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二六章
映画館のトイレで……するの!
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森山鴻志はその日、家の屋上の畑で作物の世話をしているところだった。世話と言っても自然栽培が基本方針なので耕すこともなければ、薬をまくこともない。草取りもほとんどしない。雑草の種がどこからか飛んできて茂り出しても放っておく。あまりに育ちすぎて作物を陰にしてしまっている部分だけ手でちぎる程度だ。ちぎった草葉はそのまま土の上に乗せておく。そうすることで土の乾燥も防げるし、やがて分解して土に戻り、養分となる。植物は土の養分だけで成長するわけではない。日の光を浴びることで体を作る。つまり、ひとつの植物の体のなかには土から吸収した以上の養分が詰まっている。理屈の上から言えば雑草を茂らせておけば、枯れて土に戻っていくことで肥料を与えなくても少しずつ土は肥えていくことになる。見慣れない雑草を見つけて植物図鑑と比較しながらどんな植物かを調べるのも楽しいし、雑草のなかにも食べられるものがけっこう、あったりもする。敵視して抜きすててしまうのはもったいない。
水やりもあまりしない。クレソンやクランベリーなど、とくに水を欲しがるものは別として、ほとんどは雨水ですませているので必要ないのだ。
アブラムシがびっしりついていたり、イモムシが大量発生したりすれば駆除することもあるが、それにしたってアブラムシで枯れてしまったことはない。キュウリなど、広い葉っぱの裏に数えきれないほどのアブラムシがびっしりはりついていても平気で実を太らせている。植物の計り知れない懐の広さを感じる瞬間だ。それに比べれば動物なんて泥棒まがいの生き物でしかない。
イモムシも鳥やハチに食べられているようだ。ようだ、というのはいつの間にかいなくなっていることが多いからだ。ラズベリーの葉っぱをもりもり食べて丸々と太っていたはずのイモムシがいつの間にか見えなくなっている。サナギもないし、土にもぐるとも思えない。これはやはり鳥に食べられているのだろう。どんなチョウやガになるのかと楽しみにしてもいるのでちょっと残念ではある。
そんなわけだから世話と言ってもすることはほとんどない。むしろ『観察している』と言った方が正しい。新芽が延びていることや、ブルーベリーの実がふくらんでいくところ、ブラックベリーの実が赤から黒へと変化していく様。それを眺めているだけで鴻志は充分に楽しいし、飽きもしない。
昼間ばりばり働いて、夜はバーに繰り出して女をはべらして酒を飲んで盛り上がる……と言った生活を好む男にはさぞかし退屈な人生に見えるだろう。しかし、それが、森山鴻志という人間だ。
自分では原始的な人間なのだと思っている。一万年以上も前、森のなかでのんびり暮らしていた古代人に近い感性をもっているのだろう。そんな自分に満足している。
車のエンジン音が響き、近くでとまった。家の前に車がとまったのが見えた。『なんだ?』と思った。編集者が連絡もなしにやってくるような急な仕事はいまはない。取材の約束もない。訪れる人間などいないはずだ。セールスか勧誘だろうか? だとしたら居留守を決め込むにかぎる。
車から降りたのは毛先のはねたショートヘアにソフトな黄色の上着、七分丈の白のシガレットパンツ、スピネルレッドのサンダルという出で立ちの妙齢の女性だった。
女性は屋上を見上げた。まるで、そこに鴻志がいることを知っているかのように。鴻志を見つけ、笑顔を向けた。鴻志は『しまった』と舌打ちした。見つかってしまった。これで居留守は使えない。応対するしかなさそうだ。見上げてくる明るい笑顔はたしかに魅力的だけど。
