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九章 女になりました
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そして、翌日の朝。
小旅行から帰ってきた希見たちを出迎えたのは、志信と、そして、もうひとりの女性だった。志信ほどではないが女性にしては背の高い方で、化粧っ気のない顔はやはり、志信ほどではないが男性的で、凜々しくて、端正。カッコいい系のなかなかの美女。女性にしてはしっかりした体格だが太っているというわけではなく、引き締まった体付き。それでいて、胸のあたりはしっかりと盛りあがっていてスタイルもなかなか。ジーンズにサマーセーターというラフな格好がよく似合っている。
その見ず知らずの女性と、その横でなぜか落ち込んだ様子の志信を交互に見ながら、希見は頬に手を当てた。
「ええと……。どちら様でしょう? 志信のお友だち?」
尋ねる希見に対し、髪の長い女性は静かに答えた。
「……山之辺育美です」
「山之辺さんと仰るんですか。はじめまして。志信の姉の希見と言います」
生真面目に頭をさげる希見の態度に、その場にいた全員が呆気にとられる。
「いや、あの……希見さん?」
「希見ちゃん、それ、本気で言ってる?」
「それでこそ、希見お姉ちゃん」
育美の声に多幸と心愛の声が重なる。
ひとり、まるでわかっていない希見は、まわりの反応を不思議がっている。
「えっ、なにが? なにかまちがった?」
――本気でわかっていないのか。
と、育美もさすがにそう思った。
「ほら、思い出して、希見ちゃん! 山之辺育美って……」
末っ子の言葉に希見は小首をかしげる。
「えっ、山之辺育美? って、ええ~!」
ようやく気付いたらしい希見が大声をあげた。
「山之辺さんって、あの山之辺さんですか⁉」
「……その山之辺です」
「どうしたんです、なにがあったんです、いきなり女性になってるなんて⁉ まさか、志信に襲われて女にされちゃったとか⁉」
「姉ちゃんは、オレをなんだと思ってるんだ!」
「希見ちゃん、落ち着いて!」
「落ち着かなくていい。もっと、暴走して」
志信が叫び、多幸と心愛が口々に言う。場を収めたのは育美の一言だった。
「と、とにかく、落ち着きましょう。ちゃんと説明しますから」
一同はダイニングキッチンに移った。
希見たちがテーブルを囲んで座り、多幸が手慣れた仕種で人数分のお茶を用意する。そのついでに、お土産として買ってきた地方銘菓も並べる。
希見は多幸が淹れたお茶を飲んで一息ついた。
「あ~。相変わらず、多幸の淹れたお茶はおいしい」
と、幸せそうな様子で『ほう』と、息をひとつつく。
そうしているとさすが、おっとり系の正統派美女。茶道をたしなむ、お淑やかな令嬢のように見えてくる。
「やっと、落ち着いたね。もう、希見ちゃん。いつもあわてすぎ」
と、まだ小学生の末っ子がたしなめる。
その横では、三女の心愛が無表情なクール顔になにか不本意そうな表情を浮かべて横を向いている。『チッ』というかすかな舌打ちの音がしたのは……内緒である。
「とにかく、説明しますと……」
希見が落ち着いたのを見計らって女装姿の育美が説明をはじめた。
昨日の夜、志信が同居の条件として出したのは、
『男が一緒にいると姉ちゃんや妹たちに悪い噂が出かねない! だから、女の振りをしてもらう!』
というものだった。
「それで、了承して、志信さんに手伝ってもらって女装したわけです」
「は、はあ、なるほど……」
育美にそう説明され、希見はマジマジと目の前の髪の長い女性を見つめた。そう説明されても、あの山之辺育美と同一人物だと思えないのは希見が天然だからだとしても、育美の女装姿に違和感がないのは確かだった。
もともと、端整な顔立ちだし、声も男にしては細くて高い方。女性にしては若干、肩幅が広いかと思いはするが、それも『おかしい』と思うほどのものではない。そもそも、すぐ隣に志信という男前美女がいるので多少、男っぽさがのぞいても目立たないのだ。
「……長いカツラをかぶせて、胸にパッドを入れさせただけなのに、オレより女らしくなった」
志信が地獄の底からの呻き声のようにそう呟いた。
それが、志信が落ち込んでいる理由らしかった。
「でも、志信。いくらなんでも男性に女装させるなんて……」
「し、仕方ないだろ! 姉ちゃんたちに悪い噂を立たせるわけにはいかないんだ。それぐらいはしないと……」
「そんな。悪い噂なんて考えすぎよ。住み込みの従業員ひとり雇うだけじゃない。それなのに、女装させるなんて失礼だわ。第一、山之辺さんは志信のテストに合格したんでしょう? それなのに、あとになってから別の条件をつけるなんてフェアじゃないわ」
