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空漠の知悉
130_沙織_
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私は忙しい。
トップ交代をしてから、どこかの誰かさんは一気に減速した。……少し安心した。
櫂の仕事の仕方はゴールのないマラソンの様で
いつか倒れるのではないかと思っていた。
今は忙しいながらも仕事以外にも目を向けれている。
今日はアンニュイ風に黄昏ている。
こんなことを思いたくないが、少し艶っぽい。
100%、彼女のことを考えているのだろう。
……侑梨さんのいるマンションを見つけ出す為、
何かしら工作をしていたが……分かり易い。
彼女と進展があったのだろう。
私には関係ないが。
──午前中の仕事を終わらせて一息つけたのは夕方だった。そこに櫂が帰ってくる。
朝の彼とは別人のように沈んでいる。
なぜか手にはパン屋の紙袋。
100%彼女が関係している。
溜息を吐く。
「お腹空いたわ」
紙袋を渡される。
イタリアンベーカリーのパンだわ。
チェレアリバケットを丸かじりする。
あら美味しい。
なぜか代官山まで行って買ったパンは手付かず。
今も上の空だ。
バカね。
「──侑梨と本当に終わりそうだ」
「聞いてないわ」
「聞いてくれ」
そう言うから黙って待つが沈黙が続く。
「私、忙しいの」
「──好きな人の価値観と合わない時どうする?」
「付き合わないわ」
「そうだよな」
「でも仕事なら相手の価値観を優先するわ」
「なぜ?」
「大事だからよ。私の命」
「……自分の常識範囲外のことでも?」
「自分の常識に価値なんてないわ」
「矜恃も保てない」
「そんなモノ、大事なものの前では無意味だわ」
「俺だって大事だ。俺の全てだ……そう思ってるのに侑梨の価値観を優先できない──俺は彼女を愛してないことになるんだろうか?」
「相手が間違っていると思うなら正せばいい。けれど、価値観に正解はないわ。どれだけ、お互いが相手を思いやれるかそれが全て」
「ヤツは侑梨の気持ちを優先させたのに……」
俺ではヤツを超えられないのかと嘆く。
「今はね」
「永遠に──かも」
「会社では向上心のない社員はいらないわ。与えられた仕事以上の仕事が出来て初めて認められる。与えられた仕事内の事しか出来ないのならトップなんて望まず永遠に下っ端をしていたらいいわ」
「沙織、仕事で例えるのをやめてくれ」
「分かりやすいでしょう?」
ソファに寝転び顔を腕で隠す。
「櫂。その仕事を請け負った場合のデメリットと断った場合のデメリットを考えなさい」
「断ればもう侑梨と会えない」
「そうね。私なら二度と頼まないわ。頼んでも、重要な案件は頼まない」
「侑梨はマウロのものだ」
「一社の独占でしょうね。介入は弱小企業にはほぼ不可能。もし仮に大企業が自滅したとしてもその案件がこちらに回るかは営業努力次第だけれど、それも出来ないのなら完全に手を引くしかない」
「──その仕事を請け負っても弱小企業は大企業には永遠に勝てないさ」
「さっき言ったわ。向上心なき者は去れ」
遂に櫂は黙った。
「私たちの仕事で一番大変な事はわかっているでしょう?」
「……クライアントの望みを知ること」
「そうね。なんでもいい、任せると言ったクライアントほど、後からイメージと違うとかクレームが多い。私たちはクライアントの望みを感じ取り、聞き出さなければならない。その意味で言えば、侑梨さんは自分から要望を伝えるタイプではないわ。その侑梨さんの要望を感じ取り聞き出したのだとしたら、マウロは貴方より格が上よ」
「あぁ」
無言かと思ったけれど、返事を返す。
「けれど──あの時、侑梨さんがマウロを取ったと思った時……お互い慰めようと持ち掛けたのに貴方は結局、慰めを必要とせず独り苦しむことを選んだ。
