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第二部 絆ぐ伝説
第八話二三章 はじめての夜
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その家もやはり、時が凍りついていた。
家と家具が、家具と家具が、混じりあい、ひとつになろうとするそのさなかで動きをとめ、透明な結晶となって固まっている。まるで、狂気の芸術家の生みだしたオブジェのようにねじくれ、現実の秩序を無視した騙し絵をそのまま具現化した迷宮のような姿をさらしたまま、時の流れに抗おうとするかのように動きをとめ、静まりかえって静止している。
そのなかでロウワンはひとり、泣きじゃくっていた。ねじくれ、うねり、上に置かれた家具すべてを呑み込もうとするその途中で凍りつき、あらゆる動きをとめた床の上。そこに突っ伏し、両手を叩きつけながら慟哭していた。それはしかし、悲しみの涙ではない。怒りと、なによりも理不尽に対するくやしさの涙だった。
「くそっ、くそっ、くそっ! どうしてだ、どうしてこんなことになるんだ⁉ アルヴィルダはただ、人と人の争いを終わらせたかっただけなんだ! 本当に、純粋にその願いで行動していただけなんだ! それなのになんで、こんなことになったんだ⁉」
そう叫び、涙を流し、慟哭する。両手を結晶化した床にたたきつける。そして、また叫び、涙を流す。それをずっと繰り返している。まるで、その動作を繰り返すためだけに作られた自動人形のように。
結晶化した床の上にたまった涙でできた水たまりの大きさを見れば、誰もがロウワンは体中の水分を絞りだし、干からびて死んでしまうのではないかと心配したことだろう。それほどに、膨大な量の涙を流していた。
そんなロウワンを見ながらメリッサはひとり、途方に暮れていた。
泣いている。
ロウワンが泣いている。
怒りとくやしさに叫び、慟哭している。
仲間として、年長者として、いまのこのロウワンにどう接すればいいのだろう?
「しっかりしなさい! あなたがそんなことでどうするの!」
そう叱りつければいいのだろうか。
「あなたのせいではないわ。あなたが泣く必要はないわ」
そう慰めればいいのだろうか。それとも、
「アルヴィルダは自らの意思で亡道の司を利用しようとした。すべてはその結果。自業自得よ」
論理に徹し、すべての感情を捨ててそう冷徹に諭せばいいのだろうか。
わからない。
どれも正解のようであり、どれもまちがいのような気がする。
『もうひとつの輝き』の一員として、幼い頃から確実な答えの出る論理と技術の世界で生きてきたメリッサにとって、人の心と向きあうという正解のない行為は決して得意なことではなかった。
できることなら逃げ出してしまいたい。この場を去り、もっとうまく人の心と向きあえる誰かに任せてしまいたい。
そう思う。
そう思ってしまう自分が情けない。
なんと卑怯なのだろう。でも、それが本当。いま、この場に誰か任せられる相手がいればそうしていた。自分を罵り、情けなく思いながらも、同時に安堵の思いを込めてその誰かに押しつけ、この場を去っていた。
でも、いま、この場には自分しかいない。他の誰にも任せられない。自分がロウワンを支えなくてはならない。そのためにどうすればいい?