「ハーイ、鴻志」
女性は片手を高々とあげて元気よくあいさつしてきた。鴻志は面くらった。なんだ、この馴れなれしさは。女の知り合いなんていないぞ。男の知り合いもほとんどいないが。
「どなたです?」
フェンスに近づき、そう声をかけた。すると女性はとびきりのジョークでも聞かされたように破顔した。
「何言ってるの、あたしよ、あたし。わからない?」
女性は両手を肩の高さにあげてそう答えた。鴻志はますますとまどった。
「あたしって……」
最近、見ず知らずの女にこんな風に親しげにされる出来事などあったろうか。知り合った女と言えばあの変な弁護士ぐらい……。
そこまで思ったとき、ようやく気づいた。
「小山内さんか!」
その叫びに真梨子は思いきり吹き出した。
「よしてよ、『小山内さん』なんて。真梨子って呼んで」
「呼んでって言われてもな……」
鴻志はどうしていいかわからなかったので、とりあえず髪などかいてみた。混乱したときに毛づくろいをして気持ちを落ち着かせるのは獣の本能だ。
真梨子は鴻志の混乱などお構いなしに笑顔のまま言った。
「とにかく、降りてきてよ。用があるの」
「……まさか、また、彼氏役やれってんじゃあるまいな?」
不安を感じながらもとにかく、下に降りた。玄関を開けると真梨子はすぐ前に立ってまっていた。恋人を迎えるように微笑みかけてくる。
「久しぶり。元気だった?」
「なんか……ずいぶん、華やかになったな」
その微笑みの向こうに暗雲を感じながら、鴻志は真梨子を観察した。間近で見るとその変身振りがよけい際立って見える。
「肌の色合いがずいぶんかわったな。エステにでもいってきたか?」
「へへっー、わかる? 二週間ばかり、修行してきたの」
そう答える真梨子を鴻志は微に入り、細にわたって観察した。その視線はどう見ても女を見る男の目ではなく、標本を調べる解剖学者のものだった。
鴻志は失礼なぐらいじろじろと凝視したあと、真梨子の出で立ちを評した。
「……もっさりしていた髪をショートにしてフェイスラインを軽やかに。カナリヤイエローの上着に白のシガレットパンツですっきりした清潔感をアピール。それだけでは軽すぎると、足もとのスピネルレッドでなまめかしさをさり気なくプラス、か。頭のなかは真夏の浜辺を散策か?」
「まあね。あなたのアドバイス通りよ。どう? 似合うでしょ?」
真梨子は笑顔で髪を揺らして見せた。無邪気でほがらかな子供っぽい仕草。しかし、そのなかに男を誘うなまめかしさを含んだ小悪魔みたいな仕種だった。
鴻志はそんな真梨子をいぶかしげな視線でじっと見据えた。近眼の人間が細かいメモ用紙の文字を判別するときのような険しい目付きになった。それぐらい、真梨子の態度には違和感を感じていた。
鴻志の知っている小山内真理子はこんな風にほがらかに自分の魅力をアピールするような陽性の性格ではなかったはずだ。もっと地味で、うす暗く、自分に自信がもてないために自分を隠そうとする、そんな陰性の人間だったはずだ。
それがどうだ。いま、目の前に立っている女はそれとはまったくちがう。大胆に、開放的に、自分という存在を堂々とさらけ出している。人々に注目され、視線を集めることを楽しんでいる。自分に自信がなければできないことだ。
先ほどの髪を揺らす仕種にしてもそう。鴻志の知っている小山内真梨子なら絶対にしたはずがない。パーティーで彼氏役をつとめさせられてからまだ一月足らず。その間にこんなにもかわったというのだろうか。いったい、何があったのだ?
自慢の脳細胞をフル回転させたが答えは出ない。自分に理解できないことがあるというのははっきり言って気に食わない。世界のすべては森山鴻志の知性の前にひれ伏すべきなのだ!
