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わたしだって恋をする。

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『当機は間もなく着陸態勢に入ります。皆様、いま一度シートベルトを——』

 耳がキーンと詰まる痛みは、何度経験しても慣れるものではない。たった一時間弱の飛行時間とはいえ、狭い機内は相変わらずの満席で息苦しい。

 行き先が南の島でのバケーションとか、美食三昧の旅だったら、ワクワクが先で痛みも不快感もすべて吹き飛んでしまうのかも知れない。けれども、目的地では間違いなく説教が待っている。それを思うと、胃まで痛くなってきた。

 何を言われるのか——頭ごなしに怒鳴られる程度ならまだマシか。

 お腹空いた——無理にでも何か口にすればよかった。

 空港からとんぼ返りしたい——できるわけないよね。

 ああ——いやだ。面倒くさい。

 頭の中でブツブツと毎度おなじみの文句を並べている間に、機体は無事、北の大地へ降り立った。

 珍しいことに昨夜専務は実家から呼び出され、そのままお泊まり。待ちに待ってやっと手に入れた自由時間。今夜こそアニメの続きを観るぞ、と、パソコンの電源を入れたところで、またしても入った邪魔は、父からの帰還命令だった。

 清香は、食事やホテルの奢りに恩義を感じ、おとなしく黙っているような性格ではない。専務とわたしの関係を知ったからには、帰宅後、即、両親に喋る。絶対に有る事無い事尾鰭を付けて得意満面に無茶苦茶な報告をする。それを聞いた両親が、わたしに何も言ってこない方が不思議というもの。

 呼び出しまでにこれだけの時間を要したのは、少々意外ではあったけれど——ろくな話にならないことだけは請け合いだ。

 父からの呼び出しを拒絶する術はない。けれども、せいぜい一泊、できれば日帰り長居は無用。そうと決まれば、ため息をついている暇はない。出発は早朝。フライトの予約を取り準備を終えたら速攻就寝する以外になかった。

 わたしだけの自由時間は、いったいいつになったら確保できるのか。

「そうだ、専務に連絡……」

 もうじき九時になる。休日とはいえ、そろそろ起きる頃だろう。通路を歩きながら短いメッセージを打ち、出口へ向かう。

「優香! こっち!」

 十メートルほど先の柱の脇で、姉の遙香はるかが手を振っている。

「お姉ちゃん、どうしたの?」
「迎えに来たに決まってるでしょう?」
「……わざわざ来なくてもいいのに」

 到着時刻の連絡を入れてはいたが、まさか迎えに来るとは。実家へ行く前にお茶でも飲んで、心の準備をしたかったのにそれすら許されないってこと。まるで連行される囚人。行き先は、取調室か、はたまた、法廷だろうか。

「車、待たせてるから」

 足早に先導する姉を追いかけ表へ出ると、目の前に見覚えのない白い四駆が停まっていた。

「よぉ!」

 運転席から顔を覗かせたのは、幼馴染みの『ケンちゃん』だ。

「ケンちゃん、車、変えたんだ?」
 ——相も変わらず、お姉ちゃんのシモベやってるのか。

「そう。いいだろ?」
「ほら優香! 早く乗って」
「……うん」
 ——まったく。このふたりは……。

 ケンちゃんは、ずっと姉に片思いをしている。その執着——間違い、愛は、海よりも深く山よりも高く。平たく言ってしまえば、年季の入ったストーカーのようなものなのだけれど。

 現在に至るまで、姉のケンちゃんへの仕打ちは、理不尽のひと言に尽きる。

 幼い頃、ケンちゃんの苦手分野はすべて、姉の得意分野だった。芋虫毛虫蚰蜒蛙、逆上がりに木登りと、次々嗾けられては泣かされていたのに、どんなに虐められ傷だらけになっても、懲りずに姉の後を追いかけた。

 大人になればなったで、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、恋多き女——わたしがその原因の一端を担っていた自覚はあるが——である姉が、いつかは自分に振り向いてくれると信じ、友人の位置をキープしたまま貼り付いている。もちろん、そのケンちゃんを姉が利用しているのも承知の上で、だ。

 ケンちゃんの健気さに同情した周囲は当然姉を諫めるが、何を言われても当人は何処吹く風で聞く耳持たず。いまとなってはもう皆が、ケンちゃんに同情はするものの、諦めの境地でふたりの行方を見守っている有様だ。

 けれども——姉の心の奥深くに仕舞い込まれたケンちゃんへの愛を、わたしは知っている。

 わたしの暴露という最悪の形で始まったふたりの付き合いも、もう二十年。いつの頃からか芽生えた姉のその想いは、一見奔放だがその実、石橋を叩いた挙げ句に割ってしまうほど慎重な性格も相俟って、すっかり歪んでしまった。

 虐め続け振り続けた挙げ句、いまさら手のひら返して素直になるなんて、そうそうできることじゃない。

 ケンちゃんには気の毒だが、彼の踏ん張りに期待をするしかないのだ。

 あと一歩。ほんの一押し。頑張れケンちゃん。


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