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第4章

04 拒絶

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「……え、いえ」
「何よ、そのキョトンとした顔」
「スティーリア様から、そんな言葉がでくるとは想わなかったので……俺も、反応に困って……そう、そうか」


と、彼は正気に戻ったように、視線を泳がせた。先ほどの、熱い欲望の目は何処に行ったのかというくらい、ふらふらっとした何だか芯のない、それこそ少年みたいな顔に戻ってしまった。それも、また珍しい表情だったのか、私に言われたことがあまりにも衝撃的で、事態を飲み込めていない様子だった。

 それから、暫くして整理がついたのか、私を見下ろしながらも、何処か腰低めに困り眉で私を見てきた。


「そう思わせているのなら、すみません。でも、好きな人を目の前にして、我慢できる男なんていませんよ」
「いるわよ、きっと」
「……いや、ですか?」
「いや、じゃないけど……最近、ファルクス、調子のってるから。私は、身体目当てなのかって不安に……メイベみたいな可愛いタイプの方が好きなんじゃないかって」
「この間も訂正しましたが、スティーリア様一筋です。本当に、俺、信用ないんですね」


 ぷん、といった感じに口を尖らせる彼は、何だか可愛くて。表情豊かじゃないかと思えてしまう。多分、無意識、でもそこがよくて。
 彼の少し長い黒髪に触れてみる。サラサラしてて、私よりキューティクルがしっかりしているかも知れない。艶のある黒に指を通して遊んでいたら、彼は可笑しそうに目を細めて笑っていた。


「何よ」
「いえ、可愛いなぁと思って」
「そう?」
「はい。可愛くて死にそうです」
「何それ……死にたいの? それとも私に殺されたいの?」
「……全く嫌じゃない自分がいるんですけれどね……」 


 彼がポツリ呟くと、その、馬乗りになった体勢のまま、私の耳元に口を寄せてきた。耳にかかる吐息にビクッと体を震わせて、私はギュッと目を瞑った。
 聞きたくないのに、どうしても気になって聞こうとしてしまう自分がいて。その好奇心を理性で抑えきれないくらい、何故かドキドキしている自分に戸惑ってしまう。
 彼が口を開く動作がやけに遅く感じる……スローモーションでもかかっているんじゃないかと思うほど、ゆっくりだった。そして――彼の甘い声が脳髄に響くように聞こえてきて……


「スティーリア様だけを、愛しています。貴方以外、眼中にない」
「……っ、台詞がくさい」
「何とでも、言って下さい。スティーリア様が、信じてくれるまでずっと囁きます。貴方になら殺されても良いと思える男の、戯れ言だと思ってもらっても――」


 グッと、私の手を、自分の首元に持ってきて締めさせるファルクス。目が本気で、私は、それに言葉に詰まってしまった。


「……なんて」
「ちょ……冗談でもそういう事しないでよ」
「しません。貴方が嫌がることは。スティーリア様に、死ねといわれない限りは。でも、俺が死ぬとき、貴方の一番の傷になりたい。ならないのなら、一緒に死んでください」


 そして、彼の大きな手が私の頬に添えられて上を向かされたかと思うと――今度は優しく触れるだけのキスが降って来た。私もそれを目を閉じて受け入れると、暫くして顔を離されてから見詰め合った。
 いっていることは、とてもおっかないのに、それが彼なりの愛情表現だと分かっているから、恐怖と多幸感で変になりそうだった。
 私に望まれなければ、望まない。現状で満足できる。そんな気が漂ってきて、もう少し意欲張りになってもいいと言ってあげたかった。だからか、口が動く。


「私が欲しいの? ファルクス」
「……っ、はい。スティーリア様が欲しいです」
「なら、何で強請らないの?」
「強請るとは? 俺は、十分……いや、貴方がくれるものだけで」
「そういうところよ! その、私は、ファルクスの婚約者なんだから……求められるの、嬉しい」
「いっていることが、さっきと違います。スティーリア様は、嫌がりました」
「……ファルクス、そういうところよ」