と言うわけで、真梨子の変身振りは鴻志にとって不愉快の種だった。険しい目付きをますます険しくしてにらみつけ、小さく詰問する。
「……本当にあの小山内真梨子か? 二〇歳ぐらいで、スポーツ好きが災いして男とつき合うこともなく、急性白血病で突然死した海とアップルティーの好きな女の亡霊か何かにとりつかれてるんじゃないだろうな?」
裏設定に無駄に凝りまくるいつもの癖で、やたらと具体的な描写をする。
真梨子はさも愉快そうに笑い出した。それがまた『箸が転がってもおかしくなる一七歳の女の子』のような笑い方だったので、鴻志はぎょっとして引いてしまった。三〇女がこんな青春真っ只中の女の子のような屈託のない笑い方をするとは。
いったい、何があったのかいよいよ気になる。どこかで頭でも打ったのか、それとも、本当に幽霊にとりつかれててでもいるものか。いますぐどこかの病院に運んで脳をCTスキャンにかけたくなる鴻志であった。もし、本当に幽霊憑きなら何としても幽霊を捕まえて研究したいもの。それが実現すればノーベル賞まちがいなし……。
鴻志の暴走する想像力などお構いなしに真梨子は屈託のない笑顔のまま言った。
「やあだ、二〇歳の美人のお嬢さまだなんて。そんなに魅力的?」
言いながら小首をかしげ、目だけで笑って見せる。いったい、いつこんな手練手管を身に付けたのかと思うぐらい愛らしい表情だった。以前の小山内真梨子からは考えられない。
鴻志の知っている真梨子にはこんなうぬぼれた返しは絶対にできなかったはずだ。ほめられても本気にできず、ますます暗くなり、ついには相手を怒らせてしまう……。そんなタイプだったはずなのだが。
「美人ともお嬢さまとも言ってないが……」
ぼそぼそと呟きながら、
――こいつ、絶対、ちがうよな。
と、疑いを深める鴻志だった。
「まっ、いいわ。それより……」
真梨子は明るい表情のまま勝手に話を打ち切ると、突然、鴻志の腕をつかんだ。
「ドライブしよ」
「はっ?」
突然の言葉に鴻志は間のぬけた表情で聞き返した。
「ドライブよ、ドライブ。高速をかっとばして、遊園地いって、レストランで食事して、それから映画館にいって……」
真梨子はそこで言いよどんだ。内心のためらいを振り払うようにうなずくと、頬を上気させながら言った。
「……トイレのなかでエッチするの」
「なに?」
思いがけない大胆な言葉に鴻志はさすがに面食らった。眉をひそめて聞き返した。真梨子はそれ以上、話をするつもりはないようだった。鴻志の腕をつかむ手に力をこめ、無理やり車の助手席に放り込む。
「お、おい……」
鴻志は助手席に尻を叩きつけられながら抗議の声を上げようとした。それより早く、すべての抗議を却下する勢いで真梨子は助手席のドアを閉めた。鼻唄などを歌いながらさも当然のように車の前をまわって運転席の側に向かう。鴻志はその様子をフロントガラス越しに唖然として見つめていた。
真梨子が運転席に座った。勢いよくドアを閉める。シート・ベルトをつける。ハンドルを握る。ギアに手をかける。足がアクセルにかかる。一連の動作がやけにほがらかで楽しそう。完全無欠のデート気分。鴻志はその勢いにぽかんとして見入ってしまっていた。エンジン音がうなりはじめたところでようやく、自分の置かれている状況を思い出した。
「ちょっとまて、こら! おれはドライブするなんて一言も……」
声を張り上げたが真梨子は聞いていなかった。完全に無視して自分の言いたいことだけ言ってくる。
「ほら、早くシート・ベルトつけて。飛ばすわよ!」
言い終わるより早くアクセルを踏み込む。エンジンがうなりを上げる。急回転したタイヤが地面と噛み合い、肉食獣のような吠え声を上げる。閑静な住宅街の道を弾丸と化して走り出した。
水やりもあまりしない。クレソンやクランベリーなど、とくに水を欲しがるものは別として、ほとんどは雨水ですませているので必要ないのだ。
アブラムシがびっしりついていたり、イモムシが大量発生したりすれば駆除することもあるが、それにしたってアブラムシで枯れてしまったことはない。キュウリなど、広い葉っぱの裏に数えきれないほどのアブラムシがびっしりはりついていても平気で実を太らせている。植物の計り知れない懐の広さを感じる瞬間だ。それに比べれば動物なんて泥棒まがいの生き物でしかない。
イモムシも鳥やハチに食べられているようだ。ようだ、というのはいつの間にかいなくなっていることが多いからだ。ラズベリーの葉っぱをもりもり食べて丸々と太っていたはずのイモムシがいつの間にか見えなくなっている。サナギもないし、土にもぐるとも思えない。これはやはり鳥に食べられているのだろう。どんなチョウやガになるのかと楽しみにしてもいるのでちょっと残念ではある。
