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外伝~女帝の熊と悪役令嬢~
迎え入れられるという事
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「泣く事などないであろう? それともそんなに、不安かえ? よしよし、知らない土地に一人きりなんてものは、意外と不安になるものだろうよ」
頭を撫でる優しい手。抱きしめてくださる、温かい柔らかな体。
「姫と仲の良い侍女あたりがいたならば、一人二人、一緒に連れてきたのだけれども。キンウが姫の事を聞いた折に、姫と仲の良い侍女がいないと言っていたから、一人で連れてきてしまったのだよ。そんなに泣くと、目から銀が溶けて出てしまうぞえ?」
「普通溶けないだろうよ」
「たとえじゃ。おうおう、こんなに泣いて……そんなに心細いかえ? はよう、イル・ウルスが呼び戻せればいいのじゃが」
「あれなら、メダルの魔法を使っただろうよ。イリアスが使う時特有の、ちょっとばかり普通はありえない波動を感じたからね」
キンウ様が肩をすくめて笑っている。
女帝陛下がそれを聞いて、ふむ、という。
「イル・ウルスの力の使い方は、どこか根本的に変じゃからのう……どうしてあれで、何も問題がないのやら」
「たぶんあれだよ、あれ。体が異常に頑丈なのと、マダラの血と加護、それから相棒である殺幸の剣との共鳴の合体系だね。私も大概変な事繰り返したけれど、イリアスと同じだけの事はまだだからね」
「ほんにわらわの子供は、愚かというかなんというか……あれはもう性分か病気だのう」
「本当にそうだろうね。……さて、女帝。姫が驚いているよ。それと彼女に命名辞典でも貸してあげたらどうだい。あれがこっちに転移して、二日くらいは気絶しているはずだからね。その間に名前を決めてもらおう」
「おお、そうじゃのう。待っておれ、姫」
言ってわたくしの体を離した女帝陛下が、本棚からひょいと厚い本を差し出してくる。
命名辞典と、書いてあった。バスチアの公用語と同じ単語だから、おそらくわたくしでも読めるでしょう。
「これを一回、自分の事を念じながら思い切り開いてごらん」
「あの……」
「これはよくある、帝国の命名方法なんじゃ。名前を付ける対象を念じて、命名辞典を開く。そこで一番に目に飛び込んできた名前が、その対象の名前になる、というのう」
「だから帝国では、名前と性別が一致しなかったりするんだよ」
キンウ様が笑いながら付け加えてくださる。
わたくしは膝の上に本を置き、自分の事を考えてみた。
わたくし。わたくし……
そして、数分念じてから、思い切り開いて、ばっとそこの見開きを見る。
目に飛び込んできた名前は……シグナス
「シグナス……」
「おや」
「また男の子みたいな名前だね」
女帝陛下もキンウ様も顔を見合わせたけれど。
突然、二人そろって笑いだした。
「あの……?」
笑いものにされる名前ではないし、お二人は馬鹿にして笑う方じゃないのにどうしてかしら……
と思っていたら。
「まさかのまさか」
「祝福を意味する、男の名前の中ではめったに付けられない最上級の名前だとは」
と言って笑っていたのだ。
どうしてそういう風に笑って下さるというのか。
そんな、本当にいい名前を手に入れたような、眼差しを向けてくださるのか。
分からなさ過ぎて、わたくしが途方に暮れていると女帝陛下が笑顔のまま答えてくださる。
「すまなんだのう、姫。シグナスは、この南方世界のとても古い、南方神話の中に出てくる、とある数奇な運命をたどった男の名前なんじゃよ」
「そうなんですか?」
「ああそうだよ。とても不幸な境遇だったのに、自分で運命を切り開いて、つぎつぎにすべてから祝福されるように、幸せになった伝説の男の名前でね」
「以来その名前自体が、祝福を意味するようになったという」