侑梨さんを諦めれば貴方はこの先愛を得る機会は一生来ないかもしれない。安息が訪れるとも思えない。それなら侑梨さんの条件をのむ方がよっぽど建設的だわ」
ソファに寝転んでいた身体を起こし深い溜息を吐く。
「そうだな……」
髪を掻き上げ向けた顔に決意が見えた。
「だけど、愛しているからこそ許せないこともある
──侑梨の条件を受け入れることは出来ない。
安息が訪れず、愛を得られなくても──その先の孤独を選ぶ」
以外だった。櫂は最後には絶対に侑梨さんを選ぶと思っていた。
「侑梨さんがそれを望んでいるのに?」
「──侑梨にはマウロがいる」
テーブルの上のパン粉を払いゴミ箱に捨てる。
「……代官山のイタリアンベーカリーのパンを買いに行った貴方の安直さを私は評価してる。分かり易い答えは
ダイレクトに相手に伝わる。問題を複雑にすれば本質が見えなくなる」
けれど、その以前に。
「クライアントの望みを知っている気になっていることほど愚かなことはないわ。大事なことなら何度も煮詰めて話し合うことが重要よ。そうすれば最悪、クライアントの要望に応えることが出来なかったとしても満足されるクライアントもいらっしゃる」
小さく頷く彼にもう一言付け加える。
「私のクライアントは自分の本当の望みを自覚しているのかしら?相手の本質も大事だけれども、自身の本質を理解しなければ質の良い明日は得られない」
「沙織は自分の本質を理解しているのか?」
彼の質問にそうねと肯定する。
「俺には侑梨も沙織も、女の本質はさっぱり分からない」
「それはそれで正解だわ。女心と秋の空、女心は猫の目なんて諺がある様に移り気なのも一つの本質よ」
お手上げのポーズを取る彼にしょうがないのでもう一つアドバイスをする。
「大事なのはタイミングよ。貴方と侑梨さんは7年間音信不通だった。あの時、コーヒーショップで出会ったのを偶然と取るか、神の采配と取るかは自分次第」
「……沙織は神を信じるのか?」
バカな質問だわ。
私は忙しいのでこれを最後にしよう。
「そんなの知らない。女は信じたいものを信じるのよ」
トップ交代をしてから、どこかの誰かさんは一気に減速した。……少し安心した。
櫂の仕事の仕方はゴールのないマラソンの様で
いつか倒れるのではないかと思っていた。
今は忙しいながらも仕事以外にも目を向けれている。
今日はアンニュイ風に黄昏ている。
こんなことを思いたくないが、少し艶っぽい。
100%、彼女のことを考えているのだろう。
……侑梨さんのいるマンションを見つけ出す為、
何かしら工作をしていたが……分かり易い。
彼女と進展があったのだろう。
私には関係ないが。
──午前中の仕事を終わらせて一息つけたのは夕方だった。そこに櫂が帰ってくる。
朝の彼とは別人のように沈んでいる。
なぜか手にはパン屋の紙袋。
100%彼女が関係している。
溜息を吐く。
「お腹空いたわ」
紙袋を渡される。
イタリアンベーカリーのパンだわ。
チェレアリバケットを丸かじりする。
あら美味しい。
なぜか代官山まで行って買ったパンは手付かず。
今も上の空だ。
バカね。
「──侑梨と本当に終わりそうだ」
「聞いてないわ」
「聞いてくれ」
そう言うから黙って待つが沈黙が続く。
「私、忙しいの」
「──好きな人の価値観と合わない時どうする?」
「付き合わないわ」
「そうだよな」
「でも仕事なら相手の価値観を優先するわ」
「なぜ?」
「大事だからよ。私の命」
「……自分の常識範囲外のことでも?」
「自分の常識に価値なんてないわ」
「矜恃も保てない」
「そんなモノ、大事なものの前では無意味だわ」
「俺だって大事だ。俺の全てだ……そう思ってるのに侑梨の価値観を優先できない──俺は彼女を愛してないことになるんだろうか?」
「相手が間違っていると思うなら正せばいい。けれど、価値観に正解はないわ。どれだけ、お互いが相手を思いやれるかそれが全て」
