幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 重東が家を出たのが午前三時半ほど。そこから今井の処理に追われ気付けば午前七時を回り辺りは明るく太陽の光で輝いている。
 外には通勤通学の賑やかな声が響き、一日が動き始めているを五感を使って感じとる。


「…叶真、後は皆に任せて帰る。朝になった」


 重東は疲れた姿を見せはしないものの、部下達に疲れたよねと見えぬ圧をかけ「帰る」とは言わぬものの帰りたいからそういう雰囲気にしろと無言で命じた。
その場にいる者全員がある程度の歴で重東と絡みがあったことでその無言の先にある意図に気付き「そろそろ若はお休みになられてください」と言った。

 そうして、重東は先の言葉を叶真にかけてあたかも自分は部下にここは任せてください!と言われたから仕方なく帰るのだと小さなアピールをした。
これが重東の小さな遊びであることも全員が把握し、理解していることだからこそ苦ではない。


 重東の厳格さは同じ組内にいればわかる。裏切り者には容赦せず小指を詰めるなんて優しいものでは済まさない。
アニメやゲームのように『する』と言ってから助けに入れる間なんて用意されていない。無言でドン。それで終わる。


 流れていく景色を眺めながら、重東は考えていた。考えいるなんていってもしょうもないことで新しく得た自分の管轄のクラブの戦力がどこまで伸びるか。
どうせ、あのママのことだ。組長のこともペラペラ話したことだろう。なんていう不安とはまた違う呆れに近い考え事。
 事実、ママと呼ばれる存在である山吹が重東の父と昔からの繋がりがあり贔屓にしている理由も守りたい店として囲っている理由、その全てを重東も知っている。


「……不快だなぁ、組長おやじ父親おやじにはなれないのに」


 車に乗り込んでから一時間。
やっと仕事が終わり、午前八時を回って嫌でも眩しい太陽に包まれる。
 マンションの入り口、エントランスホールに入る手前に叶真は車を停めて重東にお疲れさまでした若。と挨拶をし、次の仕事は何時からで都合が合うようでしたら一報頂けますと幸いです。と頭を下げた。
重東は、ん。とだけ返事をし鍵を差し込むと開くタイプの自動ドアを越えてエレベーターへと向かい自身の住む宏臣が待つ階へと向かった。

 叶真は重東がエレベーターに乗り扉が閉まる瞬間に左手を下に手を組んだことを確認し再度車に乗り込み、速度やガソリンの残量のパラメーターが着いている窪みに付けられたスマホを差し込み立てられるスタンドにいれてある携帯の電源を入れ、先ほどまで重東や叶真がいたあの廃工場の中にいる部下の一人に電話をかけた。
 数コールで出た部下に叶真は淡々と笑うことなく告げた。


「…今井はもうバラシていいや、治験に送れる身体があれば送ってあげて、後は安かろうが売れるだろ。結果だけメールで送っておいて、画像を忘れずに」


 重東の本性を知っている叶真は容赦しない。左手を下に手を組むという動作は重東の癖で『もう要らない』という合図になる。合図があったらもう顔も合わせないから好きにしていいという解釈で何年も来ているので叶真の選択肢は正しいと言える。


 要は叶真は汚れ仕事の責任者ということだろう。



 エレベーターが目的の階に到着したことを告げるベルを鳴らす。ゆっくり開いて、広々とした渡り廊下。
本来であれば階ごと、廊下にならぶ扉は各々が別の人間の部屋であるべきなのだが、ワンフロア全てが重東の持ち部屋である事実は静かで生活音すらなにもしないことで証明される。

 たった一つの部屋の扉へ躊躇なく向かい、カードキーを差し込めばガチャンと解錠される。
行く前に宏臣がここで扉に当たっていたな、なんて考えながら開いた扉の先にいたのは。

 玄関で倒れる宏臣の姿。

 嫌な記憶がブワッと脳内を駆け巡り、無言で震える手を使いながら脈を確認すればとくんとくんと安定した心地よいリズムで生を刻む。
ただ、寝ているだけだとわかった瞬間に身体から吹き出す脂汗が止まった気がした。


 遠く昔の記憶、霞んだ記憶の向こうに幼い重東が泣いていて父親である豪我に対し決別を言い放つ。
近くにあるのは、眠ったようにもう目を開けてはくれない重東の大切で何よりも一番に愛していた人。
 重東に『重』という名前をくれた人。会いたくてそれでも手が届くことの無かった。


「………ヒロはまだ母さんのようにはなってない、大丈夫。壊さないように、優しく……愛してい、れば………」
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