レースの意匠

quesera

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二章

三の一

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 最後の記憶は、灰色の空、濁った草色の土手、曇天を映す鈍い川面の照りを背景に、兵へ指示を示したラヒの姿。

 見覚えの無い部屋に目を覚ましたイヨーリカは、自分の気を絶ったのは兵であっても、運び込んだのはラヒであろうと、既に去ったラヒの手の名残を探るよう身を擦った。
 足を踏み入れてしまった。足掻いても事態は変わらないのだろうか。
 寝台に身を起こせば、戸付近に座る女が立ち上がる。一時、見つめあった。女は使用人らしい。直ぐにも戸へ消えて行った。
 寒々とした室内は見知る限り遥かに広い。壁は漆喰でもない。年代物のくすんだ装飾品が飾られていなければ、牢屋かと思うところだ。
 床につま先を降ろすと、ひやりと硬い床面を見て、一式が石造りなのだと理解した。
 では、部屋同様に広大な城か、或いは館に連なる塔にいるのかもしれない。
 燦々と眩しい陽光の熱を拭い取っては、室内へ爽やかな日光を送り込む窓。外を眺め降ろせば、おのずと知れた。
 眼下に広がる庭には、記憶にある正門まで、気の遠くなるくらい一直線に道が伸びている。道に切断された左右の庭は、一面一様に整い、自然の隆起も感じさせない。道は一度、四角い湖面に行き当たり、回遊して、門へと霞んでいく。やはり、道は庭の先の森も左右に分かつ。
 一色の芝生に斑な雲の影が動く。湖面の水しぶきは、光を纏いつつ、強かに湖面を打っては、泡と弾ける。整然と美しい庭。
 正門を避けたも頷ける。あの道をやってくる者は、その道中、この城から眺め続けられるのだから。
 人が住み続けた歴史が染み込んでいるこの城。ヤーシュト男爵の城で見た煌びやかな調度品も布も、この部屋を飾り立ててはない。庭に花が咲き乱れも、造形を誇る置物もこれとは目に入らないが、この広大な敷地を保つだけでそれらを遥かに上回る財力を要するだろう。

 客と扱われているとは、寝台の足元に置かれる足掛けに気づけば感じ取れる。スリッパや櫛、化粧台が揃えられているが、生きる最低限の物資が用意されていない状況からも見て取れる。外へ出る服もここには無かった。
 寝台脇に下がる紐を見た。人を呼んで暮らす境遇にあるのだ。
 化粧台の前に座る。洗髪していないが、屑一つ無い髪。頬に土埃もない。肌は汗のべとつきを感じず、爽快感の上、滑らかな潤いさえ補われている。化粧瓶を開け、機に吸い込む香りに、胃を戻した。が、吐く物がない。
 イヨーリカは、空腹だった。久しぶりの、正常な感覚。身が休まり、胃が消化力を取り戻したらしい。

 差し込む陽光が、照らす箇所を既に変えていた。先ほどの女が戻ってくる気配も無い。この寝間着でいる女に、ラヒが会いに来るとも思えない。あの戸を、この格好で抜けもできない。諦めて、紐を引いた。
 それからは、人の出入りはひきりなしに続いた。羽織物を着せられ、食事が運ばれる。
 持ち込まれた衣装とイヨーリカとを比べ眺める女に、浴室へと連れられる。熱した炭に水を掛ける女、湯を継ぎ足そうと構える女が、浴室に伴う。
 水蒸気に白む中、湯に浸った。
 甘い香りが立ち上がる湯は、とろみを含んでいるよう、肌に吸い付いてくる。湯を足す手を止め、海綿でイヨーリカを磨く女が、炭へ水を足せとの仕草で、別の女に物を言う。
 そこで、知った。会話を禁じられているのかと思ったが、イヨーリカの問いに頭を下げて閉口したのは、二人に言葉が通じなかったからだ。
 しかし、国を出た覚えは無い。窓から見えた門は、森から眺めた正門の裏側に間違いない。あの時は国を超えてなどいないと思ったが。

 イヨーリカの暮らしたヨーマ国。ラスワタ国とは隣接していない。ヨーマ国へ連なる国は二国。その内のデン国の先にある。
 進んだ道は舗装されていくでもなかったから、王都へではなく、その逆を辿ったのであろう。が、この者たちの言葉はデン国のものでもない。それなら、イヨーリカも分かる。

 イヨーリカは窓へ手を伸ばし、曇るガラスへ、ラヒが示した文字をなぞって見せた。女は読み上げた。だが、それだけで、首を傾げた。そこで声に出した。
「フィリョンカ」
 女は微笑んで、イヨーリカの腕に触れたが、首を振った。居ないということか。
「シルヴァ?」
 女は、今度は無邪気に首を振った。知らないらしい。
「ラヒ・リヨンド」
 これには、縦に首を二度振った。イヨーリカが、下を指差して頷けば、暫し考え、やはり、下を指差して頷いた。
 イヨーリカは湯から上がり、長く伸ばした指差しを、瞼に向け直して、再び告げた。
「ラヒ・リヨンド」
 女は一礼を見せた。
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