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§ 墨に近づけば黒くなる。

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「叔母さんもお婆ちゃんと一緒に病院に居るの?」
「え? 私? 違うのよ。さっき春ちゃんから電話もらって……。私はねえ、今日はお友だちと三人で駅前のホテルのランチバイキングに来てるのよ。それでね……」

 叔母に連絡したのは、隣に住む叔母の同級生の春子小母さんか。

「春小母ちゃんは、お婆ちゃんと一緒なのね?」
「え? ああ、春ちゃんが救急車呼んでくれたんだって。それで一緒に病院へね……」

 なるほどそういうこと。父が仕事の平日日中は、実家で祖母がひとりきりのため、隣家の春子が常々祖母を気遣ってくれている。
 この叔母よりも隣人の春子のほうがよほど信頼できるのは、なんとも情けない話ではあるが、その春子が祖母に付き添ってくれていると聞き、少しだけ安堵した。

「わかった。お父さんには連絡したの?」
「兄さん? もちろんしたわよ! したけど、電話に出ないのよ。兄さんったら肝心なときになにやってんのかしら?」
「わかった。お父さんには私から連絡するから。小母さんもすぐに病院に行くんだよね?」
「あたりまえでしょう? なに言ってんの? だいたいあんたはねえ」

 事情はわかった。もうこのひとの無駄話に、付き合っている必要は無い。

「私もいますぐ病院へ向かうから。切るね」

 強引に電話を切った。辺りが静かになったとたん、携帯電話を握りしめている自分の手が震えているのに気づく。
 仕事はどうしよう、早く病院へ行かなければ。ぼんやり考えていると、背後から温かい腕に肩を抱かれた。

「大丈夫か?」
「……うん」
「行くぞ」

 尊が私の腕をつかんだ。

「えっ? どこへ?」
「病院だろ。一緒に行く」
「尊も? だって、仕事は?」
「ひとりで行かせられるわけがないだろう?」
「で、でも……」
「いいから。宗田! あとは頼む」
「ああ、わかってる。こっちは気にしないで早く行け」

 宗田に指示を出す尊の冷静な声が耳に響く。動向を窺うようにこちらを見つめていた若手ふたりも、宗田の言葉に無言で頷く。

「車取ってくるから、下で待ってろ」

 部屋を出て行く尊の後ろ姿を唖然と見送る私に、皆が大丈夫だから心配するな早く追いかけろと励ましてくれる。握りしめていた携帯電話をバッグの中に収めると、すみません行ってきます、とオフィスを出た。

 正面玄関で尊を待っている間に父に電話をし、叔母から聞いた内容を告げる。
 叔母の電話が父に繋がらなかった理由は簡単。やはり、どうせろくな用事ではないだろうと、通話を拒否していたという。
 気持ちはよくわかる。私だって同じことを考えた。
 私も病院へ行く旨を伝えると、父もこれからすぐに向かうとの言葉とともに、康子の言うことは当てにならない、ばあさんは絶対に大丈夫だから安心しろと慰められた。

 車に乗り込み、道案内をカーナビに任せ、尊の運転で病院へ急ぐ。
 時折駆けられる言葉に短く返事をしつつも、どこか上の空で現実感が無い。まるで、夢の中をふわふわと漂っている気がした。

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