二人が交互に説明してくださる言葉。わたくしは泣き出しそうになってしまった。
祝福なんて、わたくしには一番縁どおいのに。
「祝福……そんなもったいない」
「おやまあ、この姫君は、わらわの義理とはいえ息子で、おそらく南方世界で一番いい男を婚約者にしておきながら、祝福がないと?」
からかう調子の、女帝陛下だけれども、わたくしはそんなつもりではないのです。
「こんな赤い髪で……目の色で……こんな美しくない、顔で」
やせぎすの体で。祝福の文字がとても薄っぺらくはありませんか。
うつむいたわたくしに、キンウ様が近付いてくるのは足音の違いで分かった。
キンウ様の足音は、とても軽い、鳥の足音の様なステップをしていらっしゃる。
「自分に自信を持ちなさいな。少なくとも、あなたは誰でもない、あの、女の好みが意味不明なイリアスに、間違いなく選ばれたのだから」
「……周囲の誤解のせいで……」
少なくともわたくしは、そう聞いている。侍女たちが蔑むように笑いながら言っていた。
イリアス様が、面白がってわたくしに構うから、彼はお父様に勘違いされてしまって婚約を結ばされたのだと……言っていたのに。
まるでキンウ様は、イリアス様が自分からわたくしを選んだように言うのね。
「違うよ。あれはいらない女だったら、どんな美女だって突っぱねるし、場合によっては自分の領域から蹴りだすよ。あいつは獣みたいなものでね、縄張りに入れるのは、自分が選んだ相手だけなんだ」
「まあ生きてきた年数のかなりの割合を、獣として生きてきた奴だからのう」
女帝陛下もそんな事を言って同意している。
……わたくしは、まさか。
「イリアス様に、選ばれたというの……?」
震えた声で疑問を投げかけてしまったわたくしに、二人が微笑む。
「いやだわ、この子。最初からそう言っているのに。どんだけ幸せになれなかったの?」
「これから、皆で幸せを教えればよかろう。わらわは可愛らしい嫁過ぎて、猫かわいがりしてしまわないか不安ぞえ」
「っ……」
ぼろりとこぼれた両目の涙。喉からせりあがってくる言葉としては機能しない、声。
わたくしのそんな、無様なさまを二人が笑ってみてくださっていた。
頭を撫でる優しい手。抱きしめてくださる、温かい柔らかな体。
「姫と仲の良い侍女あたりがいたならば、一人二人、一緒に連れてきたのだけれども。キンウが姫の事を聞いた折に、姫と仲の良い侍女がいないと言っていたから、一人で連れてきてしまったのだよ。そんなに泣くと、目から銀が溶けて出てしまうぞえ?」
「普通溶けないだろうよ」
「たとえじゃ。おうおう、こんなに泣いて……そんなに心細いかえ? はよう、イル・ウルスが呼び戻せればいいのじゃが」
「あれなら、メダルの魔法を使っただろうよ。イリアスが使う時特有の、ちょっとばかり普通はありえない波動を感じたからね」
キンウ様が肩をすくめて笑っている。
女帝陛下がそれを聞いて、ふむ、という。
「イル・ウルスの力の使い方は、どこか根本的に変じゃからのう……どうしてあれで、何も問題がないのやら」
「たぶんあれだよ、あれ。体が異常に頑丈なのと、マダラの血と加護、それから相棒である殺幸の剣との共鳴の合体系だね。私も大概変な事繰り返したけれど、イリアスと同じだけの事はまだだからね」
「ほんにわらわの子供は、愚かというかなんというか……あれはもう性分か病気だのう」
「本当にそうだろうね。……さて、女帝。姫が驚いているよ。それと彼女に命名辞典でも貸してあげたらどうだい。あれがこっちに転移して、二日くらいは気絶しているはずだからね。その間に名前を決めてもらおう」
「おお、そうじゃのう。待っておれ、姫」
言ってわたくしの体を離した女帝陛下が、本棚からひょいと厚い本を差し出してくる。
命名辞典と、書いてあった。バスチアの公用語と同じ単語だから、おそらくわたくしでも読めるでしょう。
「これを一回、自分の事を念じながら思い切り開いてごらん」
「あの……」
