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朱夏編第一話
七章 未来への課題
「だけど、それは簡単なことじゃない」
盛りあがる仲間たちに水を差すように――。
樹は淡々とその現実を指摘した。
テーブルの上に両肘を突き、口もとに組み合わせた手を置いて。
ギュッと握りしめれた両手。
真一文字に引き結ばれた唇。
暗い、と言ってもいいほどに真剣な目。
沈み込んでいるのかと思うほどに真面目な表情。
それはいずれも、樹が感じている現実の深刻さを示していた。
その姿につい先ほどまで歓声をあげていた仲間たちも真面目くさった表情に戻っていた。
いつも明るく脳天気な慶吾でさえ、唇を真一文字に引き結び、樹の次の言葉をまった。
ただひとり、樹と旅を共にしてきたことで樹の言いたいことがわかっている笑苗は、まさにそれだからこそ、愛する夫を気遣う表情で樹を見守っている。
「世界を巡って見てきた農業の現実。それは、思っていたよりずっと深刻なものだったよ。資材費の高騰。戦争。内紛。国民間の分断と対立。それらの不安要素はどの国に行ってもついてまわった。そして、気候変動。温暖化によって世界の気候はまったくかわってしまった。従来の農業技術や知識が役に立たない。もうそこまで事態は切迫してきているんだ」
樹の言葉に――。
慶吾たち四人は無言でうなずいた。
静かにうなずくその表情が、それぞれの胸にある思いの重さを示していた。
慶吾たちもこの三年間、樹にかわって樹の畑を守ってきた身。もはや、春夏秋冬の四季ではなく、冬・夏・激夏・夏の新しい四季にかわってしまっていることはその身をもって感じている。その新しい四季のもとでは代々、伝えられてきた伝統的な農業技術や知識がもはや通用しないことも。
そのことを体験として知ってきただけに、樹の言葉の重さが胸に突き刺さる。
樹はつづけた。
「そして、この件に関して政治には期待できない。政治家は知らないんだよ。
暑くなりすぎると花粉が死んでしまい、植物は実をつけられなくなるということも。
受粉昆虫の動きが鈍り、受粉できなくなるということも。
害虫の発生時期が早く、長くなればそれだけ、農業に多大な被害が出るということも。
なにひとつ知らない。机の上の知識としては知っていても、実際の体験としてはなにも知らない。そんな政治家たちに『正しい』農業政策なんて、とれるわけがない。
だから、おれたち農家自身が主導しなくてはならない。政治家がなにかを決めて従うんじゃない。おれたちの方から『こういう対策をとるからそのための支援をしてくれ』と要求し、支援を得ることができる。そういう仕組みにかえていく必要がある」
「ああ、わかるよ」
と、慶吾。餌をついばむインコのように、何度もなんどもうなずきながら熱心に賛同した。
「現場のことを知っているのは、実際に現場で働いているおれたちだもんな。現場が本当に必要としている対策をとることは、おれたちにしかできない」
「その意見には全面的に賛同するが……」
と、雅史。おなじみの『メガネを指で直してクイッ』のポーズをとりながら言った。
「国にそれを求めるのは現実的とは言えないな。それは言わば、国という存在そのものが従来型の『おれが引っ張る』リーダーから、支援型リーダーにかわると言うことだ。そんな大きな変化がそうそう起きるはずもない」
まして、たった六人の若造が要求したところで実現するはずがない。
いかにもクール系メガネキャラらしいその物言いに、女子三人はそろってうなずいた。
「若造のくせに!」
と、罵られるのは六人共通だが笑苗たち三人の場合、
「女のくせに!」
も、加わる。
それだけに、世間を牛耳るおとなたちから侮られ、罵られることには敏感であるし、感じてきた悔しさも樹たち以上である。
「たしかにな」
樹は認めた。そううなずく表情の真摯さは、とうに承知だということを示していた。
「それだけでも実現不可能なぐらいに難しいことだ。加えて、それ以上の問題がある」
「それ以上の問題?」
なんだ、それは? と、雅史が尋ねた。メガネの奥の目が『それ以上に大変なことなんてあるのか?』と問うている。
「人がいない」
「人がいない?」