 そう言うと、彼はまた更に顔を紅潮させて……キスの嵐を降らしてきた。唇を合わせるだけのバードキスではなく、舌と舌を絡め合うような濃いもので。頭がおかしくなりそうなくらい気持ちがいいそれに、私は成すがままになってしまっていた。
 それから暫くして解放された後、お互い顔を真っ赤にして視線を泳がせた。だが、それもつかの間――ファルクスの手が私の胸に降りてきたから待ったをかける。抱き締められることにはもう慣れたが、やっぱり身構えてしまうというか。けれど、ファルクスは私の視線に気づくと手を離してしまう。


「ファルクス?」
「触れてもいいのですか」
「だから、聞かなくてもいいのよ」
「……スティーリア様に、何処まで許して貰えるか分からなくて、不安になる」
「何処までって?」


 そう聞くと、例えば――と、ファルクスは私のドレスを指した。


「スティーリア様は、露出が少ないドレスを着ます。俺のだって痕を残しても、誰も気づかないでしょう。だから、痕を付けられるのが嫌だと」
「あ、痕……っ」
「俺のだって刻みたいです。でも、スティーリア様は、嫌がるでしょう?」
「っ……」


 こんなときに、そういう顔を見せないで。私を抱くときはギラギラした目をしているのに、今は犬みたいな媚びた顔なんてして。ズルいにも程があるじゃない。そんな顔で求められたら、誰だって――私は、ギュッと拳を握り込むとゆっくりと息を吐いて心を落ち着けた。そして、彼に向かって両腕を伸ばしてみる。


「そんなことを気にしていたの。別に、ドレスはラパンが選んでくれるものを着ているだけよ。ただ、そう……露出は少ないかもだけど」
「なら、いいですか。俺が、痕を残しても」
「そう……ね。うん……」


 彼が何を遠慮しているのか分かったら、私は自分からファルクスの首に腕を絡めて抱き着いた。そして、耳に息を吹きかけながらこう囁いてやる。


「貴方になら、何されてもいいわ」
「スティーリア様?」
「ファルクスが私を欲しいと思うなら……好きにしていいのよ」


 そう言って彼の首元にキスをして見せれば、彼は目を見開いた後――グルルと地を這うような、獣のような低い唸り声を上げた。
 獰猛な欲を孕んだ瞳に見つめられて、私はドキドキして心臓が破裂しそうになったのに、彼の眼はすっと細められると、途端にいつもの様子に戻ってしまった。


(何、今の……?)


 本物の獣を前にしているようだった。私、今から殺されるんじゃないかっていう気迫。けれど、それは一瞬にして引っ込んだ。私にお構いなく、ファルクスは私の首元から唇を寄せるとチュッと吸い付いてきた。痕を残すために何度もそれを繰り返されると、その行為の擽ったさに私は声を零してしまう。


「んっ……はぁ、ふ、ファルクス……くすぐった……」
「もう少し、我慢してください」


 彼はそれからも執拗に私の首元に口づけの雨を降らせて痕を残していく。恐らくドレスでは隠し切れないものもあって、私は恥ずかしくなって彼の胸を押し返そうとするがビクともしない。本当に男の身体なのかと疑いたくなるくらい、筋肉質でしっかりとした体躯をしているから。


「す、少しは手加減してよ……あっ……」
「スティーリア様が、許して下さったので。存分に味合わせて下さい。スティーリア様を」


 間違いだった。そこまで、許した……いや、誤算というべきだろう。たがが外れたファルクスを止められないということは、もう随分と前に知っていたはずなのに、私は彼を許してしまったから。身体を暴かれそうになったとき、嫌がらなかったのも私だ。
漸く満足できたのか、ファルクスは唇を離すと今度は私の顔にキスの雨を降らしてきた。額に、頬に……そして唇に落とされるキスを私は目を瞑って受け入れると、ファルクスの手はスルリと私の太ももを撫でてきた。それに驚いて、私は飛びのきそうになったが、そんな抵抗も虚しく彼に難なく抑え込まれて動けない。


「ふぁ、ファルクス……っ」
「待たなくても、いいんですよね」
「ま、待て……は、いわないけど……んんっ」


 そのまま、ファルクスは私の太ももを何度も撫でてきていて。彼の少し高めの体温が伝わってくるようで……それだけでもドキドキしているのに、その手が時折際どいところに触れてくるから心臓がうるさいくらい忙しなく動いていた。


「ね、ねぇ……」
「はい」
「待ってほしいわけじゃないのよ? あ、貴方を拒んだりはしないわ。でも……! んぁっ!」
「どうしました?」


(なんで足ばっかり撫で回すのよ! 手つきがいやらしいわ!)