メリッサは必死に考えた。機械や論理に関してはきわめて明晰なかの人の頭脳も、人の心が相手となるとまるで働きが悪かった。メリッサの頭のなかこそ騙し絵の迷宮になったようにグルグルと渦巻き、形をかえながら、それでも結局、同じ所を行ったり来たりするだけだった。
結局、メリッサはロウワンになんと声をかければいいのかわからなかった。だから、それ以外のことをした。泣きくずれるロウワンを後ろから全身で抱きしめたのだ。
床に突っ伏して泣きくずれるロウワンに重なりあい、両腕でロウワンの胸を抱きしめ、自分の腕でロウワンの背中を包みこむ。
なにも言えない。
なにも考えられない。
ただただ、自分でもなんと言っていいのかわからない感情に身を任せたまま、ひたすらにロウワンによりそいつづける。メリッサは知らないことだがそれはかつて、ロウワンがタラの島ではじめて人を殺したとき、泣きじゃくるロウワンを抱きしめていたトウナと同じ姿だった。しかし――。
ロウワンはもうあの頃の子どもではなかった。自分の体を包む柔らかく暖かい感触に、自分でも知らないところで体内のヘビが暴れはじめた。荒れ狂う体内のヘビに突き動かされるままに、ロウワンは身を起こしていた。メリッサを逆に抱きしめ、床に押し倒す格好になった。メリッサの豊かな胸のふくらみに顔をうずめ、泣きつづけた。メリッサはそんなロウワンの頭をそっと抱きしめ、すべてを受け入れた。この日――。
ロウワンは生まれてはじめて、女性と一夜を共にした。
朝が来た。
朝――と言っても、空一面を濃いミルク色の靄で包まれたこの世界では、日が昇ったかどうかなどわかりはしない。ただ、体内のヘビに突き動かされるままに没頭した行為に疲れはて、眠ってしまったあと目が覚めたとき……というに過ぎない。
メリッサは起きあがり、ロウワンに背を向けたまま昨夜、脱ぎすてた服を身につけていた。ロウワンはその後ろで小さく縮こまっている。こちらはまだ全身、裸のまま。一〇代半ばの瑞々しい筋肉をすべてさらけ出している。
メリッサの姿を見るにみれず、うつむいている。それでも、気になってちょくちょく視線をあげてしまう、そのたびに顔を赤らめ、唇を噛みしめ、再びうつむく。そんなことを何度か繰り返したあとようやく、意を決してメリッサを見た。メリッサは背中を向けたまま服を身につけている。
「あ、あの……メリッサ」
「結婚しよう」
「えっ?」
ロウワンは間の抜けた声をあげた。メリッサは顔だけで振り向くと、ロウワンに向けてちょっと怒ったような表情を見せた。
「なんてことは言わないでよ。あなたはまだ一〇代半ばの若者。そんなことを気にするには早すぎるわ。責任だのなんだのを振りかざして、よけいな気をまわさないで」
「う、うん……」
ピシャリとした口調でそう言われて、ロウワンはますます縮こまるしかなかった。
ロウワンに対してはいかにも年長者ぶって叱りつけるようなことを口にしたメリッサだが、実際にはメリッサこそ心臓がドキドキ言いっ放しだった。
なにしろ、技術畑一筋だったメリッサである。男を迎え入れたのはこれがはじめて。年下の男相手にボロを出さずにすんだとホッとしているところだった。とてもではないけど、ロウワンの顔をまともに見ることができない。頬はどうしようもなく熱くなるし、赤くなっているのが自分ではっきりわかる。怒ったような表情をして見せたのはそれを隠すためだった。
――だめよ、メリッサ。うろたえてはだめ。わたしの方が年上なんだから。毅然としていないと。
必死に自分にそう言い聞かせるメリッサだった。
ともあれ、ロウワンとメリッサは服を着て外に出た。並んで歩いてはいるが微妙に間の開いた距離感がふたりの思いのぎこちなさを示していた。
外に出るとビーブたちはすでに朝食の真っ最中だった。焚き火の上にかけた大きな鍋にたっぷりの水とマメをぶち込み、グラグラと煮え立たせている。そのまわりに車座になって座り、器によそった煮豆を、マグカップについだ真っ黒なコーヒーで流し込んでいる。
その場にはロウワンとメリッサの分も用意されていた。湯気を立てる煮豆をたっぷり入れた器と、やはり、湯気を立てる真っ黒なコーヒーをそそいだマグカップがふたつずつ、結晶化した大地の上に置かれている。
ロウワンとメリッサは用意された朝食の前に座った。黙って食べはじめた。誰もなにも言わない。ただ、パチパチと火の爆ぜる音と鍋のなかでマメが煮えるグラグラという音、それに、マメを噛み砕き、コーヒーを飲み干す音だけが時の凍った世界のなかで響いている。