「そうだ。とくに、先進国においては農家のなり手がいない。少子化のせいで人口が減っている、という理由もあるが、それよりなにより、いまどきの人間は農業、というより、汗水垂らして働こうなんて思っていない」
あっ、と、慶吾たちはなにかに気づいた表情になった。
「そう。いまや、スマホの前で悪ふざけをしてネットにあげれば、それだけで稼げる時代だ。もう誰も、炎天下の畑で土と汗にまみれて日の出から日の入りまで働く……なんていうことは望んでいないんだ」
「たしかに」と、雅史。
「農業人口の減少はこの辺りでも感じていた。この三年の間だけでもいくつもの農家が高齢と後継者不足とを理由に廃業してしまっている。残された畑は耕作放棄地として放置されるなら良い方。それなら、おれたちがかわりに管理することもできるからな。
だが、そのまま売りに出されてしまうことも多い。貴重な畑が家を建てるためにつぶされてしまうんだ。このあたりだって、どんどん空き家が増えている状況だって言うのにな」
雅史の言葉に他の面々もそろってうなずいた。そのあたりの矛盾には皆、多かれ少なかれ心に思うのがあったのだ。
「そうだ。そして、それは世界的な傾向だ」
と、樹。自分の選んだ道が世界中で衰退している。その現実をしかし、目をそらすことなく直視し、なんとかしようとしている。
そんな人間に特有の表情。
その表情を浮かべて話をつづける樹のことを、笑苗が気遣わしげに見つめている。
「それでも、なんとか農業がつづいているのは古い世代の人たちががんばってくれているからだ。その世代が働けなくなれば農業人口は一気に減る。食糧の作り手が世界中で足りなくなる。そんなことになれば『食わせる』どころじゃない。世界中で飢えと、食糧の奪い合いがはじまる」
樹のその言葉には仲間たちも――いつも脳天気な慶吾でさえ――恐怖すら感じさせるほどの表情でうなずくしかなかった。
「ヨーロッパで話をした農家の人たちの多くが同じ危機感をもっていた。
『自分の食う分を自分で作れない国は、よそに奪いに行く。だから、自分の食う分を自分で作ることが大切なんだ』ってな。
歴史的にずっと小さい地域にわかれ、争いを繰り返してきたヨーロッパの人たちの言うことだ。骨身に染みたよ。というより、はっきりと怖くなった。そんな事態を未然に防ぐためには旧世代ががんばってくれている間に農業そのものを新しい産業にしなくちゃならない。
AIやドローンの導入による効率化とか、そんな小手先の対策じゃなんの足しにもならない。農業そのもののイメージをかえ、若い人間が参入したくなる。そんな産業に、根っ子の部分から作り替えないといけないんだ。そのために……」
樹はいったん、言葉を切った。すっかり冷えてぬるくなってお茶を飲み干してからつづけた。
「やはり、農場経営にアパート経営を組み込むべきだと思う」
「樹は、高校の頃からそう言っていたものね」
妻の言葉に樹はうなずいた。
「ああ。畑の作物をタダで提供するかわりに入居者を集め、家賃収入で生計を立てる。その方が、作物を売って暮らすより安定すると思ってな。
農業を取り巻く状況はたしかに厳しい。
しかし、希望もある。
世界中に都市農業が広まっている。都会のど真ん中の小さな空き地に、建物の屋上に農地が作られ、農家ではない一般の人たちが作物の栽培や収穫に関わっている。
単に食糧を栽培するだけじゃない。子どもの食育の場でもあり、地域住民の交流の場でもあり、健康を保つための運動場でもある。
都会に作られた小さな農地がまさに、その都会に住む人々の多くのニーズを満たしている。これからはもう、どこか遠くの場所で作物を作って運んでくる……なんていう時代じゃないと思う。作り手と消費者とが同じ場所に住み、一緒に農業をなり立たせていく。そういう時代にすべきなんだ。
作り手と消費者とが同じ畑に住み、作り手は作物を栽培し、消費者は好きなときに好きな作物を収穫する。
作り手からすれば『収穫』という一番、手間のかかる部分を消費者自身にやってもらえればずっと手間が減らせる。浮いた時間を加工品販売にまわせば利益はふくらむ」
それこそ、美容製品を作るとかしてな。
樹はそう言いながら妻の姿を見た。
笑苗は夫の視線を受けて堂々とうなずいた。それは『自分だって、農場経営を支える柱のひとりなんだ』との誇りの表われだった。