「ヤツは侑梨の気持ちを優先させたのに……」
俺ではヤツを超えられないのかと嘆く。
「今はね」
「永遠に──かも」
「会社では向上心のない社員はいらないわ。与えられた仕事以上の仕事が出来て初めて認められる。与えられた仕事内の事しか出来ないのならトップなんて望まず永遠に下っ端をしていたらいいわ」
「沙織、仕事で例えるのをやめてくれ」
「分かりやすいでしょう?」
ソファに寝転び顔を腕で隠す。
「櫂。その仕事を請け負った場合のデメリットと断った場合のデメリットを考えなさい」
「断ればもう侑梨と会えない」
「そうね。私なら二度と頼まないわ。頼んでも、重要な案件は頼まない」
「侑梨はマウロのものだ」
「一社の独占でしょうね。介入は弱小企業にはほぼ不可能。もし仮に大企業が自滅したとしてもその案件がこちらに回るかは営業努力次第だけれど、それも出来ないのなら完全に手を引くしかない」
「──その仕事を請け負っても弱小企業は大企業には永遠に勝てないさ」
「さっき言ったわ。向上心なき者は去れ」
遂に櫂は黙った。
「私たちの仕事で一番大変な事はわかっているでしょう?」
「……クライアントの望みを知ること」
「そうね。なんでもいい、任せると言ったクライアントほど、後からイメージと違うとかクレームが多い。私たちはクライアントの望みを感じ取り、聞き出さなければならない。その意味で言えば、侑梨さんは自分から要望を伝えるタイプではないわ。その侑梨さんの要望を感じ取り聞き出したのだとしたら、マウロは貴方より格が上よ」
「あぁ」
無言かと思ったけれど、返事を返す。
「けれど──あの時、侑梨さんがマウロを取ったと思った時……お互い慰めようと持ち掛けたのに貴方は結局、慰めを必要とせず独り苦しむことを選んだ。
侑梨さんを諦めれば貴方はこの先愛を得る機会は一生来ないかもしれない。安息が訪れるとも思えない。それなら侑梨さんの条件をのむ方がよっぽど建設的だわ」
ソファに寝転んでいた身体を起こし深い溜息を吐く。
「そうだな……」
髪を掻き上げ向けた顔に決意が見えた。
「だけど、愛しているからこそ許せないこともある
──侑梨の条件を受け入れることは出来ない。
安息が訪れず、愛を得られなくても──その先の孤独を選ぶ」
以外だった。櫂は最後には絶対に侑梨さんを選ぶと思っていた。
「侑梨さんがそれを望んでいるのに?」
「──侑梨にはマウロがいる」
テーブルの上のパン粉を払いゴミ箱に捨てる。
「……代官山のイタリアンベーカリーのパンを買いに行った貴方の安直さを私は評価してる。分かり易い答えは
ダイレクトに相手に伝わる。問題を複雑にすれば本質が見えなくなる」
けれど、その以前に。
「クライアントの望みを知っている気になっていることほど愚かなことはないわ。大事なことなら何度も煮詰めて話し合うことが重要よ。そうすれば最悪、クライアントの要望に応えることが出来なかったとしても満足されるクライアントもいらっしゃる」
小さく頷く彼にもう一言付け加える。
「私のクライアントは自分の本当の望みを自覚しているのかしら?相手の本質も大事だけれども、自身の本質を理解しなければ質の良い明日は得られない」
「沙織は自分の本質を理解しているのか?」
彼の質問にそうねと肯定する。
「俺には侑梨も沙織も、女の本質はさっぱり分からない」
「それはそれで正解だわ。女心と秋の空、女心は猫の目なんて諺がある様に移り気なのも一つの本質よ」
お手上げのポーズを取る彼にしょうがないのでもう一つアドバイスをする。
「大事なのはタイミングよ。貴方と侑梨さんは7年間音信不通だった。あの時、コーヒーショップで出会ったのを偶然と取るか、神の采配と取るかは自分次第」
「……沙織は神を信じるのか?」
バカな質問だわ。
私は忙しいのでこれを最後にしよう。
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