レースの意匠

quesera

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二章

一の三

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 寝た感覚などない。この時期の朝は気温も高く、晴れやかな日差しに心地よく目を覚ますものだ。晴れ間は何れ出るのだろうが、日も浅い朝では、昨夜の雨の名残が靄と立ち上がる中、鬱々と馬に揺られる羽目になった。
 服は思い切ってシルヴァへ着せた。イヨーリカは外套に袖を通し、その上にラヒの被り物を纏った。
 朝もやの中、馬上の兵たちが浮かび上がる。直面する頃には、ラヒの被り物は軍服なのだと理解した。

 兵が一斉に馬を降り、一部の者たちは膝を折った。残りの兵は、顔を見合わせ、加わらぬようだ。
 ラヒが馬上から声低く告げる。その口に昇るのは、呪文にしか聞こえぬ、他国の言葉。めいめいが順を追って一礼していく。ラヒが耳に囁いた。
「会釈を」
 代わる代わる顔を見ては、軽く頷き、二日目の行脚が始まった。総勢一五名の兵は、三手に分かれ、先遣に二手、後方に一手に分かれた。

 朝餉も昼も、馬上でもそもそと食す。日が高くなれば、嫌が追うにも生乾きの匂いが鼻に付き、味わうより水で流し込むに近い。馬具や靴の皮の匂い、草木の青臭さに、土の香りに咽返る。馬が段差を超えるたび、足の付け根の痛みに、吐瀉物が喉を駆け上がる。
 それでも、休憩を頼まないのは、寄り掛かるラヒから伝わる湿り気のせい。新たに兵の外套を纏ったラヒだが、幾重の布越しでも、着衣が未だ濡れていると分かる。
 起き掛けには、イヨーリカの服は乾いていた。ラヒが寝ずに火ごてで乾かしたようだ。それをシルヴァに渡しても、ラヒは閉口などしなかった。