ロウワンとメリッサ。ふたりの様子を見れば昨夜、なにがあったかはもちろん見当がつく。だからと言って、わざわざそんなことを話題にするほど野暮なものはこの場にはひとりもいない。サルということで人間的な遠慮や恥じらいは持ち合わせていないビーブや、なにかと言うと人をからかいたがる行者でさえ黙って朝の食事をとっている。
ロウワンもそれに習った。黙って煮豆を口に運び、まだ歯応えの残っているマメを噛み砕く。マグカップにそそいだコーヒーで流し込む。真っ黒な液体の深い苦みとほのかな酸味とが朝を迎えた体に心地良い刺激を与えてくれる。
――いつの間にか、すっかりコーヒーに慣れてしまったな。
そう思う。
タラの島で偶然コーヒー豆を見つけ、コーヒーハウスを開くよう提案した頃。あの頃はまだ、コーヒーなんて苦いばかりでとても飲めたものではなかった。それがいまでは、その苦みが心地よく感じる。
――おれも、ずいぶんかわったんだな。
しみじみとそう思った。それをもって、
「おとなになった!」
などと喜ぶことができるほど、ロウワンはもう子どもではなかったけれど。
ロウワンは器に盛られた煮豆をすべて食べきり、口のなかを真っ黒なコーヒーで洗い流した。強い苦みが口のなかに残った味を洗い流し、すっきりさせてくれる。
ロウワンは器とマグカップを地面にいた。仲間たちを見回した。
「アルテミシアの弔いはすませてくれたんだな」
「ああ」と、野伏。
「荼毘に付し、灰は風に乗せてバラまいた。やがてパンゲア中に広まり、この地を守る力となってくれるだろう」
「そうっス。アルテミシアさまなら絶対に」
レディ・アホウタも内心の思いを確かめるように力強くうなずいた。
「そうだな。ありがとう」
ロウワンは仲間たちの心尽くしに礼を言った。
すると、今度は行者が口を開いた。
「それで、ロウワン。これからどうするんだい?」
ハンカチで、口元を優雅に拭いてからそう尋ねた。
ロウワンはまっすぐに顔をあげた。その場にいる全員がその表情のなかに、昨日まではなかったおとなの顔を見出していた。
「帰る」
そう短く答える言葉のなかにも、真っ黒なコーヒーのようなおとなの苦みが加わっているように感じられた。
「アルテミシアやレディ・アホウタと出会えたことで、ここにやってきた目的は達成できた。次は亡道の司との戦いに備える番だ。幸い、アルヴィルダとアルテミシアが自分の全存在をかけて結界を張り巡らしてくれた。亡道の司自身、〝鬼〟にぶちのめされて負傷している。しばらくはまともに動けないだろう。みんながおれたちに与えてくれた時間だ。この時間を無駄にするわけにはいかない。アルヴィルダたちの結界が機能している間に、世界中に真実を伝えて協力を求め、人類の総力を結集する。亡道の司と戦うための態勢を整えるんだ。人と人の争う必要のない世界を作りあげる。そのために」
家と家具が、家具と家具が、混じりあい、ひとつになろうとするそのさなかで動きをとめ、透明な結晶となって固まっている。まるで、狂気の芸術家の生みだしたオブジェのようにねじくれ、現実の秩序を無視した騙し絵をそのまま具現化した迷宮のような姿をさらしたまま、時の流れに抗おうとするかのように動きをとめ、静まりかえって静止している。
そのなかでロウワンはひとり、泣きじゃくっていた。ねじくれ、うねり、上に置かれた家具すべてを呑み込もうとするその途中で凍りつき、あらゆる動きをとめた床の上。そこに突っ伏し、両手を叩きつけながら慟哭していた。それはしかし、悲しみの涙ではない。怒りと、なによりも理不尽に対するくやしさの涙だった。
「くそっ、くそっ、くそっ! どうしてだ、どうしてこんなことになるんだ⁉ アルヴィルダはただ、人と人の争いを終わらせたかっただけなんだ! 本当に、純粋にその願いで行動していただけなんだ! それなのになんで、こんなことになったんだ⁉」
そう叫び、涙を流し、慟哭する。両手を結晶化した床にたたきつける。そして、また叫び、涙を流す。それをずっと繰り返している。まるで、その動作を繰り返すためだけに作られた自動人形のように。
結晶化した床の上にたまった涙でできた水たまりの大きさを見れば、誰もがロウワンは体中の水分を絞りだし、干からびて死んでしまうのではないかと心配したことだろう。それほどに、膨大な量の涙を流していた。
そんなロウワンを見ながらメリッサはひとり、途方に暮れていた。
泣いている。
ロウワンが泣いている。
怒りとくやしさに叫び、慟哭している。
仲間として、年長者として、いまのこのロウワンにどう接すればいいのだろう?
