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スナゴと質問
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来たら来たで、対応する、他に解決策らしき物を思いつかなかった村の狗族たちが各々家に戻り、夕餉の支度に入る。
と言っても米を炊くのが一番うまい婆さんは、それらを見越して先に話し合いの輪を抜け、米を焚いていたのだからさすがだ。
「ちょうどできたよ、一番おいしい時に食べな」
婆さんは今日も頼もしい、そんな事を雄たちが口々に言いながら、村の共同のかまどで、これまた村全員が食べる分の米が、おひつに配分されていく。
家族の人数が多い家はそこそこの物、人数の少ない家は少なめ、と量は決して平等ではないのだが、これでいいのだと皆思っていた。
家族が多い家がたくさん食べるのは当たり前だし、だいたいにおいて食べ盛りを何匹も抱えた家の子供が空腹なんて、かわいそうだ。
村の狗族の共通認識である。
スナゴも大体似たような考えなので、自分が一人暮らしという事もあって、おひつに入れられるご飯が少なくても、文句を言ったりはしない。
食べきれなければ、冷蔵庫などの保管場所がないこの村ではあっという間に物が腐る。
食べ物を腐らせるなど論外、と村で暮らして学んだスナゴは、食べきれる分でいいのだ。
ほかほかのご飯に今日誰かが捕まえた魚、誰かが育てている薬草の汁物。
村の住人のご飯は大体メニューも同じだ。
「にしても、意外だ」
スナゴは今日の話し合いの事を思い出し、意外だったな、とやはり思った。
トリトン先輩が過激な事を言わなかった、と言うのがその中身だ。
都の住人に関して、とても不愉快な思いをした彼が、また新たに都の住人が押しかけて来た時の対応を、来た時に決めると言ったのは思わぬことだった。
即座に追い出す、何て言わなかったのだから。
それとも、トリトン先輩には何か予想している事があるんだろうか……
あいにくスナゴはそこら辺はわからない。何しろトリトン先輩の生きてきた常識が、完全にスナゴと一致するかと言えば、答えはいな、だからだ。
ツーと言えばカーなんて世界ではないので、相手のことが完璧に読めるわけじゃない。
一人、一番小さな竪穴式住居でご飯を食べていた彼女は、入口の簾の方から誰かの気配を感じた。
誰だろう。
彼女は振り返って、見た事のない男がそこに立っていたため、目を瞬かせた。
誰だろう、と思ったのはおかしい事じゃない。
だって、本当にその男が誰なのか、スナゴにはわからなかったのだから。
「誰?」
村の誰もが嗅覚の鋭い森狼族である。よそ者が縄張りに入ってきた時点で通達が回るし、それが怪しい相手だったら、村の入り口のあたりに罠が仕掛けられる。
それを突破してくる間に、だいたい騒ぎが起きるはずだ。こんな夜中に入ってきたら。
なのにそんな音は一つもしなくて、住人が来訪者に対して何も対応していない。
それは一体どういうことだ、と半ば混乱しつつ、スナゴはじりじりと後ずさった。
誰だかわからない、正体不明の男は誰だって怖い。年頃の女だったら余計に怖い。
そして相手は、彼女の問いかけに答えないのだから、おっかなさは一層増した。
「ねえ、誰なの?」
スナゴは大声をあげられなかった。いきなりそこに現れた、正体不明の狗族への恐怖だったのか、その狗族の迫力に声が出て来なくなったのか。
本人もわからなかったが、とにかく大声は出なかった。
「どこからきたの」
トリトン先輩、アシュレイ、誰でもいいから助けに来て! ここ入口一つしかないんだよ!
スナゴはかなり混乱していた。そんな彼女を見て、男が困った顔になる。
困った顔になる、という事は、スナゴを困らせたくなかったのか。分からない。
だがその顔に、彼女への害意は感じ取れなかった。
「そんなに怯えられると困るんだけどよ」
どうすりゃいいんだかちっともわかりゃしねえ、と男がトリトンによく似た喋り方で言った。
そのざっくばらんとした言い方は、トリトンに本当に似ていた。
だが、トリトンはスナゴより年下の、成長期がまだ来ていない小柄な体の、少年なのだ。
こんなしっかりとした体格の、いかにも年頃の雄、と言った雄ではない。
何でこんなにそっくりなしゃべり方の雄が、いきなりここへ現れた。
似ていれば似ているだけ、混乱は増加した。
スナゴはひっと小さく息を漏らし、またじりじりと後ずさる。
「あんたにひどい事するつもりじゃねえんだよ、……そんな怯えられるとも思ってなかったけどな」
その雄は、なんだかどこかで見たような緑の眼を、困ったと言いたげに細めた。
悪さするつもりじゃないの?
