そんなの、知らない 【夫人叢書①】

六菖十菊

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知れば、知られる

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休日の朝、侑梨はコーヒーショップにいた。
普段は来ないこの地区はビジネスマンが多く、誰もが他人に無関心だ。それでいて忙しない。
家に1人でいても昨日のことを思い出して居心地が悪く、人のいる場所にいたかった。この無関心な雑踏が心地いい。
昨日のことを整理する。
あの年間貸切のVIPルームがマウロのものなら、思っている以上に日本にいるのかもしれない。スイートルームも予約するのに何故なんだろうとは思うけれど、お金持ちは結構よくわからないお金の使い方をする。それで片付けよう。
次にマウロに会うにはどうすればいいだろう。
出来ればあの部屋で会いたくはない。恐らく、昨日のマウロの私への邪な行為は実際誰でも良かったのだろう。
そういう人なのだ。だからこそ、あの部屋で会うのは良くない。
と、そこで目をつけたのが今週行われる別ホテルであるパーティだ。そこにマウロも招待されている。
なぜ、知っているかと言うと、あの部屋に招待状があったからだ。
部屋観察と泣いて帰っただけではないのだ。偉いぞ!と自虐気味に自分を称える。
昨日のパーティをすっぽかしたのだ。今回は流石に出席するだろう。でもドレスも招待状もない私は出入口で待つしかない。
裏口とかないよね…。
よくあるスパイ映画ではドレスを纏いピストルを隠し持ち颯爽とパーティに登場する。
…私は出来てホールスタッフね。
セキュリティ的にもまず無理だし、万が一会社にも迷惑はかけられない。
「侑梨ちゃん?」
その言葉に衝動的に振り返った。綺麗なスーツ姿のその人はこの7年間ずっと心の支えだった人にそっくりだった。
「…櫂さん?」
信じられず、疑問形になる。心は櫂さん!櫂さん!と叫んでるけど頭では会えるなんて夢みたいなこと…夢なのかな?…やっぱり夢だよなんて考える。
侑梨、自分に甘い考えはダメだ!…でも…持ってるコーヒーカップもじんわり暖かい。
寝ててこんなに心臓バクバクなら私、死んじゃうかも。
「久しぶりだね」
櫂さんの優しい声が心に染みる。私の記憶の櫂さん語録にはない言葉だ。やっぱり現実なのだろうか?
隣いいかな?と座る彼からは爽やかな朝の森のような香りがした。
彼が少し戸惑いを見せた。何を口にしていいか、あぐねているようだった。私は口早に先制を勝ち取った。
「櫂さん、お久しぶりです!会えて嬉しいです。父の葬儀から…7年ですね。長いようなあっという間ですね」
無理に明るく努めると、声が少し高く大きくなる。冷静にゆっくりと。あまり大袈裟にしちゃダメだ。
笑顔の私に彼は話題を変えたようだ。
「びっくりしたよ。こんな所で会うなんて。ここら辺で働いているの?」
きっと櫂さんは父が亡くなってからの私の境遇を心配してくれていたんだと思う。でも、心配されたくなかった。それなりに幸せに暮らしていたんだと思われたい。
「はい。あっ、いいえ」
つい考えながら答えてしまって曖昧になってしまった。
櫂さんは「ん?」という顔をしている。
「今日は仕事が休みで、いつもと雰囲気が違う所でお茶がしたいなと思ってゆっくりしていたんです。櫂さんはこれからお仕事ですか?」
どう見ても高そうな時計や綺麗なスーツを着こなす彼はそうだろう。けど、質問されるより、質問攻めでここはやり過ごしたい。…あれほど会いたかった人なのに、会うのか苦しいなんて、嘘の仮面を被らないといけない自分の心情がよく分からない。
これからお客様の所へ行く予定らしい。次の質問を繰り出す前に彼に仕事を聞かれてしまった。
「東菱ホテルのレストランのフロアスタッフをしているの。忙しいけれど、楽しいわ」
「櫂さんのお仕事は?」
あんな状態で仕事がなくなり、あれから7年。今この状態を見る感じでは彼の実力は相当なのだろう。どんな仕事をされていても幸せに暮らしていてくれたのなら、これ以上の幸せはない。けれど、彼は少し言いにくそうに答えた。
「俺は沢城さんの作った会社を引き継いでる。沢城さんの地盤や時代の流れの先にいた沢城企画を買収した今のマウロ社とは雲泥の差だけどね」
…当時、誰もが父から離反しマウロ社についた。噂では重大な情報が父から流れて父の信用は潰えたというものだった。葬儀の時に聞いた噂話だ。その中で彼はなぜ、そこまでしてくれたのか…マウロ社と競うことは1匹の蝶が北を目指すようなものだ。そこは凍てつく死しかない世界。この仕事がしたければマウロ社で働くことも出来たはずだ。なのに…
「…なぜ…」
「俺は澤城さんを尊敬してた。40歳の若さで亡くなられなければもっと…」
「澤城さんは今はライバルみたいに思ってるよ。俺も36歳だ。絶対に超えなきゃ欲しいものは手が入らないって…そう自分に言い聞かせて奮い立ってきたようなものかな」
この人はまだ父を語ってくれるのか。もう…父や母の話ができる相手はいないのだと思っていた。
櫂さんは自分語りが恥ずかしかったのか話題を変えた。
「君は今幸せ?」
真剣な表情だった。
「えぇ」
穏やかに答える。
「…本当に?」
更に詰め寄られる。
「本当に」
本当だ。7年の間、確かに櫂さんは私に気にかけてくれていた。父を想ってくれていた。それだけで救われる。
それはとても私を幸せにした。
そうか。と席を立つ櫂さんに私も声をかけた。
「櫂さんも幸せ?」
彼は、あぁと微笑んだ。
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