「しっかりしなさい! あなたがそんなことでどうするの!」
そう叱りつければいいのだろうか。
「あなたのせいではないわ。あなたが泣く必要はないわ」
そう慰めればいいのだろうか。それとも、
「アルヴィルダは自らの意思で亡道の司を利用しようとした。すべてはその結果。自業自得よ」
論理に徹し、すべての感情を捨ててそう冷徹に諭せばいいのだろうか。
わからない。
どれも正解のようであり、どれもまちがいのような気がする。
『もうひとつの輝き』の一員として、幼い頃から確実な答えの出る論理と技術の世界で生きてきたメリッサにとって、人の心と向きあうという正解のない行為は決して得意なことではなかった。
できることなら逃げ出してしまいたい。この場を去り、もっとうまく人の心と向きあえる誰かに任せてしまいたい。
そう思う。
そう思ってしまう自分が情けない。
なんと卑怯なのだろう。でも、それが本当。いま、この場に誰か任せられる相手がいればそうしていた。自分を罵り、情けなく思いながらも、同時に安堵の思いを込めてその誰かに押しつけ、この場を去っていた。
でも、いま、この場には自分しかいない。他の誰にも任せられない。自分がロウワンを支えなくてはならない。そのためにどうすればいい?
メリッサは必死に考えた。機械や論理に関してはきわめて明晰なかの人の頭脳も、人の心が相手となるとまるで働きが悪かった。メリッサの頭のなかこそ騙し絵の迷宮になったようにグルグルと渦巻き、形をかえながら、それでも結局、同じ所を行ったり来たりするだけだった。
結局、メリッサはロウワンになんと声をかければいいのかわからなかった。だから、それ以外のことをした。泣きくずれるロウワンを後ろから全身で抱きしめたのだ。
床に突っ伏して泣きくずれるロウワンに重なりあい、両腕でロウワンの胸を抱きしめ、自分の腕でロウワンの背中を包みこむ。
なにも言えない。
なにも考えられない。
ただただ、自分でもなんと言っていいのかわからない感情に身を任せたまま、ひたすらにロウワンによりそいつづける。メリッサは知らないことだがそれはかつて、ロウワンがタラの島ではじめて人を殺したとき、泣きじゃくるロウワンを抱きしめていたトウナと同じ姿だった。しかし――。
ロウワンはもうあの頃の子どもではなかった。自分の体を包む柔らかく暖かい感触に、自分でも知らないところで体内のヘビが暴れはじめた。荒れ狂う体内のヘビに突き動かされるままに、ロウワンは身を起こしていた。メリッサを逆に抱きしめ、床に押し倒す格好になった。メリッサの豊かな胸のふくらみに顔をうずめ、泣きつづけた。メリッサはそんなロウワンの頭をそっと抱きしめ、すべてを受け入れた。この日――。
ロウワンは生まれてはじめて、女性と一夜を共にした。
朝が来た。
朝――と言っても、空一面を濃いミルク色の靄で包まれたこの世界では、日が昇ったかどうかなどわかりはしない。ただ、体内のヘビに突き動かされるままに没頭した行為に疲れはて、眠ってしまったあと目が覚めたとき……というに過ぎない。
メリッサは起きあがり、ロウワンに背を向けたまま昨夜、脱ぎすてた服を身につけていた。ロウワンはその後ろで小さく縮こまっている。こちらはまだ全身、裸のまま。一〇代半ばの瑞々しい筋肉をすべてさらけ出している。
メリッサの姿を見るにみれず、うつむいている。それでも、気になってちょくちょく視線をあげてしまう、そのたびに顔を赤らめ、唇を噛みしめ、再びうつむく。そんなことを何度か繰り返したあとようやく、意を決してメリッサを見た。メリッサは背中を向けたまま服を身につけている。
「あ、あの……メリッサ」
「結婚しよう」
「えっ?」
ロウワンは間の抜けた声をあげた。メリッサは顔だけで振り向くと、ロウワンに向けてちょっと怒ったような表情を見せた。
「なんてことは言わないでよ。あなたはまだ一〇代半ばの若者。そんなことを気にするには早すぎるわ。責任だのなんだのを振りかざして、よけいな気をまわさないで」
「う、うん……」
ピシャリとした口調でそう言われて、ロウワンはますます縮こまるしかなかった。
ロウワンに対してはいかにも年長者ぶって叱りつけるようなことを口にしたメリッサだが、実際にはメリッサこそ心臓がドキドキ言いっ放しだった。