そんなわけだから世話と言ってもすることはほとんどない。むしろ『観察している』と言った方が正しい。新芽が延びていることや、ブルーベリーの実がふくらんでいくところ、ブラックベリーの実が赤から黒へと変化していく様。それを眺めているだけで鴻志は充分に楽しいし、飽きもしない。
昼間ばりばり働いて、夜はバーに繰り出して女をはべらして酒を飲んで盛り上がる……と言った生活を好む男にはさぞかし退屈な人生に見えるだろう。しかし、それが、森山鴻志という人間だ。
自分では原始的な人間なのだと思っている。一万年以上も前、森のなかでのんびり暮らしていた古代人に近い感性をもっているのだろう。そんな自分に満足している。
車のエンジン音が響き、近くでとまった。家の前に車がとまったのが見えた。『なんだ?』と思った。編集者が連絡もなしにやってくるような急な仕事はいまはない。取材の約束もない。訪れる人間などいないはずだ。セールスか勧誘だろうか? だとしたら居留守を決め込むにかぎる。
車から降りたのは毛先のはねたショートヘアにソフトな黄色の上着、七分丈の白のシガレットパンツ、スピネルレッドのサンダルという出で立ちの妙齢の女性だった。
女性は屋上を見上げた。まるで、そこに鴻志がいることを知っているかのように。鴻志を見つけ、笑顔を向けた。鴻志は『しまった』と舌打ちした。見つかってしまった。これで居留守は使えない。応対するしかなさそうだ。見上げてくる明るい笑顔はたしかに魅力的だけど。
「ハーイ、鴻志」
女性は片手を高々とあげて元気よくあいさつしてきた。鴻志は面くらった。なんだ、この馴れなれしさは。女の知り合いなんていないぞ。男の知り合いもほとんどいないが。
「どなたです?」
フェンスに近づき、そう声をかけた。すると女性はとびきりのジョークでも聞かされたように破顔した。
「何言ってるの、あたしよ、あたし。わからない?」
女性は両手を肩の高さにあげてそう答えた。鴻志はますますとまどった。
「あたしって……」
最近、見ず知らずの女にこんな風に親しげにされる出来事などあったろうか。知り合った女と言えばあの変な弁護士ぐらい……。
そこまで思ったとき、ようやく気づいた。
「小山内さんか!」
その叫びに真梨子は思いきり吹き出した。
「よしてよ、『小山内さん』なんて。真梨子って呼んで」
「呼んでって言われてもな……」
鴻志はどうしていいかわからなかったので、とりあえず髪などかいてみた。混乱したときに毛づくろいをして気持ちを落ち着かせるのは獣の本能だ。
真梨子は鴻志の混乱などお構いなしに笑顔のまま言った。
「とにかく、降りてきてよ。用があるの」
「……まさか、また、彼氏役やれってんじゃあるまいな?」
不安を感じながらもとにかく、下に降りた。玄関を開けると真梨子はすぐ前に立ってまっていた。恋人を迎えるように微笑みかけてくる。
「久しぶり。元気だった?」
「なんか……ずいぶん、華やかになったな」
その微笑みの向こうに暗雲を感じながら、鴻志は真梨子を観察した。間近で見るとその変身振りがよけい際立って見える。
「肌の色合いがずいぶんかわったな。エステにでもいってきたか?」
「へへっー、わかる? 二週間ばかり、修行してきたの」
そう答える真梨子を鴻志は微に入り、細にわたって観察した。その視線はどう見ても女を見る男の目ではなく、標本を調べる解剖学者のものだった。
鴻志は失礼なぐらいじろじろと凝視したあと、真梨子の出で立ちを評した。
「……もっさりしていた髪をショートにしてフェイスラインを軽やかに。カナリヤイエローの上着に白のシガレットパンツですっきりした清潔感をアピール。それだけでは軽すぎると、足もとのスピネルレッドでなまめかしさをさり気なくプラス、か。頭のなかは真夏の浜辺を散策か?」
「まあね。あなたのアドバイス通りよ。どう? 似合うでしょ?」
真梨子は笑顔で髪を揺らして見せた。無邪気でほがらかな子供っぽい仕草。しかし、そのなかに男を誘うなまめかしさを含んだ小悪魔みたいな仕種だった。
鴻志はそんな真梨子をいぶかしげな視線でじっと見据えた。近眼の人間が細かいメモ用紙の文字を判別するときのような険しい目付きになった。それぐらい、真梨子の態度には違和感を感じていた。
鴻志の知っている小山内真理子はこんな風にほがらかに自分の魅力をアピールするような陽性の性格ではなかったはずだ。もっと地味で、うす暗く、自分に自信がもてないために自分を隠そうとする、そんな陰性の人間だったはずだ。
それがどうだ。いま、目の前に立っている女はそれとはまったくちがう。大胆に、開放的に、自分という存在を堂々とさらけ出している。人々に注目され、視線を集めることを楽しんでいる。自分に自信がなければできないことだ。
先ほどの髪を揺らす仕種にしてもそう。鴻志の知っている小山内真梨子なら絶対にしたはずがない。パーティーで彼氏役をつとめさせられてからまだ一月足らず。その間にこんなにもかわったというのだろうか。いったい、何があったのだ?