「消費者にしてみれば新鮮な作物を安く手に入れられるわけで、これも利益が大きい。それに、フードロス削減の役にも立つはずだ」
「ああ、それな!」
慶吾が大袈裟なぐらい大きな声を出した。
「その問題は、おれたちも『世界の食糧ムダ捨て事情』を読んで思い知ったよ。あれはひどかった。ごく普通の町中のスーパーのゴミ箱のなかから包装されたままの食品類が何十と出てくるんだぜ。まだ立派に食べられるのにさ。
おまけに、パンの耳やら、ピザ生地の切れ端やらも大量に捨てられていて……料理人のはしくれとしては、とてもじゃないけど見ていられない光景だったな」
「たしかに、あの数枚の写真を見るだけでもショックだったわよね」と、澪。
「なにしろ、畑一面のコマツナとか、見るからにおいしそうなジャガイモとかが捨てられるって言うんだもの。地面を埋め尽くす大量のトマトやオレンジもあったし……」
澪はそう言いながら、片手を頬に当てて『……ほう』と、ため息をついた。
二〇代半ばとなったいまでも、『美少女』で通るだけの若々しくかわいらしい顔立ちをしているだけに、そんな仕種をしてもやっぱりかわいらしい。しかし、この際は、いくら『かわいいは正義!』などと言ってみてもなんの役にも立ちはしない。
あきらもため息交じりにつづけた。
「大量のバナナが捨てられている写真もショックだったわよね。なにしろ、溝を埋め尽くすバナナで川ができているんだもの。あれだけでいったい、何万本のバナナが捨てられていることか」
「捨てるんならくれ! 思わず、そう叫びたくなったよな」
慶吾のその言葉には澪もあきらもうんうんとうなずいた。
しかし、雅史はお得意の『メガネを指で直してクイッ』のポーズと共に冷徹に言いきった。
「それは無理だ。そんな規格外の品が出回ったら規格通りの高価な品が売れなくなる。だから、捨てるわけだからな。タダで配ったりするはずがない」
「それはわかってるけどよお」
と、慶吾。そう言う表情に悔しさと腹立たしさが滲んでいる。
「だいたい、もし、もらえても、もてあますだけだもんね。あの膨大な量、食べ尽くすのにいったい、何万人、必要か……」
ため息交じりの澪の言葉に、笑苗が答えた。
「あたしは世界を巡って、実際に多くの作物が捨てられている現場を見てきたわ。正直『フードロス』なんて対して興味があったわけじゃないけど……やっぱり、現場を見るととんでもないショックを受けたわ」
「『世界の食糧ムダ捨て事情』では、スーパーの責任を追及していたな。『スーパーが高く売ろうとして見た目にこだわるために、大量の食べられる食品が廃棄されている』と」と、樹。
「だけど、スーパーの立場もわかる。利益をあげなきゃいけないんだから見た目の良い、高く売れる品を扱いたいのは当然だし、商品を切らすわけにはいかないんだから必要以上に生産するよう求めるのも当たり前だ。
とは言っても、その態度が大量廃棄に結びついているのも確か。そのなかで、作り手と消費者とが共に生産に関わるようになれば必要量も割り出せるからあまりに多く作る必要もなくなる。『形が悪い』というだけの理由で廃棄されることもなくなる。そうなれば、ずっと少ない土地と人手で必要な食糧を生産できる。そのためにも、アパート経営を組み込みたい。
それに、アパート経営が柱なら『アパートの住人の食を確保する』という明確な目的がもてる。その目的を達成できるだけのビジネスモデルを作りあげたいと思っている。ただ……」
と、樹は溜め息をついた。
「アパートを建てるにはそれだけの資金がいるし、経営のためのノウハウも必要だ。そもそも、入居者がいなければ収入はゼロになってしまうわけだし。それらの資金やノウハウをどこから得るかなんだが……」
樹のその言葉に――。
慶吾、雅史、澪、あきらの四人はお互いの顔を見合わせた。なにやら、秘密の合図めいたうなずきかたをした。
その様子に樹と笑苗は怪訝な表情を浮かべた。頭のまわりに『?』マークを飛ばして仲間たちを見た。
「実はな」と、雅史。
「その点に関して、見てほしいものがある」
「見てほしいもの?」
「ああ。『国に支援型リーダーになることを求めるのは現実的ではない』と、そう言った。だけどな。国以外に、まさにその活動を行っている組織があるんだ」
雅史はそう言って自分のスマホを差し出した。その画面に映っている文字は、