 少し身じろぎするだけで、私の胸が重力に従って揺れている。もうだいぶ馴染んできたはずのそれが妙に恥ずかしくて、私は何とか彼の手を外そうと手を伸ばした。だが、そのまま手首を掴まれてベッドに縫い付けられるように固定されると、ファルクスは私を見下ろして薄く笑った。


(……っ、な、何よ。その顔は!) 


 物凄く艶っぽい顔をしていて……夜の瞳には私が映りこんでいるのも確認できるくらいの近さで彼を見上げていた。顔に熱が集まるのを感じ、視線を逸らしたくても逸らせなくて……思わず声が出てしまった。
 でも、自分だってその先を望んでいること、疼いて仕方ないって分かっているから、私は、焦れったいファルクスにこう言ってやった。


「ファルクスが、欲しいの」


 すると、彼は一瞬だけ目を見開いて固まったあと、私の唇を塞いできた。そして、ドレスの上から胸を揉みしだいてくる。口付けの合間にくぐもった声を上げると、それに気をよくしたのか舌も使って私の咥内を蹂躙してくるからもう息継ぎさえままならなくて……でもそれすら快感に変わってきてしまう自分がいた。


(うぅ……私ってこんなに浅ましかったかしら)


 ドキドキして胸が痛いくらい高鳴っていて、身体の火照りもいつもより酷かった。それを分かっているのかいないのか……ファルクスはドレスの胸元に手をかけると、ゆっくりと見せつけるように開いていく。その光景をジッと見つめていると、ファルクスは私の肌に唇を寄せて赤い華を散らしていく。胸に、鎖骨に、喉……そして唇にまで。私はその行為すら嬉しくて愛おしく感じていたが、最後に首元へ顔を埋められたときに嫌な予感がした。
 私の勘は正しかったようで、ファルクスは突然強く吸い付いて……噛みついてきたから驚いて変な声を上げてしまった。それを満足そうに聞いた後、彼は漸く唇を離してくれたのだが、彼の唇には血が付いていたのを見て確信してしまった。


「……あ、ああ……」
「美味しいです。スティーリア様」
「……っ」


 さすがに、血の気がひく。
 わなわなと震える唇を、どうにか押さえて、私は布団にくるまった。白い羽毛が真っ赤に染まっていくのを感じた。
 首筋に歯を立てて、血を吸って……もし、彼が加減を間違えたら、私は噛み殺されていたかも知れないと。そんな想像が頭をよぎってしまったから。


「スティーリア様?」


 手が伸びてきたのが分かった。私は、何のためらいもなく、その手を払いのけた。パシンと、乾いた音が鳴り、私は、布団の隙間からファルクスを睨み付ける。


「やめて」
「す、スティーリア様、すみません、俺――」
「部屋から出て行って」
「……っ、あ…………はい……」


 布団の隙間から見えたファルクスの顔は、酷く傷ついて、後悔という言葉がそのまま貼り付けられていた。私も、いいすぎたかも知れないけれど、命の危険を感じたんだから、仕方がない……仕方がない、のよね……


(でも、なんで……)


 ファルクスは、数十秒も経たないうちに部屋から出て行った。静寂が部屋を支配し、私は最後に見たファルクスの顔を思い出す。
 彼は、ああやっぱり、受け入れてくれないんだ……って、そんなことを言いたげなかおをしていた。裏切られた、そんな重々しい感情も感じ取れて、胸の中が一気にもやっとした雲で覆われる。


(違う……違うの……そうじゃないの……)

 受け入れなかったわけじゃない。怖かったのも事実……けれど、それ以上に困惑してしまった。
 愛されているという自覚を持ってしまったから。本気で愛されて、その抱えきれないほどの愛を一気に注がれてしまいそうだったから……私には抱えきれなくて。大好きな人……だから。
 慣れていない。愛されることに、愛され続けることに。


「いいわけじゃない……馬鹿」

 それで傷付けて、誤解させて。最低だ、私は。
 言い訳だけを並べて、都合のいい解釈ですませようとして。最低。
 布団から出て、未だ出血している首を押さえる。べっとりと、赤い鉄臭い匂いが左手に付着した。


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