なにしろ、技術畑一筋だったメリッサである。男を迎え入れたのはこれがはじめて。年下の男相手にボロを出さずにすんだとホッとしているところだった。とてもではないけど、ロウワンの顔をまともに見ることができない。頬はどうしようもなく熱くなるし、赤くなっているのが自分ではっきりわかる。怒ったような表情をして見せたのはそれを隠すためだった。
――だめよ、メリッサ。うろたえてはだめ。わたしの方が年上なんだから。毅然としていないと。
必死に自分にそう言い聞かせるメリッサだった。
ともあれ、ロウワンとメリッサは服を着て外に出た。並んで歩いてはいるが微妙に間の開いた距離感がふたりの思いのぎこちなさを示していた。
外に出るとビーブたちはすでに朝食の真っ最中だった。焚き火の上にかけた大きな鍋にたっぷりの水とマメをぶち込み、グラグラと煮え立たせている。そのまわりに車座になって座り、器によそった煮豆を、マグカップについだ真っ黒なコーヒーで流し込んでいる。
その場にはロウワンとメリッサの分も用意されていた。湯気を立てる煮豆をたっぷり入れた器と、やはり、湯気を立てる真っ黒なコーヒーをそそいだマグカップがふたつずつ、結晶化した大地の上に置かれている。
ロウワンとメリッサは用意された朝食の前に座った。黙って食べはじめた。誰もなにも言わない。ただ、パチパチと火の爆ぜる音と鍋のなかでマメが煮えるグラグラという音、それに、マメを噛み砕き、コーヒーを飲み干す音だけが時の凍った世界のなかで響いている。
ロウワンとメリッサ。ふたりの様子を見れば昨夜、なにがあったかはもちろん見当がつく。だからと言って、わざわざそんなことを話題にするほど野暮なものはこの場にはひとりもいない。サルということで人間的な遠慮や恥じらいは持ち合わせていないビーブや、なにかと言うと人をからかいたがる行者でさえ黙って朝の食事をとっている。
ロウワンもそれに習った。黙って煮豆を口に運び、まだ歯応えの残っているマメを噛み砕く。マグカップにそそいだコーヒーで流し込む。真っ黒な液体の深い苦みとほのかな酸味とが朝を迎えた体に心地良い刺激を与えてくれる。
――いつの間にか、すっかりコーヒーに慣れてしまったな。
そう思う。
タラの島で偶然コーヒー豆を見つけ、コーヒーハウスを開くよう提案した頃。あの頃はまだ、コーヒーなんて苦いばかりでとても飲めたものではなかった。それがいまでは、その苦みが心地よく感じる。
――おれも、ずいぶんかわったんだな。
しみじみとそう思った。それをもって、
「おとなになった!」
などと喜ぶことができるほど、ロウワンはもう子どもではなかったけれど。
ロウワンは器に盛られた煮豆をすべて食べきり、口のなかを真っ黒なコーヒーで洗い流した。強い苦みが口のなかに残った味を洗い流し、すっきりさせてくれる。
ロウワンは器とマグカップを地面にいた。仲間たちを見回した。
「アルテミシアの弔いはすませてくれたんだな」
「ああ」と、野伏。
「荼毘に付し、灰は風に乗せてバラまいた。やがてパンゲア中に広まり、この地を守る力となってくれるだろう」
「そうっス。アルテミシアさまなら絶対に」
レディ・アホウタも内心の思いを確かめるように力強くうなずいた。
「そうだな。ありがとう」
ロウワンは仲間たちの心尽くしに礼を言った。
すると、今度は行者が口を開いた。
「それで、ロウワン。これからどうするんだい?」
ハンカチで、口元を優雅に拭いてからそう尋ねた。
ロウワンはまっすぐに顔をあげた。その場にいる全員がその表情のなかに、昨日まではなかったおとなの顔を見出していた。
「帰る」
そう短く答える言葉のなかにも、真っ黒なコーヒーのようなおとなの苦みが加わっているように感じられた。
「アルテミシアやレディ・アホウタと出会えたことで、ここにやってきた目的は達成できた。次は亡道の司との戦いに備える番だ。幸い、アルヴィルダとアルテミシアが自分の全存在をかけて結界を張り巡らしてくれた。亡道の司自身、〝鬼〟にぶちのめされて負傷している。しばらくはまともに動けないだろう。みんながおれたちに与えてくれた時間だ。この時間を無駄にするわけにはいかない。アルヴィルダたちの結界が機能している間に、世界中に真実を伝えて協力を求め、人類の総力を結集する。亡道の司と戦うための態勢を整えるんだ。人と人の争う必要のない世界を作りあげる。そのために」
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