自慢の脳細胞をフル回転させたが答えは出ない。自分に理解できないことがあるというのははっきり言って気に食わない。世界のすべては森山鴻志の知性の前にひれ伏すべきなのだ!
と言うわけで、真梨子の変身振りは鴻志にとって不愉快の種だった。険しい目付きをますます険しくしてにらみつけ、小さく詰問する。
「……本当にあの小山内真梨子か? 二〇歳ぐらいで、スポーツ好きが災いして男とつき合うこともなく、急性白血病で突然死した海とアップルティーの好きな女の亡霊か何かにとりつかれてるんじゃないだろうな?」
裏設定に無駄に凝りまくるいつもの癖で、やたらと具体的な描写をする。
真梨子はさも愉快そうに笑い出した。それがまた『箸が転がってもおかしくなる一七歳の女の子』のような笑い方だったので、鴻志はぎょっとして引いてしまった。三〇女がこんな青春真っ只中の女の子のような屈託のない笑い方をするとは。
いったい、何があったのかいよいよ気になる。どこかで頭でも打ったのか、それとも、本当に幽霊にとりつかれててでもいるものか。いますぐどこかの病院に運んで脳をCTスキャンにかけたくなる鴻志であった。もし、本当に幽霊憑きなら何としても幽霊を捕まえて研究したいもの。それが実現すればノーベル賞まちがいなし……。
鴻志の暴走する想像力などお構いなしに真梨子は屈託のない笑顔のまま言った。
「やあだ、二〇歳の美人のお嬢さまだなんて。そんなに魅力的?」
言いながら小首をかしげ、目だけで笑って見せる。いったい、いつこんな手練手管を身に付けたのかと思うぐらい愛らしい表情だった。以前の小山内真梨子からは考えられない。
鴻志の知っている真梨子にはこんなうぬぼれた返しは絶対にできなかったはずだ。ほめられても本気にできず、ますます暗くなり、ついには相手を怒らせてしまう……。そんなタイプだったはずなのだが。
「美人ともお嬢さまとも言ってないが……」
ぼそぼそと呟きながら、
――こいつ、絶対、ちがうよな。
と、疑いを深める鴻志だった。
「まっ、いいわ。それより……」
真梨子は明るい表情のまま勝手に話を打ち切ると、突然、鴻志の腕をつかんだ。
「ドライブしよ」
「はっ?」
突然の言葉に鴻志は間のぬけた表情で聞き返した。
「ドライブよ、ドライブ。高速をかっとばして、遊園地いって、レストランで食事して、それから映画館にいって……」
真梨子はそこで言いよどんだ。内心のためらいを振り払うようにうなずくと、頬を上気させながら言った。
「……トイレのなかでエッチするの」
「なに?」
思いがけない大胆な言葉に鴻志はさすがに面食らった。眉をひそめて聞き返した。真梨子はそれ以上、話をするつもりはないようだった。鴻志の腕をつかむ手に力をこめ、無理やり車の助手席に放り込む。
「お、おい……」
鴻志は助手席に尻を叩きつけられながら抗議の声を上げようとした。それより早く、すべての抗議を却下する勢いで真梨子は助手席のドアを閉めた。鼻唄などを歌いながらさも当然のように車の前をまわって運転席の側に向かう。鴻志はその様子をフロントガラス越しに唖然として見つめていた。
真梨子が運転席に座った。勢いよくドアを閉める。シート・ベルトをつける。ハンドルを握る。ギアに手をかける。足がアクセルにかかる。一連の動作がやけにほがらかで楽しそう。完全無欠のデート気分。鴻志はその勢いにぽかんとして見入ってしまっていた。エンジン音がうなりはじめたところでようやく、自分の置かれている状況を思い出した。
「ちょっとまて、こら! おれはドライブするなんて一言も……」
声を張り上げたが真梨子は聞いていなかった。完全に無視して自分の言いたいことだけ言ってくる。
「ほら、早くシート・ベルトつけて。飛ばすわよ!」
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