 日が沈めば直ぐに宿を訪れた。丘の上の城から下るようにして館が連なる、賑やかな町だ。群集も多く、街路に犇くのは旅人たちだろう。三人の兵が宿に加った。
 昨夜よりかはシルヴァと部屋で過ごせたが、就寝に就くにはラヒが入れ替わる。外敵から守るというより、イアの孫と主張する者の身柄を確保しておきたいのだと、ここにきてイヨーリカは不安に苛まれた。
「イアは…祖母とは合流するの?」
 灯りを絞るラヒへ、問いに縋った。
「馬車ですので同じ道順では向かわれません。明日後に入る城で落ち合う手筈です」
 薄暗い室内に、女らしいシルエットと、彫刻の様に肉感的な男の影が、天井へと伸びていっている。
 この町に入り、イヨーリカには多くの持ち物が増えた。今着る寝間着のひだ飾りの凄いこと。シルヴァが選んだのだろうか。見事に体の線は隠れている。ラヒは着替えなかったらしく、枕元に、寝間着や羽織り物を放り出したまま。
「昨夜の話はどこまで覚えていらっしゃいますか?」
「私の名が無いとは聞きました。王妃様がお亡くなりになくなったとも」
「はい。グレイチェル王妃の訃報が王宮に届いた時には、伴われておられたフィリョンカ様は既に離宮から姿を消された後で、王妃の死に際を知る者がいなかったのです」
「誰も? それは…随分ね」
「いえ。離宮に息のある者が居なかったのです」
「殺されたの…」
「はい」
「王妃様も?」
「それをご存知なのは、フィリョンカ様でしょう。王妃は患われていたと聞いています」
「待って。祖母は…そのフィリョンカ様、女王だと言ったわ。王妃? 分からないわ」
 ラヒが昨夜の家系図を再び開いてくれた。
「こちらがフィリョンカ様、二代前の王、女王です。その下に続くのが、フィリョンカ様の実子、ウドルフ国王です。線で結ばれた方はグレイチェル様、離宮で亡くなられた王妃…イヨーリカ様のご生母にあたられるかと」
「母? でも、子どもが居ないと昨夜は聞いたように思うけれど」
 イヨーリカは眉を顰めた。生母って…母は仕立て屋だったはずだ。イアからそう聴いて育った。父も然りと。
 椅子の脇に立つラヒが、向かいに両膝を着き、イヨーリカを暫く眺め回した。
「フィリョンカ様が預けた物がございますね?」
「ええ。これよ」
 一瞥して、ブローチは直ぐ返された。
「私にはこの物の真贋を見極めようもありません。ですが、フィリョンカ様がこれをお持たせになられたのなら、イヨーリカ様は血縁、グレイチェル王妃があなたをお産みになられていた、ということでしょう」
「イアは、これを父が母に贈ったと」
「では、間違いございません。グレイチェル王妃は、ご病気ではなく、ご懐妊であられた。御生れになったイヨーリカ様と行方を眩ましたのでしょう」
 家系図から目を上げ、ラヒを見た。声色が柔らか味を帯びていた。ラヒが好意を寄せてイヨーリカを見ることはなかったが、イアの、自国の女王の孫と知って、誠意を抱いたのか。瞼の周りに濃く浮かぶ、疲労の跡。その献身は淡々とした義務からなっていたが、今は、義理ではなく、自らの意思でイヨーリカへの献身が滲み出た風だ。
「フィリョンカ様の足取りは追っていたのですが、ここに来て、足跡を知ると思われる物証を持つ人物に会ったと、内密に知らせがあり、密かに迎えを送る手はずでしたが、王妃に先手を打たれ…」
 またも王妃かと、イヨーリカは家系図を見漁った。
 ラヒが感慨に耽る面持ちから一転、事実口調に変じ、指を示した。
「ウドルフ国王の隣、そう、グレイチェル王妃と対の線にある先、これがヒルダ王妃、ウドルフ国王の再婚相手です。このヒルダ王妃が、現在のヒルダ女王です」
 では、と、息を呑めば、ラヒが頷く。
「父は何故?」
 この世に父も母も居ないと教えられてきた。今更喪失感に喘ぐことも無いが、事実存在していたのだと、この世を生きた父と母がいたのだと生き様を知れば、人恋しい。亡くなるまでの存命を知れば、胸が悔やむ。何故死んだのかと。
「落馬の後、回復思わしくなく、二年後に崩御なされました。十四年前の事です」
「なら! 私は父に、父に会っていたの?」
「どうでしょうか。フィリョンカ様は帰国されていらっしゃらないかと」
 期待に火を付けたが、嘆息で封じた。ラヒが書き取ったのか、この家系図にイヨーリカへ繋がる線は無い。と、別の線を見止めた。
「これは、ヒルダ女王のお子様?」
「はい。ヨンドル王子です」
「父との間に無いわ」
「ヒルダ王妃の連れ子です」
 言い澱むラヒに含む処があると感じる。イヨーリカは、ラヒを寝台へ座るよう促した。寝る間を与えたい想いと、納得するまで聞き出したいとに、想いは交錯する。
「王妃と呼ぶのね。今は即位なさったのでしょう? 逃げるのは、この方のせいなの?」
「ヒルダ王妃の正式な即位を阻むためです」
「阻む必要があるの? それに、こんな急いでまで? 分からないわ。イア…フィリョンカ様…が関係しているの? 私は…知られていないのでしょう?」
「今は自らが女王を名乗っている状況です。急に即位式を早め、兵を動かした先が、私共の向かう方向と重なっていました。猶予は無かったのです。今もありません。イヨーリカ様の存在は、ドムトルに滞在していたサムロイ子爵からの知らせで知り、半信半疑で向かっていましたが、王妃が手を出すなら、あちらは実在を確証しているのです」
「私が問題なの?」
「フィリョンカ様が血縁をお認めになるなら、正当な後継者はイヨーリカ様です」
 イヨーリカは床に入った。もう受け付けない。訊けばそれだけ納得いかない苛立ちが募る。神経を尖らせるのもこれ以上は困難だ。
 隣でも床に身を横たえる音がする。耳にはしないが、安息の息を吐いているだろう。が、イヨーリカは目が冴えて思考が巡る。

 国の規模など想像の外にあるが、女王であった者があの慎ましい生活をこなせるものなのか。
 イアは日々を楽しんでいた。出ることを選んだなら、息子と離れてまで身を隠したなら、戻りたくないのではないか。あの日々を望んでいるのでは。
 他国で質素に身を窶したのに、何故知れたのか。母に似ているとラヒが言った。そんなにも母の顔は広まっていたのか。

「何故、探したりしたのよ」
 ラヒの寝息が流れるなら、返事を求めてはいない。
 が、イヨーリカが呟いた声に、深い嘆息が続いたかと思うと、毛布に篭る口調でラヒが返した。
「フィリョンカ様が編まれ続けたレースは、ラスワタ国の王家が紡ぐ網目です」
 イヨーリカは二つ納得した。祖母は、紛れも無く女王だった。祖母に、戻る意思があったのだと。
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