朽ちる聖森 婚約者を喪い、役立たずと森に追い出された王妹は、前魔王の世話をやく

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洗濯物を取り込み、彼女は吹いた風に髪をあおられて、目を細めた。

「今日はいいお天気だったわ、洗濯物も綺麗に乾いた」

彼女はそう言って柔らかく笑う。その顔に今でもにじむ痛々しさは、大切な婚約者を喪った結果なので、どうにもぬぐえないものだった。

「イデオンさんはこの城に滞在するのかしら、そうしたら何かおもてなしの料理を厨房に頼まなくては……でもおもてなしの料理と聞いて、困ったわ、私何も思いつかない」

彼女がそう言い、髪を抑えて周りを見回した時だ。
彼女の耳に、何か子供の悲鳴に似た声が届いたのは。

「子供の声だわ、泣いている?」

もしかして、道に迷った子供が、魔物に狙われて逃げまどっているのでは。
そう思うといてもたってもいられず、パルミラはぱっと駆けだした。
そしてすっかり慣れた城の通路を進み、厨房の衣類かけにひっかけていた長いマントを羽織り、そのまま城の勝手口から城の外に飛び出した。
そうやって急いで、声のする方向を確認し、そちらに向かうと、子供が一人、必死に茨の垣根を越えようと血まみれになって足掻きながら、泣いていた。

「たすけて、おかあちゃん! おとうちゃん! ごめんなさい、もう聖なる森に近付いたりしないから!!! たすけてえええ!! うええええええん!」

「大丈夫!?」

パルミラは子供がまだ無事だという事を確認し、結果的に肌身離さず持っていた短剣を使い、茨を切り開こうとした。

「今助けてあげる、城の中に来れば安全だわ!!」

「ふぇ……?」

子供はそんな女の声が聞こえるなんて思わなかったのだろう。涙にぬれた瞳でこちらを見て、それから目を丸くする。
それも簡単な理由で、パルミラが茨を切ろうと取り掛かった瞬間に、その茨がしゅるしゅると身を引き、子供が一人通れるくらいの通路を作ったためだ。

「こっちですよ!」

パルミラはそう言って子供に手を伸ばした。子供は相手が魔物かもしれない、と思ったかもしれないが、背後から迫って来る何か恐ろしい物よりはまし、と思ったに違いなかった。
そのため、泣きじゃくりながら、彼女の腕の中に飛び込んできた。
そうすると、茨はまた、通路だった場所をふさいでしまう。
子供を追いかけて来ていたのは狼に似た魔物だったようで、きゃんきゃんと吠えながらも、茨をかき分けて追いかけてこようとはしなかった。
パルミラは泣きじゃくる子供を抱えて、全力で城の中に飛び込んだ。

「大丈夫ですか?」

「お、おねえちゃんはだあれ」

「私はパルミラ、ここのお城に滞在している、その……旅人よ」

なかなか苦しい言い訳だったものの、子供はそれを信じた様子だった。
目を丸くして、城の中を見回している。

「このお城は、何のお城なの……?」

「とても親切なお方が、暮らしているお城なの。失礼な事を言ったりやったりしてはだめよ」

「おねえちゃんもここの人に助けられたの?」

「ええ、行き倒れになる所だったのを助けていただいたの」

パルミラが事実を言うと、子供はそれに納得した様子で、ほっと肩の力を抜いたため、パルミラは子供の顔の傷を見た。
茨でひっかいたものの、そこまでの傷にはなっていない。

「あなたの傷の手当をしなくてはね。そうだ、ここで見たものを、あんまりたくさんの人にお話しないでもらえる? ここのお城の持ち主のお方は、騒がしい事があまり好きではない様子だから」

「うん」

ここに入ってきても、誰も人がいない事から、子供もそれを察した様子だ。こくりと頷いた子供を見て、パルミラは棚に言った。

「手当の道具を一式出していただけるかしら、子供が怪我をしているの」

彼女が棚に言うと、棚の扉が開き、手当の道具が一式あらわれる。
子供はそれを見て、大きく目を見開き叫んだ。

「魔法の力だ、おねえちゃんの嘘つき、僕を食べるつもりなんだ!」

「人間なんて食べて何がおいしい。馬鹿かおまえは。食べるなら猪の方がうまいだろうが」

子供が叫んだ時、その子供をぽかり、と誰かが小突き、呆れた声で事実を告げた。
それを聞き、子供が背後を見ると、そこにいたのは屈強な男だった。色の濃い肌、見事な銀の髪、そして人間には太刀打ちできないほど整った顔立ち、それからこうこうと赫く瞳である。
色々な意味で人間離れしたその男は、叫ばれて困った顔をしたパルミラに、呆れた声で言った。

「お人よし、城の結界が動いたと思えば、子供なんぞ助けて」

「だって、私と同じように、獣に追われていたのですよ? 助けなくてどうするんです」

「勝手にしろ、その代わり庭園に入れるなよ、庭園に入る人間はお前ひとりで十分だ」

「イデオンさんはお帰りになりましたの?」

「夕飯の時間まで、城のあちこちを見て回ると言ってきかないものだから、勝手にさせている」

イオがそう言った時、子供が叫ぶ事を辞めて、恐る恐る問いかけた。

「あんちゃん、魔物なの」

「魔物かもしれないしそうでないかもしれないな、ただ一つ言えるのは、人間は食べないという事実だ。おれは人間は好かない」

とりあえず、食べられないという事は理解したらしい。子供はあからさまにほっとした顔をした。それは子供にとって大事な問題だったに違いなく、その危険がないというだけで、安心するものだったに違いない。