「これはよくある、帝国の命名方法なんじゃ。名前を付ける対象を念じて、命名辞典を開く。そこで一番に目に飛び込んできた名前が、その対象の名前になる、というのう」
「だから帝国では、名前と性別が一致しなかったりするんだよ」
キンウ様が笑いながら付け加えてくださる。
わたくしは膝の上に本を置き、自分の事を考えてみた。
わたくし。わたくし……
そして、数分念じてから、思い切り開いて、ばっとそこの見開きを見る。
目に飛び込んできた名前は……シグナス
「シグナス……」
「おや」
「また男の子みたいな名前だね」
女帝陛下もキンウ様も顔を見合わせたけれど。
突然、二人そろって笑いだした。
「あの……?」
笑いものにされる名前ではないし、お二人は馬鹿にして笑う方じゃないのにどうしてかしら……
と思っていたら。
「まさかのまさか」
「祝福を意味する、男の名前の中ではめったに付けられない最上級の名前だとは」
と言って笑っていたのだ。
どうしてそういう風に笑って下さるというのか。
そんな、本当にいい名前を手に入れたような、眼差しを向けてくださるのか。
分からなさ過ぎて、わたくしが途方に暮れていると女帝陛下が笑顔のまま答えてくださる。
「すまなんだのう、姫。シグナスは、この南方世界のとても古い、南方神話の中に出てくる、とある数奇な運命をたどった男の名前なんじゃよ」
「そうなんですか?」
「ああそうだよ。とても不幸な境遇だったのに、自分で運命を切り開いて、つぎつぎにすべてから祝福されるように、幸せになった伝説の男の名前でね」
「以来その名前自体が、祝福を意味するようになったという」
二人が交互に説明してくださる言葉。わたくしは泣き出しそうになってしまった。
祝福なんて、わたくしには一番縁どおいのに。
「祝福……そんなもったいない」
「おやまあ、この姫君は、わらわの義理とはいえ息子で、おそらく南方世界で一番いい男を婚約者にしておきながら、祝福がないと?」
からかう調子の、女帝陛下だけれども、わたくしはそんなつもりではないのです。
「こんな赤い髪で……目の色で……こんな美しくない、顔で」
やせぎすの体で。祝福の文字がとても薄っぺらくはありませんか。
うつむいたわたくしに、キンウ様が近付いてくるのは足音の違いで分かった。
キンウ様の足音は、とても軽い、鳥の足音の様なステップをしていらっしゃる。
「自分に自信を持ちなさいな。少なくとも、あなたは誰でもない、あの、女の好みが意味不明なイリアスに、間違いなく選ばれたのだから」
「……周囲の誤解のせいで……」
少なくともわたくしは、そう聞いている。侍女たちが蔑むように笑いながら言っていた。
イリアス様が、面白がってわたくしに構うから、彼はお父様に勘違いされてしまって婚約を結ばされたのだと……言っていたのに。
まるでキンウ様は、イリアス様が自分からわたくしを選んだように言うのね。
「違うよ。あれはいらない女だったら、どんな美女だって突っぱねるし、場合によっては自分の領域から蹴りだすよ。あいつは獣みたいなものでね、縄張りに入れるのは、自分が選んだ相手だけなんだ」
「まあ生きてきた年数のかなりの割合を、獣として生きてきた奴だからのう」
女帝陛下もそんな事を言って同意している。
……わたくしは、まさか。
「イリアス様に、選ばれたというの……?」
震えた声で疑問を投げかけてしまったわたくしに、二人が微笑む。
「いやだわ、この子。最初からそう言っているのに。どんだけ幸せになれなかったの?」
「これから、皆で幸せを教えればよかろう。わらわは可愛らしい嫁過ぎて、猫かわいがりしてしまわないか不安ぞえ」
「っ……」
ぼろりとこぼれた両目の涙。喉からせりあがってくる言葉としては機能しない、声。
わたくしのそんな、無様なさまを二人が笑ってみてくださっていた。
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