民営国家
富士幕府
盛りあがる仲間たちに水を差すように――。
樹は淡々とその現実を指摘した。
テーブルの上に両肘を突き、口もとに組み合わせた手を置いて。
ギュッと握りしめれた両手。
真一文字に引き結ばれた唇。
暗い、と言ってもいいほどに真剣な目。
沈み込んでいるのかと思うほどに真面目な表情。
それはいずれも、樹が感じている現実の深刻さを示していた。
その姿につい先ほどまで歓声をあげていた仲間たちも真面目くさった表情に戻っていた。
いつも明るく脳天気な慶吾でさえ、唇を真一文字に引き結び、樹の次の言葉をまった。
ただひとり、樹と旅を共にしてきたことで樹の言いたいことがわかっている笑苗は、まさにそれだからこそ、愛する夫を気遣う表情で樹を見守っている。
「世界を巡って見てきた農業の現実。それは、思っていたよりずっと深刻なものだったよ。資材費の高騰。戦争。内紛。国民間の分断と対立。それらの不安要素はどの国に行ってもついてまわった。そして、気候変動。温暖化によって世界の気候はまったくかわってしまった。従来の農業技術や知識が役に立たない。もうそこまで事態は切迫してきているんだ」
樹の言葉に――。
慶吾たち四人は無言でうなずいた。
静かにうなずくその表情が、それぞれの胸にある思いの重さを示していた。
慶吾たちもこの三年間、樹にかわって樹の畑を守ってきた身。もはや、春夏秋冬の四季ではなく、冬・夏・激夏・夏の新しい四季にかわってしまっていることはその身をもって感じている。その新しい四季のもとでは代々、伝えられてきた伝統的な農業技術や知識がもはや通用しないことも。
そのことを体験として知ってきただけに、樹の言葉の重さが胸に突き刺さる。
樹はつづけた。
「そして、この件に関して政治には期待できない。政治家は知らないんだよ。
暑くなりすぎると花粉が死んでしまい、植物は実をつけられなくなるということも。
受粉昆虫の動きが鈍り、受粉できなくなるということも。
害虫の発生時期が早く、長くなればそれだけ、農業に多大な被害が出るということも。
なにひとつ知らない。机の上の知識としては知っていても、実際の体験としてはなにも知らない。そんな政治家たちに『正しい』農業政策なんて、とれるわけがない。
だから、おれたち農家自身が主導しなくてはならない。政治家がなにかを決めて従うんじゃない。おれたちの方から『こういう対策をとるからそのための支援をしてくれ』と要求し、支援を得ることができる。そういう仕組みにかえていく必要がある」
「ああ、わかるよ」
と、慶吾。餌をついばむインコのように、何度もなんどもうなずきながら熱心に賛同した。
「現場のことを知っているのは、実際に現場で働いているおれたちだもんな。現場が本当に必要としている対策をとることは、おれたちにしかできない」
「その意見には全面的に賛同するが……」
と、雅史。おなじみの『メガネを指で直してクイッ』のポーズをとりながら言った。
「国にそれを求めるのは現実的とは言えないな。それは言わば、国という存在そのものが従来型の『おれが引っ張る』リーダーから、支援型リーダーにかわると言うことだ。そんな大きな変化がそうそう起きるはずもない」
まして、たった六人の若造が要求したところで実現するはずがない。
いかにもクール系メガネキャラらしいその物言いに、女子三人はそろってうなずいた。
「若造のくせに!」
と、罵られるのは六人共通だが笑苗たち三人の場合、
「女のくせに!」
も、加わる。
それだけに、世間を牛耳るおとなたちから侮られ、罵られることには敏感であるし、感じてきた悔しさも樹たち以上である。
「たしかにな」
樹は認めた。そううなずく表情の真摯さは、とうに承知だということを示していた。
「それだけでも実現不可能なぐらいに難しいことだ。加えて、それ以上の問題がある」
「それ以上の問題?」
なんだ、それは? と、雅史が尋ねた。メガネの奥の目が『それ以上に大変なことなんてあるのか?』と問うている。
「人がいない」
「人がいない?」
「そうだ。とくに、先進国においては農家のなり手がいない。少子化のせいで人口が減っている、という理由もあるが、それよりなにより、いまどきの人間は農業、というより、汗水垂らして働こうなんて思っていない」
