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わたしだって恋をする。
捌
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「専務? 専務ってつまり、あんたの上司の専務? 西園寺グループの御曹司のあの専務?」
「ちょっとお姉ちゃん! 声、大きい」
「あ、ごめん……」
驚きのあまり大声を上げた姉が、気まずそうに周囲を見回し、背を丸めた。
「私それ聞いてない」
「え? 清香から聞いてたんじゃないの?」
「聞いたならちゃんと覚えてるわよ、清香じゃあるまいし」
清香は同居の相手が専務であることを告げていないらしい。清香のことだから、何かしら意図があるのだろうけれど——
「ああっ!」
——もしかして?
「なに?」
うっかり叫んでしまった。あからさまに向けられた周囲の目が痛い。
「あ、ごめん」
「なによ? あんたまで大声出して。びっくりするじゃない!」
「いや、ごめん。で、あのさ、もしかしたらだけど……あの子、あいつが専務だって知らないのかも」
「へ? 知らない? どうして?」
「言ってない。少なくともわたしは……」
記憶をたぐってみれば、わたしはあいつを専務だと紹介していない。あいつも自分が専務であることを知らせなければ、というより仕事の話にでもならなければ、わざわざ自分の役職を明かすような人ではないし。
清香は思い込みが激しい。なんでも自分の都合良く想像して突っ走る。本気で怪しい金持ちの男だと思い込んでいても何ら不思議はないわけで。
「あーそれありだわ。清香だもん。あの子、いつだってひとの話なんて聞いてないし、ましてやちょっと調べるなんて絶対にしないしねぇ」
なるほど清香の勝手な作り話に焚き付けられた父が暴走するはずだ。
「それでさ、話は戻るけど。あんたマジ? マジで専務と同棲してるの?」
そんなに驚くことじゃないでしょう、と言いたいけれど、わたしはちんくしゃ眼鏡ブスと後ろ指を指され続けた喪女。相手は今をときめく大企業一族の御曹司。わたし自身だって驚いているのだ。姉が驚くのも無理はない。
「うん。同居してる」
「あんた、専務の愛人なわけ?」
「一応婚約者って言われてるけど?」
——恋人のひとりもいないのに愛人って発想が……わたしの評価はその程度。
「は? 婚約? 嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。専務が宣言したし専務のご家族も知ってる」
——何でそうなったのかは、甚だ疑問だが。
「マジで? じゃあ、騙されてるって話は……」
「うーん、少なくとも騙されてはいないんじゃない?」
——何か企みがあるのかも知れないけれど。
「あの専務だったら上流階級のお嬢様を選り取り見取りでしょ? 選りに選ってなんで平凡な庶民のあんた……」
「さあ? そこは専務に訊かないと」
——そういうあなたも平凡な庶民でしょ。
「手当たり次第つまみ食いし放題とか?」
「それは……無いんじゃない? あいつ、超が付く女嫌いだし」
——つまり、わたしは女にカテゴライズされていないってこと。
「じゃあ、飽きられたらぽいって話は?」
「どうだろう? そこは否定できないかな」
——ホント、専務は何を考えているんだろうね?
苦笑してまだ何かあったかなと考え込む姉に、こちらこそ訊きたい。
「ねえ、お姉ちゃん、清香はわたしと専務のことなんて言ってるの?」
「えっと、それは……」
姉は口籠もり眉を顰めた。その様子を見れば、わたしに聞かせられないような酷いことを清香が言っていたのであろうことは容易に想像できる。それにしても。
「清香が家のみんなに何を言ったかなんて大体想像つくけどさ。いきなり電話してきて人を罵倒した挙げ句、夕飯だけじゃなくて宿まで集って——しかもね、専務がわざわざウチのホテル取って送っていったのよ? そこまでしてもらって好き勝手言ってるんだから、ああいう子だってわかっちゃいるけど、ホント、言葉も無いわ」
おまけにわたしを捨てて清香に乗り換えろと専務に迫っただなんて、姉に言ったらどうなることやら。
清香はわたしと姉とではその態度を変えるところがある。
我が家での姉の立場は強い。ふらふらしているようでその実、生真面目で堅実な姉は、長女という期待も相俟って、両親に厚く信頼されている。
清香にはその確固たる立場からの小言に逆らう力はなく、せいぜい陰で両親に泣きつき、慰められるのが関の山。しかし、わたしが間に挟まるとなれば、事情が変わるのだ。
わたしを悪者に仕立てた清香は、わたしの背に隠れ、わたしを矢面に立たせる。そして、わたしだけがお説教の集中砲火を浴び、清香にはおいしいところだけが転がり込む。
末っ子らしい要領のよさと言ってしまえばそれまでだが、小さい頃から泣けば許して貰え欲しがれば与えられるのだと、覚えさせてしまったわたしたちにも責任の一端がないとは言えなくもない。
だからといって、大人と言える歳になってまで、そんな甘い考えが通用すると思っている清香には、呆れるだけなのだが。
これからそこへ飛び込むわたしがその余波をもろに受けるとなれば、呆れている場合ではない。逃げたい。
「ちょっとお姉ちゃん! 声、大きい」
「あ、ごめん……」
驚きのあまり大声を上げた姉が、気まずそうに周囲を見回し、背を丸めた。
「私それ聞いてない」
「え? 清香から聞いてたんじゃないの?」
「聞いたならちゃんと覚えてるわよ、清香じゃあるまいし」
清香は同居の相手が専務であることを告げていないらしい。清香のことだから、何かしら意図があるのだろうけれど——
「ああっ!」
——もしかして?