「そ、それはそうなんだけど……」
その点は志信自身、気に病んでいることではあった。姉にはっきり指摘されて恥ずかしそうに身をちぢ込ませる。
「いえ」
と、口をはさんだのは当の育美だった。
「女装ぐらい、かまいません」
「そうなんですか⁉」
「ええ」
「それって、もしかして……もともと、そういう趣味?」
「ちがいます!」
「希見ちゃんの方が失礼」
「それでこそ、希見お姉ちゃん」
育美の叫びに多幸と心愛の声が重なった。
心愛は無表情なクール顔をそのままに『グッジョブ!』とばかりに親指を立てている。
「おれとしても、希見さんたちに悪い噂を立たせるのは本意じゃないというだけです! それに、おれ自身……」
「おれっ子は志信お姉ちゃんひとりで充分」
心愛の冷静な指摘に――。
育美はようやく、言葉遣いを気にしていないことに気付いた。
「あ、ああ、そうだった……じゃなくて、そうでした」
コホン、と、咳払いしてから言い直した。
「私自身、女性のなかに男ひとりいることで色眼鏡で見られるより、この方がいいですから。どうせ、女装していることがバレてまずい相手もいませんし」
「彼女とかいないの?」
多幸がそう尋ねたのは、子どもならではの無遠慮さだったろう。
育美は気にする風でもなく答えた。
「いない。いた試しもない。子どもの頃から技術畑一筋だったから、女性と付き合ったことなんてない」
「彼女がいたら、男のままでわたしたちと同居する方が問題だと思う」
とは、心愛のもっともな指摘である。
「でも、ご両親は? 息子が女になってしまったなんて知ったら悲しむんじゃ……ハッ! まさか、山之辺さんのご両親もすでに……」
「うちの親は健在ですから!」
無自覚に思考を暴走させまくる希見に対し、育美は思わず怒鳴った。
「別にこんなこと、両親にいちいち伝える必要もありませんし。第一、ファッションとして女装しているだけであって、中身まで女になるわけじゃないですから。問題ないですよ」
その言葉に――。
三女の心愛がなにか言いたげな様子で育美を見つめていた。
「そうですか? まあ、人の趣味はそれぞれですから。山之辺さんがそれでいいって言うなら……」
「仕事のためであって、趣味じゃないですから!」
度重なる希見の天然発言に、芸人よろしく手を振ってツッコみを入れる育美であった。
「とにかく、これから住み込みの従業員として働かせてもらいます。改めて、よろしくお願いします」
育美はそう言って、深々と頭をさげた。
小旅行から帰ってきた希見たちを出迎えたのは、志信と、そして、もうひとりの女性だった。志信ほどではないが女性にしては背の高い方で、化粧っ気のない顔はやはり、志信ほどではないが男性的で、凜々しくて、端正。カッコいい系のなかなかの美女。女性にしてはしっかりした体格だが太っているというわけではなく、引き締まった体付き。それでいて、胸のあたりはしっかりと盛りあがっていてスタイルもなかなか。ジーンズにサマーセーターというラフな格好がよく似合っている。
その見ず知らずの女性と、その横でなぜか落ち込んだ様子の志信を交互に見ながら、希見は頬に手を当てた。
「ええと……。どちら様でしょう? 志信のお友だち?」
尋ねる希見に対し、髪の長い女性は静かに答えた。
「……山之辺育美です」
「山之辺さんと仰るんですか。はじめまして。志信の姉の希見と言います」
生真面目に頭をさげる希見の態度に、その場にいた全員が呆気にとられる。
「いや、あの……希見さん?」
「希見ちゃん、それ、本気で言ってる?」
「それでこそ、希見お姉ちゃん」
育美の声に多幸と心愛の声が重なる。
ひとり、まるでわかっていない希見は、まわりの反応を不思議がっている。
「えっ、なにが? なにかまちがった?」
――本気でわかっていないのか。
と、育美もさすがにそう思った。
「ほら、思い出して、希見ちゃん! 山之辺育美って……」
末っ子の言葉に希見は小首をかしげる。
「えっ、山之辺育美? って、ええ~!」
ようやく気付いたらしい希見が大声をあげた。
「山之辺さんって、あの山之辺さんですか⁉」
「……その山之辺です」
「どうしたんです、なにがあったんです、いきなり女性になってるなんて⁉ まさか、志信に襲われて女にされちゃったとか⁉」
「姉ちゃんは、オレをなんだと思ってるんだ!」
「希見ちゃん、落ち着いて!」
「落ち着かなくていい。もっと、暴走して」
志信が叫び、多幸と心愛が口々に言う。場を収めたのは育美の一言だった。
「と、とにかく、落ち着きましょう。ちゃんと説明しますから」
一同はダイニングキッチンに移った。
希見たちがテーブルを囲んで座り、多幸が手慣れた仕種で人数分のお茶を用意する。そのついでに、お土産として買ってきた地方銘菓も並べる。
希見は多幸が淹れたお茶を飲んで一息ついた。