そう言えば相手は、簾の境界線から、一歩も足を踏み入れてない。家の中に入ってこようとするそぶりもない。
「一個だけ聞きたくて来たんだ」
「こ、答えたら帰ってくれるの」
「ああ、もちろん」
断言した言葉に偽りはなさそうで、スナゴは後ずさるのだけはやめた。
そして話を聞くか前に入ると、その男は思わぬ事を言った。
「トリトンのことが好きか?」
「は? え? そりゃあ好きだよ、嫌いなわけないじゃない」
いつだって頼もしくて頼りになって、大きな口で笑ったり怒ったりする、スナゴの大好きな先輩だ。何で好きか嫌いか聞かれるんだ。
男の真意がわからないでいた彼女に、男は満足そうにうなずいて、言った。
「それはよかった、聞きたかったのはそれだけさ、じゃあな」
「え、ちょっと、待って! なんでそんな当たり前の事聞くの!?」
男はそのままどこかに行こうとしたので、スナゴは訳が分からなさ過ぎて立ち上がった。
その背中を追いかけて、服の裾でも掴もうとしたのに、男は振り返って軽く微笑み、こう言った。
「怖がってたらいやだな、と思って気になって眠れなくなったのさ」
え、なにそれ、と追加の質問をしようとしたスナゴだったが、びょうと強い風が簾を思い切り揺らし、それが顔にぶつかった彼女は目を閉じた。
そして次に目を開けた時、男は影も形もなかった。
空の月は明るくて、人間のスナゴでも村の中くらいだったら多少は見えるくらいだったのに、男の影一つ、なかったのだ。
まるでそんな男はいなかったように。
「……いったい……」
呟くスナゴの若干荒れた髪の毛を、風が揺らすばかりだった。
と言っても米を炊くのが一番うまい婆さんは、それらを見越して先に話し合いの輪を抜け、米を焚いていたのだからさすがだ。
「ちょうどできたよ、一番おいしい時に食べな」
婆さんは今日も頼もしい、そんな事を雄たちが口々に言いながら、村の共同のかまどで、これまた村全員が食べる分の米が、おひつに配分されていく。
家族の人数が多い家はそこそこの物、人数の少ない家は少なめ、と量は決して平等ではないのだが、これでいいのだと皆思っていた。
家族が多い家がたくさん食べるのは当たり前だし、だいたいにおいて食べ盛りを何匹も抱えた家の子供が空腹なんて、かわいそうだ。
村の狗族の共通認識である。
スナゴも大体似たような考えなので、自分が一人暮らしという事もあって、おひつに入れられるご飯が少なくても、文句を言ったりはしない。
食べきれなければ、冷蔵庫などの保管場所がないこの村ではあっという間に物が腐る。
食べ物を腐らせるなど論外、と村で暮らして学んだスナゴは、食べきれる分でいいのだ。
ほかほかのご飯に今日誰かが捕まえた魚、誰かが育てている薬草の汁物。
村の住人のご飯は大体メニューも同じだ。
「にしても、意外だ」
スナゴは今日の話し合いの事を思い出し、意外だったな、とやはり思った。
トリトン先輩が過激な事を言わなかった、と言うのがその中身だ。
都の住人に関して、とても不愉快な思いをした彼が、また新たに都の住人が押しかけて来た時の対応を、来た時に決めると言ったのは思わぬことだった。
即座に追い出す、何て言わなかったのだから。
それとも、トリトン先輩には何か予想している事があるんだろうか……
あいにくスナゴはそこら辺はわからない。何しろトリトン先輩の生きてきた常識が、完全にスナゴと一致するかと言えば、答えはいな、だからだ。
ツーと言えばカーなんて世界ではないので、相手のことが完璧に読めるわけじゃない。
一人、一番小さな竪穴式住居でご飯を食べていた彼女は、入口の簾の方から誰かの気配を感じた。
誰だろう。
彼女は振り返って、見た事のない男がそこに立っていたため、目を瞬かせた。
誰だろう、と思ったのはおかしい事じゃない。
だって、本当にその男が誰なのか、スナゴにはわからなかったのだから。