「なに?」
うっかり叫んでしまった。あからさまに向けられた周囲の目が痛い。
「あ、ごめん」
「なによ? あんたまで大声出して。びっくりするじゃない!」
「いや、ごめん。で、あのさ、もしかしたらだけど……あの子、あいつが専務だって知らないのかも」
「へ? 知らない? どうして?」
「言ってない。少なくともわたしは……」
記憶をたぐってみれば、わたしはあいつを専務だと紹介していない。あいつも自分が専務であることを知らせなければ、というより仕事の話にでもならなければ、わざわざ自分の役職を明かすような人ではないし。
清香は思い込みが激しい。なんでも自分の都合良く想像して突っ走る。本気で怪しい金持ちの男だと思い込んでいても何ら不思議はないわけで。
「あーそれありだわ。清香だもん。あの子、いつだってひとの話なんて聞いてないし、ましてやちょっと調べるなんて絶対にしないしねぇ」
なるほど清香の勝手な作り話に焚き付けられた父が暴走するはずだ。
「それでさ、話は戻るけど。あんたマジ? マジで専務と同棲してるの?」
そんなに驚くことじゃないでしょう、と言いたいけれど、わたしはちんくしゃ眼鏡ブスと後ろ指を指され続けた喪女。相手は今をときめく大企業一族の御曹司。わたし自身だって驚いているのだ。姉が驚くのも無理はない。
「うん。同居してる」
「あんた、専務の愛人なわけ?」
「一応婚約者って言われてるけど?」
——恋人のひとりもいないのに愛人って発想が……わたしの評価はその程度。
「は? 婚約? 嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。専務が宣言したし専務のご家族も知ってる」
——何でそうなったのかは、甚だ疑問だが。
「マジで? じゃあ、騙されてるって話は……」
「うーん、少なくとも騙されてはいないんじゃない?」
——何か企みがあるのかも知れないけれど。
「あの専務だったら上流階級のお嬢様を選り取り見取りでしょ? 選りに選ってなんで平凡な庶民のあんた……」
「さあ? そこは専務に訊かないと」
——そういうあなたも平凡な庶民でしょ。
「手当たり次第つまみ食いし放題とか?」
「それは……無いんじゃない? あいつ、超が付く女嫌いだし」
——つまり、わたしは女にカテゴライズされていないってこと。
「じゃあ、飽きられたらぽいって話は?」
「どうだろう? そこは否定できないかな」
——ホント、専務は何を考えているんだろうね?
苦笑してまだ何かあったかなと考え込む姉に、こちらこそ訊きたい。
「ねえ、お姉ちゃん、清香はわたしと専務のことなんて言ってるの?」
「えっと、それは……」
姉は口籠もり眉を顰めた。その様子を見れば、わたしに聞かせられないような酷いことを清香が言っていたのであろうことは容易に想像できる。それにしても。
「清香が家のみんなに何を言ったかなんて大体想像つくけどさ。いきなり電話してきて人を罵倒した挙げ句、夕飯だけじゃなくて宿まで集って——しかもね、専務がわざわざウチのホテル取って送っていったのよ? そこまでしてもらって好き勝手言ってるんだから、ああいう子だってわかっちゃいるけど、ホント、言葉も無いわ」
おまけにわたしを捨てて清香に乗り換えろと専務に迫っただなんて、姉に言ったらどうなることやら。
清香はわたしと姉とではその態度を変えるところがある。
我が家での姉の立場は強い。ふらふらしているようでその実、生真面目で堅実な姉は、長女という期待も相俟って、両親に厚く信頼されている。
清香にはその確固たる立場からの小言に逆らう力はなく、せいぜい陰で両親に泣きつき、慰められるのが関の山。しかし、わたしが間に挟まるとなれば、事情が変わるのだ。
わたしを悪者に仕立てた清香は、わたしの背に隠れ、わたしを矢面に立たせる。そして、わたしだけがお説教の集中砲火を浴び、清香にはおいしいところだけが転がり込む。
末っ子らしい要領のよさと言ってしまえばそれまでだが、小さい頃から泣けば許して貰え欲しがれば与えられるのだと、覚えさせてしまったわたしたちにも責任の一端がないとは言えなくもない。
だからといって、大人と言える歳になってまで、そんな甘い考えが通用すると思っている清香には、呆れるだけなのだが。
これからそこへ飛び込むわたしがその余波をもろに受けるとなれば、呆れている場合ではない。逃げたい。
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