「あ~。相変わらず、多幸の淹れたお茶はおいしい」
と、幸せそうな様子で『ほう』と、息をひとつつく。
そうしているとさすが、おっとり系の正統派美女。茶道をたしなむ、お淑やかな令嬢のように見えてくる。
「やっと、落ち着いたね。もう、希見ちゃん。いつもあわてすぎ」
と、まだ小学生の末っ子がたしなめる。
その横では、三女の心愛が無表情なクール顔になにか不本意そうな表情を浮かべて横を向いている。『チッ』というかすかな舌打ちの音がしたのは……内緒である。
「とにかく、説明しますと……」
希見が落ち着いたのを見計らって女装姿の育美が説明をはじめた。
昨日の夜、志信が同居の条件として出したのは、
『男が一緒にいると姉ちゃんや妹たちに悪い噂が出かねない! だから、女の振りをしてもらう!』
というものだった。
「それで、了承して、志信さんに手伝ってもらって女装したわけです」
「は、はあ、なるほど……」
育美にそう説明され、希見はマジマジと目の前の髪の長い女性を見つめた。そう説明されても、あの山之辺育美と同一人物だと思えないのは希見が天然だからだとしても、育美の女装姿に違和感がないのは確かだった。
もともと、端整な顔立ちだし、声も男にしては細くて高い方。女性にしては若干、肩幅が広いかと思いはするが、それも『おかしい』と思うほどのものではない。そもそも、すぐ隣に志信という男前美女がいるので多少、男っぽさがのぞいても目立たないのだ。
「……長いカツラをかぶせて、胸にパッドを入れさせただけなのに、オレより女らしくなった」
志信が地獄の底からの呻き声のようにそう呟いた。
それが、志信が落ち込んでいる理由らしかった。
「でも、志信。いくらなんでも男性に女装させるなんて……」
「し、仕方ないだろ! 姉ちゃんたちに悪い噂を立たせるわけにはいかないんだ。それぐらいはしないと……」
「そんな。悪い噂なんて考えすぎよ。住み込みの従業員ひとり雇うだけじゃない。それなのに、女装させるなんて失礼だわ。第一、山之辺さんは志信のテストに合格したんでしょう? それなのに、あとになってから別の条件をつけるなんてフェアじゃないわ」
「そ、それはそうなんだけど……」
その点は志信自身、気に病んでいることではあった。姉にはっきり指摘されて恥ずかしそうに身をちぢ込ませる。
「いえ」
と、口をはさんだのは当の育美だった。
「女装ぐらい、かまいません」
「そうなんですか⁉」
「ええ」
「それって、もしかして……もともと、そういう趣味?」
「ちがいます!」
「希見ちゃんの方が失礼」
「それでこそ、希見お姉ちゃん」
育美の叫びに多幸と心愛の声が重なった。
心愛は無表情なクール顔をそのままに『グッジョブ!』とばかりに親指を立てている。
「おれとしても、希見さんたちに悪い噂を立たせるのは本意じゃないというだけです! それに、おれ自身……」
「おれっ子は志信お姉ちゃんひとりで充分」
心愛の冷静な指摘に――。
育美はようやく、言葉遣いを気にしていないことに気付いた。
「あ、ああ、そうだった……じゃなくて、そうでした」
コホン、と、咳払いしてから言い直した。
「私自身、女性のなかに男ひとりいることで色眼鏡で見られるより、この方がいいですから。どうせ、女装していることがバレてまずい相手もいませんし」
「彼女とかいないの?」
多幸がそう尋ねたのは、子どもならではの無遠慮さだったろう。
育美は気にする風でもなく答えた。
「いない。いた試しもない。子どもの頃から技術畑一筋だったから、女性と付き合ったことなんてない」
「彼女がいたら、男のままでわたしたちと同居する方が問題だと思う」
とは、心愛のもっともな指摘である。
「でも、ご両親は? 息子が女になってしまったなんて知ったら悲しむんじゃ……ハッ! まさか、山之辺さんのご両親もすでに……」
「うちの親は健在ですから!」
無自覚に思考を暴走させまくる希見に対し、育美は思わず怒鳴った。
「別にこんなこと、両親にいちいち伝える必要もありませんし。第一、ファッションとして女装しているだけであって、中身まで女になるわけじゃないですから。問題ないですよ」
その言葉に――。
三女の心愛がなにか言いたげな様子で育美を見つめていた。
「そうですか? まあ、人の趣味はそれぞれですから。山之辺さんがそれでいいって言うなら……」
「仕事のためであって、趣味じゃないですから!」
度重なる希見の天然発言に、芸人よろしく手を振ってツッコみを入れる育美であった。
「とにかく、これから住み込みの従業員として働かせてもらいます。改めて、よろしくお願いします」
育美はそう言って、深々と頭をさげた。
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