「誰?」
村の誰もが嗅覚の鋭い森狼族である。よそ者が縄張りに入ってきた時点で通達が回るし、それが怪しい相手だったら、村の入り口のあたりに罠が仕掛けられる。
それを突破してくる間に、だいたい騒ぎが起きるはずだ。こんな夜中に入ってきたら。
なのにそんな音は一つもしなくて、住人が来訪者に対して何も対応していない。
それは一体どういうことだ、と半ば混乱しつつ、スナゴはじりじりと後ずさった。
誰だかわからない、正体不明の男は誰だって怖い。年頃の女だったら余計に怖い。
そして相手は、彼女の問いかけに答えないのだから、おっかなさは一層増した。
「ねえ、誰なの?」
スナゴは大声をあげられなかった。いきなりそこに現れた、正体不明の狗族への恐怖だったのか、その狗族の迫力に声が出て来なくなったのか。
本人もわからなかったが、とにかく大声は出なかった。
「どこからきたの」
トリトン先輩、アシュレイ、誰でもいいから助けに来て! ここ入口一つしかないんだよ!
スナゴはかなり混乱していた。そんな彼女を見て、男が困った顔になる。
困った顔になる、という事は、スナゴを困らせたくなかったのか。分からない。
だがその顔に、彼女への害意は感じ取れなかった。
「そんなに怯えられると困るんだけどよ」
どうすりゃいいんだかちっともわかりゃしねえ、と男がトリトンによく似た喋り方で言った。
そのざっくばらんとした言い方は、トリトンに本当に似ていた。
だが、トリトンはスナゴより年下の、成長期がまだ来ていない小柄な体の、少年なのだ。
こんなしっかりとした体格の、いかにも年頃の雄、と言った雄ではない。
何でこんなにそっくりなしゃべり方の雄が、いきなりここへ現れた。
似ていれば似ているだけ、混乱は増加した。
スナゴはひっと小さく息を漏らし、またじりじりと後ずさる。
「あんたにひどい事するつもりじゃねえんだよ、……そんな怯えられるとも思ってなかったけどな」
その雄は、なんだかどこかで見たような緑の眼を、困ったと言いたげに細めた。
悪さするつもりじゃないの?
そう言えば相手は、簾の境界線から、一歩も足を踏み入れてない。家の中に入ってこようとするそぶりもない。
「一個だけ聞きたくて来たんだ」
「こ、答えたら帰ってくれるの」
「ああ、もちろん」
断言した言葉に偽りはなさそうで、スナゴは後ずさるのだけはやめた。
そして話を聞くか前に入ると、その男は思わぬ事を言った。
「トリトンのことが好きか?」
「は? え? そりゃあ好きだよ、嫌いなわけないじゃない」
いつだって頼もしくて頼りになって、大きな口で笑ったり怒ったりする、スナゴの大好きな先輩だ。何で好きか嫌いか聞かれるんだ。
男の真意がわからないでいた彼女に、男は満足そうにうなずいて、言った。
「それはよかった、聞きたかったのはそれだけさ、じゃあな」
「え、ちょっと、待って! なんでそんな当たり前の事聞くの!?」
男はそのままどこかに行こうとしたので、スナゴは訳が分からなさ過ぎて立ち上がった。
その背中を追いかけて、服の裾でも掴もうとしたのに、男は振り返って軽く微笑み、こう言った。
「怖がってたらいやだな、と思って気になって眠れなくなったのさ」
え、なにそれ、と追加の質問をしようとしたスナゴだったが、びょうと強い風が簾を思い切り揺らし、それが顔にぶつかった彼女は目を閉じた。
そして次に目を開けた時、男は影も形もなかった。
空の月は明るくて、人間のスナゴでも村の中くらいだったら多少は見えるくらいだったのに、男の影一つ、なかったのだ。
まるでそんな男はいなかったように。
「……いったい……」
呟くスナゴの若干荒れた髪の毛を、風が揺らすばかりだった。
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