「あんちゃんは子供を食べない?」

「食べないに決まっているだろう、子供なんか食べて何がいいんだ。それにパルミラは人間だぞ、人間が人間を食べるなんて、飢饉の酷い時だろう」

「私も食べませんよ」

子供が涙をぬぐって瞳を瞬かせた時、イオは問いかけた。

「子供、一体どうして聖なる森に入り込んだりしたんだ」

「……僕、拾われっ子なんだ」

「だからどうした」

イオは子供が座る椅子の脇の椅子に座り、話を聞く構えだ。
パルミラは子供の脇に座り、子供の顔をぬぐい、手当てを始める。
手当を素直に受けながら、子供は言った。

「皆にからかわれて、仲間外れにされて、……仲間外れが嫌なら、聖なる森に入って水を汲んで来いって言われて」

「とんだ嫌がらせだな」

イオが呆れた声で言い、子供は不思議そうにイオを見た。

「子供の足で、森の川だの泉だのに入れるほど、この森の獣も魔物も甘くない。その村の子供たちはお前を殺したかったんじゃないのか」

「そ、そんなわけない!」

殺されるほど嫌われているわけがない、と子供は声を張り上げた。その声がうるさかったのか、イオが顔をしかめた物の、それに対する苦情は言わなかった。

「で、水場を探して迷って、獣に追われてここに来たというわけか、子供」

「僕は子供って名前じゃ」

「いい事を教えてやる。魔の者に名前を教えるのは、命をとられること以上に危険な事だ、魔の者は名前を聞きたがるが、教えてはいけない。ひとたび教えれば、体を支配され、操り人形にされるかもしれないぞ。だからおれにお前は、名前を教えちゃいけない、おれも子供を操る趣味はないから、聞きたくもない、分かったな」

「あら、私の名前は聞いたでしょう」

「お前はたとえ名前を聞いても、支配できないと判断しての事だ。お前の力は想像以上だからな」

「あらそうでしたの」

パルミラは初めて聞いた事であるため、目を瞬かせた後、子供の顔に軟膏を塗った。

「これであらかたの手当は終わりましたよ、あなたが村に帰れるようにしてあげたいのだけれど、私もこのあたりの地形はさっぱりわからないの」

「おれはこの城から離れられないしな」

「そうなのですか?」

「この城は魔の国と女王の国の国境線だ、ここを出たらおれは侵入者だ、そんな真似をしたくない」

「では、私の部下に送らせましょう。子供を送り届けるなんて言う善行でしたら、私の部下も喜んで行ってくれるでしょう」

イオとパルミラが顔を会わせた時、割って入ったのはイデオンだった。

「イデオン、お前はそれでいいのか」

「ええ、今度女王の国に挨拶をしに行く時に、よい話題になりますし」

穏やかな顔で言うイデオンを見て、子供が恐る恐る聞く。

「あんちゃんも魔物?」

「まあ失礼ですね、私は魔族、魔物よりは人の話が分かるものです」

優雅な一礼は、子供が見た事のない仕草だったようだ。眼を瞬かせた子供が、そっと言った。

「僕、ちゃんと家に帰してもらえるの?」

「帰すために相談していたのでしょう?」

人当たりのいい顔をするイデオンを見て、それからパルミラを見て、最後にイオを見て、子供は安心したらしい。

「……早く帰りたい」

「でしょうね、こんな不思議な城より、家の方がずっと安心できますとも。さてでは、私の烏に道案内をさせましょう」

「……少し待て」

イオが何か思いついたらしく立ち上がり、さっと立ち去り、そしてすぐに戻ってきた。
手には艶やかな薔薇の枝が握られている。

「水はくませられないが、この薔薇の枝をやろう。病んだ森の奥に入った印だ。この薔薇は不思議な薔薇で、水の入った花瓶にさしておけば、季節になれば花が咲く珍しいものだ。これを持っていれば、子供たちに、嘘つきと言われないだろう」

「あんちゃん、そんないい物くれるの」

「欲しくないならやらない」

「欲しい!」

子供が手を伸ばしたため、イオがその薔薇を握らせる。

「それにその薔薇は、魔物を遠ざける力もある。覚えていて損はないだろう」

「なるほど、その薔薇を持たせていれば、私の部下たちは、道案内だけに集中できるというわけですね」

イデオンが頷き、こう言った。

「従兄上は、本棟に子供という物に弱い」

「子供は大事にするものだろうが」

「そうおっしゃると知っていましたよ、私も」

「そのままでは持ちにくいでしょう、このリボンを巻いてあげましょう」

棘のある薔薇を持つのは面倒だろう、そう思ったパルミラは、子供に渡す薔薇に、自分の髪をまとめていたリボンを巻いた。

そして子供は、城の入り口で待っていた、金色の首飾りをつけた烏に案内されて、城から去って行った。

「……パルミラ」

イオが不意に、彼女の腕をつかみ問いかけた。

「好きなだけ、この城にいていいんだぞ」

「ええ、好きなだけ滞在させていただきますよ」

何をいまさら、そう思った彼女に、イオがためらいがちに言った。

「ここで一生を終えても、おれは迷惑ではないからな」

「ありがとうございます、でも、あなたに迷惑はかけられませんから」

「パルミラ」

イオが違う、そうじゃない、と言いたげに言う。

「お前が望むままに、生きてくれ、命の恩人殿」
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