幸福奇譚

安馬川 隠

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本編

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 宏臣が目覚めたのは、それから何時間も寝てから。
何故だか途中身体がふわりと浮いたような感覚がしたが夢で空でも飛んでいたのかもしれない。

 広いベッドの真ん中で重東に抱き締められたまま。

 記憶に残る夢の中での出来事で寝汗が気持ち悪い。
コンビニでいつものように働いて朝の六時に交代し帰路につく最中、突然知らない人に囲まれてなにかを嗅がされたことで意識が消えた。真っ黒な視界がゆっくりと明けたかと思えば知らない空間で知らない人に何かを言われて……逃げたくて暴れていたら何かを注射されて……

 ただ本能的に感じる恐怖に身体が鳥肌のまま、汗をかきすぎて震えが止まらない。
怖くて今すぐにでも重東を起こして悪夢を見たから慰めてほしいと言えれば気持ちも楽になるかも知れないのに。


 何故だか夢の中で自分に注射をした知らない人と重東が同じ匂いだったことが、重東を信じきれない理由になった。


 汗をかきすぎた為に喉が渇いた宏臣としては水を飲みに隣のリビングに行きたい。けれどその気持ちを遮るのは重東の堅く抱き締められた腕。
 ゆっくり抜け出すように腕の隙間を潜り抜けると、抱き締められていた所が温かみを失い汗も空気に触れて冷たくなる。

 余程疲れていたのだろう。重東が起きる気配は全く無かった。

宏臣はリビングに動き、冷蔵庫から市販で見るペットボトルの水を取り出して食事をした時と同様の椅子に座る。立って飲めば良いのに何故か夢に影響されているのか、上手く立っていられなかった。


ゴクッ……ゴクッ……


 冷たい水が喉を通り食道に流れていくのがわかる。熱いものの時もわかる時があるが、冷たいものが流れる感覚は清涼感を感じどこか爽快感すらある。

 目が覚めてしまったなぁ、なんて宏臣は考えながらも夢がどうにも夢で無い気もしてもう一度目を閉じることが怖くなる。どうしたものかと考えてみても無理に寝ることは出来なかった。



 何分経っただろう。
静かな部屋、テレビも点けず電気も目が完全に覚めないよう点けずにいた部屋の隣。先程まで宏臣が重東に抱かれ寝ていた寝室から音がした。
寝返りでもうったのだろうか、と気軽に思った矢先。怒号に近い重東の宏臣の名前を呼ぶ声に、宏臣は自身の夢が夢で無いことを確信した。

 夢の中で何かを注射される直前、暴れる宏臣を押さえ付ける為の怒号にその声が似すぎていた。
それにあの夢が夢で無い、現実だったというのが分かった瞬間、記憶が失くなったことの説明が重東のした説明より断然筋が通ってしまう。

 夢なのに痛みや感覚まであったのだ。受けた恐怖の一部ですらも今も鮮明に覚えている。

 逃げないと、そう思えば思うほどに足はすくんで動けない。音は着々と此方に向かっているというのに。
抑えきれない涙が零れて、腰が抜けたように椅子から少し離れた壁に背をつけしゃがみこむ。


「……ヒロ?泣いてるの?ヒロが居なくなったと思って……ビックリしたよね?ごめんね」


 気配も足音も来ているとわかっていても逃げられない。そう諦めがつけば零れる涙を拭う以外動く気力も起きなくて。
先程までの怒号とはまるで別人の優しい声。テーブルに置いてある飲みかけの水。すぐに逃げたわけではなく、ただ水を飲みに起きただけだと把握できたはず。
更にいえば怒号で泣いているだけだと思われれば平穏に収束するのではないか。宏臣の考えは宏臣の生死を別ける選択。


「……思い出したんだよね?俺を見て手が震えてる。薬が効いてた時は怖くても震えは無かった。どこまで覚えててどこまで忘れてるのかな。俺に抱かれたことは?俺のことは嫌い?まぁ拉致監禁犯を好きになるのはまだまだ先かな……おいで?大丈夫。殺したりはしない、愛しているからね。死ぬほど気持ちいいことしかしないから」


 重東は宏臣の無意識の違いに気付いて薬の効果は既に弱まっていることに気付く。その一時的かもしれない薬の効果の弱体化は重東としては想定外。
普段、その薬を打つ際は最大量。確実に人間が廃人となりただの息をして心臓が動くだけの人形になる量しか扱いが無かった。
重東としては宏臣も別にそうなっても構わないとは思っているが、帰りたいごめんなさい帰してと騒ぎ暴れる宏臣を見てイラつきで衝動的に黙らせるために打った薬。興奮状態で致死量になっては困ると加減したが故に起きていたイレギュラー。

 重東の言葉を信じ恋人のように接した、セックスをした一日は確実に存在する。

 泣きながら怖いと震える宏臣の手を引き、最初とは違う無理やりベッドへと引き込めば重東は慣れた手付きで宏臣を完全に拘束してみせた。
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