あっ、と、慶吾たちはなにかに気づいた表情になった。
「そう。いまや、スマホの前で悪ふざけをしてネットにあげれば、それだけで稼げる時代だ。もう誰も、炎天下の畑で土と汗にまみれて日の出から日の入りまで働く……なんていうことは望んでいないんだ」
「たしかに」と、雅史。
「農業人口の減少はこの辺りでも感じていた。この三年の間だけでもいくつもの農家が高齢と後継者不足とを理由に廃業してしまっている。残された畑は耕作放棄地として放置されるなら良い方。それなら、おれたちがかわりに管理することもできるからな。
だが、そのまま売りに出されてしまうことも多い。貴重な畑が家を建てるためにつぶされてしまうんだ。このあたりだって、どんどん空き家が増えている状況だって言うのにな」
雅史の言葉に他の面々もそろってうなずいた。そのあたりの矛盾には皆、多かれ少なかれ心に思うのがあったのだ。
「そうだ。そして、それは世界的な傾向だ」
と、樹。自分の選んだ道が世界中で衰退している。その現実をしかし、目をそらすことなく直視し、なんとかしようとしている。
そんな人間に特有の表情。
その表情を浮かべて話をつづける樹のことを、笑苗が気遣わしげに見つめている。
「それでも、なんとか農業がつづいているのは古い世代の人たちががんばってくれているからだ。その世代が働けなくなれば農業人口は一気に減る。食糧の作り手が世界中で足りなくなる。そんなことになれば『食わせる』どころじゃない。世界中で飢えと、食糧の奪い合いがはじまる」
樹のその言葉には仲間たちも――いつも脳天気な慶吾でさえ――恐怖すら感じさせるほどの表情でうなずくしかなかった。
「ヨーロッパで話をした農家の人たちの多くが同じ危機感をもっていた。
『自分の食う分を自分で作れない国は、よそに奪いに行く。だから、自分の食う分を自分で作ることが大切なんだ』ってな。
歴史的にずっと小さい地域にわかれ、争いを繰り返してきたヨーロッパの人たちの言うことだ。骨身に染みたよ。というより、はっきりと怖くなった。そんな事態を未然に防ぐためには旧世代ががんばってくれている間に農業そのものを新しい産業にしなくちゃならない。
AIやドローンの導入による効率化とか、そんな小手先の対策じゃなんの足しにもならない。農業そのもののイメージをかえ、若い人間が参入したくなる。そんな産業に、根っ子の部分から作り替えないといけないんだ。そのために……」
樹はいったん、言葉を切った。すっかり冷えてぬるくなってお茶を飲み干してからつづけた。
「やはり、農場経営にアパート経営を組み込むべきだと思う」
「樹は、高校の頃からそう言っていたものね」
妻の言葉に樹はうなずいた。
「ああ。畑の作物をタダで提供するかわりに入居者を集め、家賃収入で生計を立てる。その方が、作物を売って暮らすより安定すると思ってな。
農業を取り巻く状況はたしかに厳しい。
しかし、希望もある。
世界中に都市農業が広まっている。都会のど真ん中の小さな空き地に、建物の屋上に農地が作られ、農家ではない一般の人たちが作物の栽培や収穫に関わっている。
単に食糧を栽培するだけじゃない。子どもの食育の場でもあり、地域住民の交流の場でもあり、健康を保つための運動場でもある。
都会に作られた小さな農地がまさに、その都会に住む人々の多くのニーズを満たしている。これからはもう、どこか遠くの場所で作物を作って運んでくる……なんていう時代じゃないと思う。作り手と消費者とが同じ場所に住み、一緒に農業をなり立たせていく。そういう時代にすべきなんだ。
作り手と消費者とが同じ畑に住み、作り手は作物を栽培し、消費者は好きなときに好きな作物を収穫する。
作り手からすれば『収穫』という一番、手間のかかる部分を消費者自身にやってもらえればずっと手間が減らせる。浮いた時間を加工品販売にまわせば利益はふくらむ」
それこそ、美容製品を作るとかしてな。
樹はそう言いながら妻の姿を見た。
笑苗は夫の視線を受けて堂々とうなずいた。それは『自分だって、農場経営を支える柱のひとりなんだ』との誇りの表われだった。
「消費者にしてみれば新鮮な作物を安く手に入れられるわけで、これも利益が大きい。それに、フードロス削減の役にも立つはずだ」
「ああ、それな!」
