味気なくなってしまう。
 耳を塞ぎたい。これ以上聞いたら、僕の中にある嫌な言葉が外に出てしまう。しかし、その思いは伝わるわけもなく、母は話し続ける。僕が必死に抑え込んでいるその感情は、沸騰する泡のようにグツグツと上がってくる。
「あのさ」
 僕は口を開いてしまった。いや、まだ今なら止められる。耐えろ。耐えろ。
 しかし、僕の言葉はその自制をあっけなく打ち破ってしまった。
「もうお母さんの同じような愚痴を聞いて1週間以上経つよ?しかも食事中なのに。みんな黙って聞いてるけど、人の愚痴を好き好んで聞くような悪趣味な奴はここにはいないよ。少なからずお母さんがその話をすると、嫌な空気が流れてしまう。そしてお母さんがそんな負の感情でいることで、家の雰囲気が悪くなってる。それが毎日続くとさすがに耐えられないよ」
 ……言ってしまった。僕がずっと溜めていた言葉を。
 いつもの母なら確実に言い返してくる。そして必ず僕が論破される。しかし、今回は黙り込んで、それ以上何も話さなくなった。母の表情は、自分の居場所をなくしたような、どこか寂しげなものだった。
 ……違う。僕は母にそんな顔をさせたかったんじゃない。
 その場の空気は今まで最も最悪なものだった。誰も何も言えず、ただカチャカチャとスプーンとお皿があたる音だけが響いていた。
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