伏物語(フセモノガタリ)

越知 学

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2話

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 彼が暴君という似つかわしくない異名で呼ばれるようになったのは、中学校に入ってまだ1か月も満たない時期の頃である。きっかけは本当に些細で、だからこそ誰にでも起こり得る話だ。
 彼は大衆に目立つタイプではなく、誰かに嫌われることもない穏やかな性格だった。
 そんな彼は、ある人からなんの予告もなくこう命令された。
「もうあいつとは仲良くしないで、無視してね」
 しかし彼は、一切躊躇わずに疑問をぶつけた。
「どうして?彼も大切な友達なんだけど?」
「俺たちが気に食わないからだよ。分かんないの?」
 その時、彼の中で今まで感じたことのない感情が湧き出てくる。
 それはーー人間不信。
 中には「こんなありふれたことで?」と思う人もいるかもしれない。
 しかしあまりにも純粋に育ちすぎた彼にとって、誰かを除け者にするなどという考えは持ち合わせていなかった。
 結局彼は何も答えられず、ただ俯くことしか出来なかった。
 それ以上話が進展することがなかった代わりに、翌日から口を聞いてくれる人がいなくなった。
 私が彼を知ったのも丁度その時期だったと思う。
 無力で全く影響力を持たない私には、どうすることも出来なかった。
 彼は無視されることに対しては何とか耐えられた。
 しかし、久しぶりに聞こえた自分の話題の内容に、彼は激怒することになる。
「あいつの親、どういう教育してんだろうな?あいつに似て馬鹿なんじゃね?」
 両親を罵られ、侮辱され、否定された。
 誰よりも親を尊敬している彼にとって、それは自分の世界を否認されたことに値した。
 もし身体が弱ければもっと別の方法をとっていたのかもしれない。しかし彼は体格こそ恵まれていないものの、生まれ持った格闘技の才能があった。
 彼は我を忘れることなく、相手の意識が無くなる寸前まで叩きのめした。
 そこからは地表が見えない崖から落ちていくようにあっという間だ。
 噂というのは、池へ投げられた餌に群がる鯉のように、それ本来に大きな意味を持たない。
 そこにあるのはただ本能のみ。
 悪気があろうとなかろうと、噂という餌が撒かれれば次々とそれになだれ込み、その動向に気づいた誰かがまた詰め寄せる。そうして取り返しのつかないほど広いところまで知れ渡ってしまうのだ。
 彼は様々な輩と戦うことになり、傷一つ負わず圧勝しては「これで終わりだと思うなよ」と言い捨てる。
 故に負けた者はあまりの恐怖に関係を断ち、粋がった奴らが次から次へと勝負を挑みにくる。それ以外の人間は傍観に徹した。あれには絶対に関わるまいと。
 ――これが彼の通り名誕生の全貌である。
 ……でも、私は知っている。
 どんなに酷い悪態をついた人でも、最後のとどめは刺さないこと。
 何もアクションを起こそうとしない傍観者に対して害を与えないこと。
 両親には絶対心配をかけないように、細心の注意を払っていること。
 彼は自分が圧倒的に苦しい状況でさえ、そのような配慮を欠かさなかった。
 結局いくら人間が信用できなくなっていっても、彼の性根は変わらなかったのだ。
 そしてそのような良心が存続できたのは、おそらく「星」のおかげだと思う。
 彼はよく夜空を見上げては、人目も憚らず指を差しなから正座の名前を口にしていた。
 中でも彼が特に好んでいて、歌でも口ずさむように呼んでいた星座があった。
「あれがベガ、それで下側にデネブ、その右側にアルタイル」
 ――それは織姫様と彦星様の物語の象徴でもある。
 あまりにもその名前を耳にし過ぎて、天体に詳しくない私でも認知していた。
 でも私は何度探してもアルタイル――彦星様を見つけることができなかった。
 織姫様であるベガは3つの中で最も明るく輝いている星であるため、それを基準に他の2つを探すのがセオリーだ。
 私もベガであれば何とか見つけられるが、それ以降は点と点を線で結ぶことができない。
 私はずっと彦星様を見つけられないまま、それでもなお光から次の光へと視点を移していった。
 そんな私を他所に、数秒もかからずに三角形の所在を把握する彼は相当な有識者なのだろう。
 私の視線が最初から彼にあったことに、この時の私はまだ気づいていなかった――。
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