慶吾が大袈裟なぐらい大きな声を出した。
「その問題は、おれたちも『世界の食糧ムダ捨て事情』を読んで思い知ったよ。あれはひどかった。ごく普通の町中のスーパーのゴミ箱のなかから包装されたままの食品類が何十と出てくるんだぜ。まだ立派に食べられるのにさ。
おまけに、パンの耳やら、ピザ生地の切れ端やらも大量に捨てられていて……料理人のはしくれとしては、とてもじゃないけど見ていられない光景だったな」
「たしかに、あの数枚の写真を見るだけでもショックだったわよね」と、澪。
「なにしろ、畑一面のコマツナとか、見るからにおいしそうなジャガイモとかが捨てられるって言うんだもの。地面を埋め尽くす大量のトマトやオレンジもあったし……」
澪はそう言いながら、片手を頬に当てて『……ほう』と、ため息をついた。
二〇代半ばとなったいまでも、『美少女』で通るだけの若々しくかわいらしい顔立ちをしているだけに、そんな仕種をしてもやっぱりかわいらしい。しかし、この際は、いくら『かわいいは正義!』などと言ってみてもなんの役にも立ちはしない。
あきらもため息交じりにつづけた。
「大量のバナナが捨てられている写真もショックだったわよね。なにしろ、溝を埋め尽くすバナナで川ができているんだもの。あれだけでいったい、何万本のバナナが捨てられていることか」
「捨てるんならくれ! 思わず、そう叫びたくなったよな」
慶吾のその言葉には澪もあきらもうんうんとうなずいた。
しかし、雅史はお得意の『メガネを指で直してクイッ』のポーズと共に冷徹に言いきった。
「それは無理だ。そんな規格外の品が出回ったら規格通りの高価な品が売れなくなる。だから、捨てるわけだからな。タダで配ったりするはずがない」
「それはわかってるけどよお」
と、慶吾。そう言う表情に悔しさと腹立たしさが滲んでいる。
「だいたい、もし、もらえても、もてあますだけだもんね。あの膨大な量、食べ尽くすのにいったい、何万人、必要か……」
ため息交じりの澪の言葉に、笑苗が答えた。
「あたしは世界を巡って、実際に多くの作物が捨てられている現場を見てきたわ。正直『フードロス』なんて対して興味があったわけじゃないけど……やっぱり、現場を見るととんでもないショックを受けたわ」
「『世界の食糧ムダ捨て事情』では、スーパーの責任を追及していたな。『スーパーが高く売ろうとして見た目にこだわるために、大量の食べられる食品が廃棄されている』と」と、樹。
「だけど、スーパーの立場もわかる。利益をあげなきゃいけないんだから見た目の良い、高く売れる品を扱いたいのは当然だし、商品を切らすわけにはいかないんだから必要以上に生産するよう求めるのも当たり前だ。
とは言っても、その態度が大量廃棄に結びついているのも確か。そのなかで、作り手と消費者とが共に生産に関わるようになれば必要量も割り出せるからあまりに多く作る必要もなくなる。『形が悪い』というだけの理由で廃棄されることもなくなる。そうなれば、ずっと少ない土地と人手で必要な食糧を生産できる。そのためにも、アパート経営を組み込みたい。
それに、アパート経営が柱なら『アパートの住人の食を確保する』という明確な目的がもてる。その目的を達成できるだけのビジネスモデルを作りあげたいと思っている。ただ……」
と、樹は溜め息をついた。
「アパートを建てるにはそれだけの資金がいるし、経営のためのノウハウも必要だ。そもそも、入居者がいなければ収入はゼロになってしまうわけだし。それらの資金やノウハウをどこから得るかなんだが……」
樹のその言葉に――。
慶吾、雅史、澪、あきらの四人はお互いの顔を見合わせた。なにやら、秘密の合図めいたうなずきかたをした。
その様子に樹と笑苗は怪訝な表情を浮かべた。頭のまわりに『?』マークを飛ばして仲間たちを見た。
「実はな」と、雅史。
「その点に関して、見てほしいものがある」
「見てほしいもの?」
「ああ。『国に支援型リーダーになることを求めるのは現実的ではない』と、そう言った。だけどな。国以外に、まさにその活動を行っている組織があるんだ」
雅史はそう言って自分のスマホを差し出した。その画面に映っている文字は、
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